義妹と関係
週一更新
義妹と出会った日のことを、ふと思い出す。3月中旬、少し肌寒さを感じる中、迷子になった彼女と出会った。誰も居ない公園で、ひっそりと隠れるように、コンクリート作られた半休ドームに座っていた女の子に。
近づいてくる気配に怯えるようにしてこちらを見つめ、振り返った先でふと目があった。その印象を今でも鮮明に覚えている。小さく丸まった姿、つぶらな青い瞳、天使かと思うほどあどけなく美しい姿に俺は見惚れていたんだと思う。
「あなたは、だれ?」
こちらを伺うその子こ姿を見て真っ先に抱いた感情は守りたいと思う気持ちだった。だから安心させるように言ったんだ。
「僕は、鏡 連といいます。迷子になった女の子を必死探すお母さんがいて、その子を探しているんだけど...もしかして、君がそう」
「違う。あっち行って」
「それも、そっか」
あの時は俺は少し困り果ててしまった。理由は分からないけれど、彼女が探し求めている少女であるという確信があった。だから、その場をすぐに離れるわけにはいかなかった。俺は彼女の顔色を伺いつつ、聞いてみることにしたんだ。
「実は僕初めてこの場所に来たんだ。けど、帰り道が分からなくて、中央通りまでの戻り方って分かるかな?」
そう問いかけると女の子は狼狽していたな。一気に不安が押し寄せてきたようで、まずいことをきいてしまったと思ったんだ。だから、
「もし君も分からないなら、僕のスマホをつかってよ。行き先を設定するから」
そう告げて、操作を開始して歩くルートを表示させる。
「スマホはここに置いていく。必要ないかもしれないけれど、一応ね」
子供ながらに強引な決めつけだったと思う。なるべく彼女を怖がらせないように、僕はその場にスマホを置いた。多分これ以上話しても警戒心は募るばかりで余計に出られなくなると思ったから、僕はその場を離れることにしたんだ。
背を向けて歩き出したときに、ふと後ろから声がかかる。
「お母さん……なんて言ってたの?」
「えっ?」
不安そうに見つめる彼女が視界に入る。自分の行動に後悔をしているんだろう。
「うちの子がいなくなってしまいました、私のせいですって。すごく泣きそうな顔で、君みたいな女の子の特徴を話してた」
嬉しそうな笑みを浮かべる彼女を見て、胸が温かくなるのを感じたっけ。彼女は立ち上がるとおしりの埃を払って言ったんだ。
「教えてくれて、ありがとう。それと、案内をお願いしてもいい?」
「もちろん」
初めて義妹が頼ってくれた日の出来事だった。この時の行動がきっと、今も義妹との良好な関係を築くきっかけになったんだと思う。
それから親と再開した時には僕も怒られたっけな。お前まで迷子になってどうするんだって。でも、よくやったなとも褒めてくれたんだ。
義妹は俺がお兄ちゃんになる人だって、その時に知って驚いていたっけ。恥ずかしがりながらもよろしくって言ってくれた時は心臓が止まったと錯覚するほど嬉しかったのを覚えている。
それから頼れる兄になろうと誓ったことを今でも覚えている。そして、その意志は今でも変わらない。
あの日から、もう10年が経った。義務教育を終えて、今日から高校1年生になる。少しは大人の仲間入りをできるからだろうか、義妹との出会いをふと思い出していた。
にしても現実は上手くいかないものだ。頼られる兄を目指したはいいものの義妹は超がつくほど優秀だった。一言で言うならば天才だった。俺が5分かけて覚えるところを妹は1分で覚えるといった感じで習熟スピードは歴然としていた。
勿論、悔しいという気持ちが無いと言えば嘘になる。けれど、俺の中でのお兄ちゃんという存在は、妹より優れてることじゃなく、妹に頼ってもらえることだと思った。だから、少しは追いつこうと努力をしたわけだ。
まぁ、勉強も俺が教えてもらうことの方が多くて、頼りにしているのはどっちだという話しにはなるんだけど。その甲斐あってか、県内でも有数の進学校に入学できたのだから一応の面目は保つことができた...と思いたい。
入学式が開かれる今日、俺は制服の袖を通しながら、ひとつずつ丁寧にボタンを留めていく。
(新しい制服って、どうしてこんなにも気分が上がるんだろうな...)
