同点
「いやー……圧倒的だね、あの二人は」
ぽつりと呟きながら、私のすぐ隣で腕を組んで座っていた夢咲さんをちらりと見る。彼女の視線は真っ直ぐに前を見据えていて、その先には、当然のように競技中の連君と大翔君の姿がある。私は思わず小さく笑ってしまった。
「あの二人ってすごいの?」
私は夢咲さんが自分から話しかけてくれるとは思っていなかったから、つい嬉しくて話しすぎてしまう。
「うん、すごいね、今のところ、大翔君は満点だし、連君が点数を落としたのは左手の握力だけだからね。今の反復横跳びも基準は63回だから余裕で超えてるし。普通にエグいよ、あれは」
「そう...」
引かれたかなと彼女の顔を見ているとポツリと呟いた。
「男子って力強いから……あれくらいできる人、他にもいるんじゃないの?」
「うーん……他の人を見ての通り、あれが平均だよ。このままだとA判定行くと思うし、殆ど満点なら、全国上位レベルだと思うかな」
夢咲さんは、それでも納得がいかないように小さく唇を尖らせる。絶対に連のことを認めたくないという意思を感じる。その様子を見ていた中里さんが、静かに口を開いた。
「……私は、すごいと思います」
その声は、どこか押し殺すような響きだった。夢咲さんがチラと横目で見ると、中里さんは俯いたまま続ける。
「私……さっきの競技、ほとんど平均以下で……だから余計に……連君とか大翔君が、すごく見えるんです」
その言葉には、悔しさと劣等感を感じつつも、それ以上に純粋な尊敬がこもっていた。少し悲しげに見えたから、私は中里さんの肩をポン、と軽く手を置いて告げる。
「いやいや、それは違うよ。あの二人が異常なだけだから!」
「異常って……」
「ほめてるの!だって、今クラスで10点取ってる男子って、他だと大槻君くらいじゃん?二人だけ飛び抜けてるの、事実だもん」
その熱のこもった声に、夢咲さんがわずかに目を見張る。
「……それは、本当に?」
「うん、ほんとほんと!さっきからちょくちょく他の男子に話しかけて聞いて来たから。皆、結構簡単に教えてくれる」
「……ふぅん。じゃあ、少しくらい騒がれる理由はあるってことね」
彼女が見つめる視線は何かを判断しているようだった。少しだけ慎重になっているけれど、歩み寄ろうとする彼女はやっぱり優しいと思った。
***
「次はハンドボール投げだなっ!」
「いよいよ外競技じゃん!」
誰かのその一言で、室内にこもっていた空気が一気に軽くなった。開放感があるのだろうな。窓の向こうに見えるグラウンドの明るさに、自然と皆の足取りも弾む。
「やっと外出られる~!」
「このまま倒れ込んでもいいくらい汗かいた……」
そんな声があちこちから聞こえてくる中、俺はそっと自分の手を見下ろす。握力、上体起こし、反復横跳び――ここまではほぼ理想通り。だが、まだ終わりじゃない。
次の競技は確実に負けると分かっているからこそ、気が抜けなかった。冷静に空を見上げて、5感で空気感を感じる。
「ちょっとだけ風あるな」
「でもまぁ、ハンドボール投げにはそこまで関係ないと思うぞ」
大翔もいつもの飄々とした調子で言いながら、すでに肩を回し始めていた。準備は怠らないところが大翔の強さなんだろうな。そんなことを思いながら気合を入れなおす。
「よし、じゃあ男子から順にいこうかー!」
先生の声がグラウンドに響くと、いよいよ勝負の続きを告げる鐘が鳴ったように感じた。
「大翔。先にやってみて」
大翔はふっと笑って、ボールを掴んで前にでる。肩を軽く回し、何度か踏み込む動作を確認しながら深く息を吐いた。
「ふんっ!」
一閃。鋭く振り切った腕から放たれたハンドボールは、まるで矢のように一直線に飛んでいった。
「52メートル!」
「……は?」
