第三章 ノマエ
気づくと、そこは柔らかな光に満ちた場所だった。
白く、温かく、どこか懐かしい。
痛みも、瘴気の息苦しさも、嘘のように遠い。
足元には、淡い光が水面のように広がっている。
音はなく、風もない。
それなのに――
ここは“生きている”と感じられた。
セレストの前に、ひとりの女性が立っていた。
長い髪をゆるやかに垂らし、
穏やかな微笑みを湛えた存在。
視線が合った瞬間、
胸の奥に、理由の分からない安堵が広がる。
「……ここは……?」
問いかけると、女性は少しだけ困ったように笑った。
「ごめんなさいね。
ゆっくりお話ししている時間は、あまりないの」
声音は柔らかく、どこか眠りを誘うようだった。
それでいて、不思議と逆らえない重みがある。
「あなた……とても無理をしているわ。
そのままでは、あの瘴気を中和しきれない」
セレストは、はっとして口を開いた。
「……でも、放っておけません。
このままでは、あの人も……王国も……」
女性は、ゆるやかに首を振る。
「ええ。分かっているわ。
だから、手伝うわね」
そう言って、セレストのすぐ傍まで歩み寄る。
その動きは、静かなのに
なぜか目を離せなかった。
「いい?
あっちに戻ったら……あなたの前にいる運び屋さんの手を、
あなたのお腹に、直接当てさせて」
一瞬、意味が分からず、セレストは瞬きをした。
「……お腹、に……?」
「そう。
服の上からじゃだめよ」
女性は優しく微笑む。
「ちゃんと、あなたの体温が伝わるところに」
穏やかな声だった。
だが、その言葉には迷いがなかった。
「それから、あなたは力を“受け取る”ことに集中して。
瘴気をどうにかしようとしなくていいわ」
一度、空間を見回すように視線を巡らせてから、続ける。
「中和は……必ず上手くできる」
セレストの喉が、小さく鳴った。
「……あなたは……」
女性は、少し照れたように目を伏せる。
そして、ふわりと微笑んだ。
「ノマエよ」
静かな声だった。
「あなたが今、こうして話している相手の名前」
その名を聞いた瞬間、
胸の奥が、じんわりと熱を帯びた。
理由は分からない。
それでも――
どこか懐かしい響きだった。
「怖いかもしれないけれど……大丈夫」
ノマエは、やわらかく言った。
「あなたは、ひとりじゃないわ」
次の瞬間。
そっと、額に温もりが触れる。
撫でられたわけでもないのに、
“大丈夫”と包み込まれるような感覚。
セレストの胸の奥に残っていた不安が、
静かに溶けていく。
「さあ……戻りましょう」
ノマエは微笑む。
「向こうでは、待っている人がいるもの」
光が、ゆっくりと強まっていく。
白い世界が滲み、
音も、重さも、遠くなっていく。
最後に見えたのは――
ノマエの穏やかな微笑みだった。
「……いってらっしゃい」
その声に背中を押されるようにして、
セレストの意識は、少しずつ引き戻されていった。