そんなことを思いながら、新品の布のさらりとした肌触りを確かめつつ準備を進めていく。空っぽのカバンに入れた数枚の書類とノート、そしてペンケース。まだ何も入っていないはずなのに、これから少しずつ満たされていく未来が、そこにある気がした。
リビングに降りて、両親に挨拶をすれば「似合ってるわね」と感慨深そうに言われる。そして――
「お兄ちゃんの制服姿、凄く似合ってるね」
隣でそう言って笑ってくれる、俺の大切な妹。その何気ない言葉が、一番俺を肯定してくれた気がした。
食事を家族全員で取って、登校を開始する。両親はもう少しだけ準備してから行くようだった。
「お兄ちゃんの入学式、私の新学期と被ってなかったら、見に行きたかったな」
「学校はさぼるはダメ。それに」
「それに?」
何かを期待する義妹に対して告げる。
「可愛い義妹とナンパしそうな人がいる可能性があるからダメ」
「ふふっ、そんなに私のことが心配?」
「兄としては心配だよ。贔屓目無しに、今まで出会った女性の中で一番可愛いからな」
「じゃあ、“美しい”は?」
返されたその問いに、俺は一瞬、言葉に詰まる。可愛いと美しい――それは、似て非なるものだ。
「お兄ちゃん、それは即答しなきゃダメだよ?」
しまったな、と思った時にはもう遅い。妹は少しむくれたような顔で、俺の表情をじっと見ていた。
「だってさ、可愛いと美しいってベクトルが違うだろ? そう簡単に答えられないんだよ」
「じゃあ質問変えるね。お兄ちゃんにとって一番好みの女の子は? 私か、それ以外か」
不意を突かれたその問いに、俺はまた何も言えなかった。沈黙しか返せない自分が、少し情けなくなる。
「ごめんごめん、困らせちゃったね。まぁ……ここで『妹』って答えてたら、ポイント高かったのになぁ」
「そのポイントって、何かと交換できるのか?」
「妹からの信頼が得られます」
「……それは、確かに重要だな」
なんて言いながら、俺たちは並んで道を歩いていた。
「お兄ちゃん、気になる人とか、いなかったの?」
ふいに投げられた問いに、俺は顔を上げて、青空を見た。高く澄んだ空が、今日という始まりを祝うかのように広がっている。それを見ながら、ふと思う。
そういえば――俺の初恋って、どんなだったっけ。
たしかに、覚えてはいる。けれどそれから、恋をしたことなんてあっただろうか。忙しい毎日の中で、そんな気持ちになる余裕なんてなかった気がする。だからこそ、俺は素直に答えることにした。
「そういえば、小学校も中学校も、いなかったな」
「お兄ちゃん、けっこうモテてたし、告白もされてたのにね」
妹は、ふっと笑いながら俺に言った。
「でも、そうやって“自分らしく”生きてるのが、お兄ちゃんらしいのかもね」
「……そうかもな」
俺は、自然と笑っていた。きっと俺が付き合わなかったのは、恋愛にうつつを抜かす余裕がなかったからだ。この完璧すぎる妹の“信頼”に、応えたくて日々の積み重ねを大切にした。
だって、一つ下の義妹は中学の学習はすでに終えていて、今は俺と同じ高校の予習に入っているほど優秀だから。それでも彼女は、俺と同じ進路を選んでくれていた。
先生たちにも、他の高校を強くすすめられていたっけ。でも、俺を信頼してくれているその想いに応えたいから、俺は努力をするんだ。なにより、俺の存在が妹の未来の選択肢を、狭めてしまうことになる可能性を避けたかった。
そのことだけが、怖かった。だから、俺は必死に努力した。この“選択”が間違ってなかったって、思ってもらえるように毎日を積み重ねている。
「お兄ちゃんもさ、好きな人ができたら……言ってね?」
考え事をしていると、妹がそう言った。軽く、冗談みたいに。
「勿論、その時はいうよ」
少し寂しそうに言う義妹はまだ頼りにしてくれているんだろうな。
「じゃあ、妹は? 好きな人はいないのか?」
「あたし? んー……いないかな」
あっさりと返されて、俺はふと、ずっと気になっていたことを口にしていた。
「じゃあ……初恋とかは?」
「あるよ。私だって女の子だもん」