誰かがぽつりと漏らし、次の瞬間にはざわっと空気が揺れた。無言のままボールの落下地点を見つめる面々。一瞬、冗談じゃないかと思ったが――その沈黙が答えだった。
「いやいや、普通にやばいって」
「52って……上級生でも見たことねーぞ?」
「やっぱあいつ人間じゃないわ……」
ざわめきが広がる。先生でさえ、「おぉ……」と感嘆していた。
「んー、まぁまぁかな」
大翔はそう言って笑うが、誰の目にも“まぁまぁ”ではない。遠巻きに見ていた上級生たちまでもが驚いたような顔をしてこちらを見ていた。
「次、2投目いきます!」
もう一度、今度はさらに大きく助走をつけて放たれたボールは、もっと遠くへ飛んだ。
「54メートル!」
「最高記録、出ましたー!」
先生の声にクラス中がどよめいた。大翔本人は嬉しそうにガッツポーズ。歯を見せて笑うその姿に、自然と拍手が起きる。
「さすが大翔」
「これ勝てる奴いねぇって」
もはや神格化に近いテンションになっている。
(……さて、俺の番か)
ハンドボールを受け取って立つ。いつも通り投げれば、まあ、そこそこ飛ぶだろう。でも――勝てる数字ではない。自覚していた。
「っ……!」
渾身の力を込めて投げる。放物線を描いて飛んでいったボールは、やがて地面に突き刺さるように落ちた。
「44メートル」
「おおー、結構飛んだじゃん」
「連、すげぇ!」
「でも……大翔には届かないか」
反応は悪くない。むしろ、俺にしては十分な記録だ。でも――相手が悪かった。
「いや、48って普通にすごい記録なんだけどね……」
「相手が大翔じゃなきゃ、主役だったかも」
「大翔がすごすぎるんだよ、しょうがない」
自然と“大翔は別格”という空気が出来上がっていた。誰も俺を責めたりはしない。ただ、そこには明確な“差”があった。
(まぁ……わかってたけどな)
ボールを返しながら、自分に言い聞かせるように、心の中で呟いた。この勝負、まだ終わっちゃいない。
***
「はははっ、やっぱり圧巻だね、あの二人は」
少し離れた日陰の位置から、グラウンドを見つめながら私は笑う。体力測定の競技は、今まさに大翔と連がハンドボール投げを終えたところ。大翔の記録にどよめき、連の健闘にも拍手が起きている。
「……流石に、凄いのはわかる」
夢咲さんが静かに呟く。その声には素直な認識と、ほんの少しの“驚き”が混ざっていた。きっと彼女の中でも、連という存在が少しずつ“見直し”にかかっているのだろう。
多分連君は嫌われているって思っているけど、そう勘違いしていた方がいい方向に進みそうだから、私からは言わない。
「っていうかさ、あれだけ“見てて”って言ってた割に、こっちのこと完全に放ったらかしだよね」
「……そうね」
珍しく夢咲さんが同意を返す。しかも口調が柔らかい。私はちょっと驚きながらも、さらに言葉を重ねる。
「有明くんに計測丸投げしてるし」
呆れたように彼女もため息を吐いていた。今のはまずったかもしれないな。けど、彼女も連という存在を中心に、少しずつ、巻き込まれていっている。クラスの人もそれに気づいてはいない。多分、大翔君を中心にクラスが動いていると思っているから。
「……でも、ほんとにすごいよね、連くん。女子の視線とかまったく気にしてない感じ」
「勝負に集中しすぎて周りが見えてないだけでしょ」
「手厳しい、、、けど、有明君のことがあるから否定はできないね...でも、ああいう時の男の子って、見てる方も燃えるっていうか、少しカッコいいと私は思っちゃうんだ」
「...そう」
私はチラッと夢咲さんの方を盗み見る。すると彼女は――まっすぐ、グラウンドに立つ連の背中を見ていた。横から見ていて分かった。彼女もきっと、連に惹かれだしていると。




