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届かない祈り

 洞窟の奥は、ひどく静かだった。

 水滴の落ちる音すら、どこか遠い。

 湿った岩肌に手をつきながら、セレストはゆっくりと立ち上がる。

 治療の法力で致命的な傷は塞がっているが、全身に鈍い痛みが残っている。


「……上、気づいたでしょうか」


 ぽつりと零れた言葉。

 さきほどの法力の光が、あまりに目立ったのを思い出していた。


「どうでしょう」


運び屋は洞窟の奥を見つめたまま答える。


 「ですが……見られていたとしても、

 助けがすぐ来る距離には思えません」


 そこには、薄い霧のような瘴気が、ゆっくりと漂っている。

 目に見えて濃い。

 空気が、重たい。


「日向さん身体は大丈夫ですか?毒や痛みは……」


セレストは申し訳なさそうに聞いた。


「少しキツイですが問題ありません」


「鉱山の奥やら、腐った地下道。

空気の悪い場所で仕事すること、

それなりにありましたから」


その言葉に、セレストはさらに申し訳なさそうに目を伏せた。


「それに……お願いした立場なのに、

これほど巻き込んでしまいました」


運び屋は一瞬驚いたような顔をして、それから小さく笑った。


「聖女様は本当にお優しい」


軽く息を吐く。


「こんな時くらい、もっと自分本位で考えてもいいんじゃないですか。

“這ってでもついてこい”くらい言っても罰は当たりませんよ」


少し肩をすくめて続ける。


「世間じゃ“旅は道連れ世は情け”なんて言いますし。

ここまで来たんです。お役目を全うしましょう」


精一杯の冗談だったのだろう。

セレストは思わず小さく笑った。


「ふふ……なんですかそれ。

でも……ありがとうございます」


その表情には、わずかに覚悟が宿っていた。

二人は、通路の奥を見つめる。

そこには、ひときわ濃い瘴気が流れていた。


「……これが、瘴気の本流」


「たぶん」


運び屋は口元の布に薬草の匂いのする液体を染み込ませ、それを巻き直す。


「“問題の場所”に、かなり近い」


そしてセレストを見る。


「あと聖女様。ここから先は……

呼吸を浅くしてください」


「浅く……?」


「深く吸うと、たぶん……きます」


二人は、瘴気の中へ足を踏み入れた。

その瞬間、セレストは微かに息を詰まらせる。

胸の奥がひりつく。

皮膚の上を、冷たいものが這うような感覚。


「……大丈夫ですか」


「……はい」


セレストはゆっくり息を吐いた。


「ですが……あまり、長くは持たないでしょう」


それは弱音ではなく、事実だった。

瘴気に触れるたび、体内の法力が削られていく感覚がある。

セレストは両手を重ね、静かに祈った。

淡い光が生まれ、二人の足元を照らす。


「……瘴気を完全に祓うほどの力は、ここでは使えません」


祈りの光が前へと伸びる。


「ですが……進むための“隙間”くらいなら」


霧が、わずかに裂けた。

ほんの数歩分の、安全な空間。


「……十分です」


運び屋は短く答え、先へ進む。

だが、その先の空気はさらに濃く、暗い。

数歩進むごとに、セレストの呼吸は浅くなった。

指先が冷える。

視界の端が、滲む。


「……聖女様」


「……まだ、歩けます」


そう言うものの、足取りは確実に遅くなっていた。

やがて、洞窟は大きく開けた空間へと変わる。

天井の高い、円形の空洞。

その中央で――

瘴気が、まるで溜まり水のように淀んでいた。

黒く、濃く、脈打つように揺れている。


「……これは……」


運び屋が、息を呑む。

そこは明らかに“源に近い場所”だった。

瘴気はただ漂っているのではない。

何かに引き寄せられるように、中心へと流れ込んでいる。

セレストは一歩踏み出そうとして――膝をついた。


「……っ」


力が抜ける。

床に触れた指先が、黒く染まるような錯覚。


「……すみません……

ここから先は……」


言葉が続かない。

運び屋は迷いなくセレストの前に膝をついた。


「……無理をしないでください」


周囲を警戒しながら、そっと彼女の肩に手を添える。


「ここが“本命”なら……

あなた一人でどうにかする場所じゃない」


その言葉に、セレストはわずかに目を見開いた。


「……それでも……

私が、ここまで来てしまった以上……」


その瞬間だった。

瘴気の中心が、静かに脈打つ。

水溜まりのように淀んだ黒い靄が、呼吸するかのように揺れている。

セレストは胸の奥の痛みを押し殺し、ふらつきながら一歩踏み出した。


「……やります!」


誰に言うでもない、けれど強く言い切った声。

両手を胸元で組み、祈る。

淡い光が生まれ、瘴気へと流れ込んだ。

――だが。

光は黒い靄に触れた瞬間、音もなく呑み込まれる。

瘴気は薄まるどころか、逆に濃さを増したように見えた。


「……っ」


息が詰まる。

もう一度、法力を流し込む。

だが、結果は同じだった。

胸の奥が焼けるように痛む。

頭が、くらくらと揺れる。

……だめ……思ったより……

膝が崩れ落ちた。

床に手をついた瞬間、指先が痺れる。

瘴気の圧が、意識を削り取っていく。

――意識が遠のく。

運び屋が何かを叫んでいるようだった。

だが、もう声は届かない。

暗闇が、そっと視界を覆った。


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