そう言って、少しだけ目を伏せた妹は、ぽつりと続ける。
「でもね......たぶん、私はその人のこと、ずっと引きずってると思う。だから、一生、恋愛できない気がするなぁ」
「……そっか」
その言葉に、胸の奥がざらりとした。自分以上に頼りになる存在がいる。そんな可能性が浮上して、だからこそ負けないように今できることをしよう。そう誓った。でも、無意識に焦っていたのか、つい義妹に聞いてしまう。
「……ちなみに、その人って、どんな人なんだ?聞いてもいい?」
「お兄ちゃん、気になるの?」
「……気になるよ。兄として」
「そっか……」
義妹は、一瞬だけ、複雑な表情を浮かべた。嬉しそうで、悲しそうで。でも、それをすぐに押し隠すように、小さく笑った。
「気にしてもらえるのは、ちょっと嬉しいよ。でも……ちょっと、言いづらいかな」
そう言われて、俺は反射的に返した。
「……言わなくていい。無理しなくて」
そう言いかけたときだった。妹は、小さく息を吸い込んで――静かに話し始めた。
「その人はね、いつもみんなに笑顔で囲まれてるの。周りの人がね、みんなその人に頼るの。『助けて』って、『どうしたらいい?』って。……で、その人は、全部に全力で応えてあげるの」
そう嬉しそうに語る義妹の姿を見て、胸が締め付けられる感覚になる。聞かない方が良かったのかもしれない。けれど、向き合う必要はあるから、義妹の目を見て、話しを聞く。
「自分じゃ無理だって思った時は、意固地にならずに素直に他の人に頼ってた。……だから、かな。その人は、すごいんだよ」
そう語る妹の横顔は、どこか誇らしげで、でも少しだけ遠くに感じた。俺は、言葉を失ったまま、その表情を見つめるしかできなかった。
「……私ね、その人のこと、好きになったの。一生懸命頑張るその姿に、私のことをちゃんと“ひとりの人間”として見てくれた、その優しさに……惹かれちゃったんだよね」
静かに語るその言葉は、風に溶けるようにやさしかった。だけど――次の言葉には、痛みがにじんでいた。
「でも、その人って、私以上に何でもできちゃう人だからさ……私が“好き”って伝えたら、きっと重荷になっちゃうと思ってずっと伝えられずにいたんだ。関係を崩したくないって思ったし……今のままでも、私にとっては十分幸せだから。――だから、私は諦めることにした。ただ、それだけ」
その声に、俺の胸は、締めつけられるように痛んだ。自分の大切な妹の心を掴んだ“誰か”のことを今の俺は嫉妬していた。血涙が流れるんじゃないかと言うほどに。ここは、兄として――いや、兄だからこそ、背中を押すべきだと思った。
「……そっか。でもさ、諦めなくても、いいんじゃないか?」
自分の声が、ほんのわずかに震えているのが分かった。心のどこかで、自分よりも“頼られている存在”がいたことに、悔しさもあった。絶対に負けたくないという気持ちが芽生えてくる。
「そう、、、かな?」
というか、この義妹をそこまで本気にさせる存在なんているのか。躊躇するほどすごい人物って誰だよ。世の中、不公平すぎる。
「もしかしてその人……彼女とか、いるのか?」
そう問いかけた俺に、妹は肩をすくめて言った。
「うーん……私が知らないだけで、いるかもしれないね。3人、4人くらいいてもおかしくないかなーって感じ」
――な・ん・だ・と。一気に警戒心が跳ね上がる。そんな軽薄そうな男に、義妹を渡してたまるか。もし、仮にだが、義妹とそいつが付き合うのであれば、本気で、直接話し合わなきゃいけない。
俺はその男に会って、きっちり“兄として”確認する必要がある。義妹を泣かせるようなことがあれば、絶対に許さない。……そんなことを真剣に考えていたら、ふいに妹が口を開いた。
「……ほら、お兄ちゃん。考え事してないで。ここでお別れだよ」
我に返る。いつの間にか俺たちは分かれる通学路に立っていた。
「改めて合格おめでとう。いってらっしゃい、お兄ちゃん」
「ありがとう。行ってくる」
そう言って俺は新たな門出を進むのであった。