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8話

「あれ? 雑貨屋さん?」


 がやがやとした娼館街でも、その美しい声ははっきりと俺の耳に届いた。


「……アンさん!」

「こんばんわ。どうしたの、こんなところで?」


 笑顔で近づいてきた美しい女性は、先日ミスルルのペンを売ったアンさんだった。

 彼女はドレスを着こなして、以前会ったときよりも心なしか化粧が濃いような気がした。身にまとう深紅のドレスは、彼女の艶めかしいボディラインを浮かび上がらせ、その光沢のある生地は魔法による明かりに照らされて、てらてらと彼女の体の起伏に合わせて煌めいた。


「……お綺麗です」

「ふふ……。お上手」


 世事でもなんでもない。心の声が漏れてしまったのだ。


「それで、どうしたの? あ。もしかしてうちの店に――」


 彼女はそう言いかけて、俺が持っていたチラシを見て絶句した。彼女の顔がみるみるうちに赤く染まっていく。そのドレスも相まって、全身が真っ赤になった彼女は気まずそうな表情をした。


「えっと、その……。そうよね。殿方だものね……」


 アンさんはポリポリと汗の浮かんだ頬を掻いた。視線を合わせてくれないその姿に俺はショックだった。

 俺はあくまで調査のために訪れたのであって、決してついでに娼館のお姉さんとしっぽり、だなんて考えていない。……うん。決して……。


「違うんです! これは!」


 俺は彼女にことの経緯を話した。


「ああ! そういうことだったのね!」


 俺が説明すると、彼女は朗らかに笑った。


「私てっきり……」

「いやいやいや」


 彼女はまた顔を赤らめた。意外とむっつりなのだろうか、アンさんって。

 ただ、否定しておいてなんだけど、興味がないわけではない。俺だってむっつりなのだ。


「じゃあさ、せっかくだし、うちのお店においでよ。うちにも知ってる子はいると思うよ。結構ウワサになってるし」


 名案、といった風にアンさんは言った。おいでおいで、と彼女は言って、俺の腕に絡みつくように抱き着いてきた。


「え、ちょっ――」


 俺の腕をとったアンさんは、こっちこっち、と歩いていってしまう。俺はそれに引っ張られるようについていく。

 って、ちょっとちょっと! 当たってる! なんかすげえ柔らかいものが当たってますが!


「ここですよー」


 肘に当たっていた胸の感触にどぎまぎする俺のことは気にも留めず、アンさんは彼女が働く店の前まで俺を連れてきた。

 ほかの店よりもより一層明るい光を放つそこは、『猫の舞踏』という看板が掲げられていた。

 大きく設けられた窓からは、店の中がよく見えた。そこでは、仕事終わりであろう男たちが、華やかなドレスで着飾った美人たちに囲まれて酒を楽しんでいるようだった。


「何してるんです? さあさあっ!」


 店の前で俺が突っ立っていると、アンさんは俺の腕をぐいぐいと引っ張った。そんなアンさんに半ば引きずられるようにして店の中に入った。


「おや、アンちゃん」

「おはよ、マスター。この方私のお客さんだからサービスしてあげて」

「ど、どうも……」

「……いらっしゃい」


 バーのカウンターのような席の向こうにいた、厳ついおっさんにアンさんは声をかけた。どうやらこの店のマスターらしい。彼は一見の俺を見定めるようににらんできた。……こわい。

 彼はすぐに興味を失ったのか、グラスを拭く手元に視線をすぐに移した。

 俺はアンさんに連れられて、奥の半個室のような部屋に通された。


「ど、どうぞ……」

「あ、ありがとう」


 このような店で接客するには幼すぎる女の子が俺のそばにやってきて、濡れタオルを渡してくれた。


「今のは?」

「この店で雇っている奴隷」

「へえ、奴隷……」


 スラムの近いこの裏町ならさもありなん。屋根のあるところにいられるだけでも幸せなのだろう。奴隷の少女は生き生きとした表情をしていた。それに、ほかの店よりもこの店はよっぽどいい扱いをしているのだろう。奴隷の少女は一目見ただけでも髪の艶や肌の張りが随分とよかった。


「ウワサだと、()()()()子たちが攫われてるみたいよ。……あの子に聞いてみたほうが何かわかるかも。ルル! ルルおいで!」


 俺の隣に座ったアンさんはそう言って、カウンターの脇に立っていた奴隷の少女を呼んだ。あの奴隷の少女はルルという名前らしい。


「は、はい」


 奴隷の少女は随分と緊張しいなようだ。その動作は固くぎこちない。


「このお兄さんがね、人さらいについて調べているんだって。ほら、最近多いでしょ?」

「えっ、あっ、はい……」


 アンさんが簡単に少女に状況を説明する。


「ルル、あなたが知ってることはない? ほかの奴隷たちから聞いた話とか」

「あ、えっと……。その……」


 アンさんが代わりに少女へ聞いてくれるが、少女は一向に話始める気配はなかった。あがり症とはいえ、ここまで話してくれないのは何かあるのだろうか。

 少女は俺のほうをちらちらとみて様子をうかがっているようだった。俺、そんな怖い顔してるかな。


「どうしたの? ルル」

「その……。そ、そちらの方は、憲兵さんですか……?」

「ああ! ふふふ。そんなことを気にしてたの」


 少女の言葉にアンさんは笑った。俺はなんのことかわからずに疑問符を頭の上に浮かべた。


「どういうことだ?」

「人攫いのことを調べるなんて、憲兵の仕事でしょ?」

「……確かに」


 アンさんにそう言われて俺は納得した。しかし、それでなんで言いづらそうにするのだろうか。むしろ憲兵のほうが聞き込みに協力するんじゃないだろうか。公務なんだし。


「そうもいかないのよ」


 俺が疑問を口にすると、アンさんは俺の耳元でささやいた。

 吐息が耳に当たってこしょばゆい。


「憲兵の中にはね、こういう子たちを狙って()()するような人もいるのよ。戸籍がないんじゃ被害者にもならないから……」

「なっ――」


 俺はアンさんがささやいた内容に絶句した。まさかそんなことがあろうとは。ミーナが憲兵を怖がるわけだ。


「だからね、安心して、ルル。この方は憲兵なんかじゃないわ。表で雑貨屋をやってらっしゃる優しい方よ」

「そう、なんですね……」


 アンさんにそう評されて、俺はなんだかむずがゆくなってしまう。優しいだなんて、そんな……。でへ。


「ジークリートだ。よろしくな」

「は、はい。よろしくお願いします」


 俺が名乗って手を差し伸べると、少女はおずおずと俺の手を握った。小さな手だった。


「さっき言った通り、最近の人攫いについて調べていてね。何か知っていることはあるかい?」

「えっと、別の店の奴隷の友達から聞いたんですが……」


 俺が聞くと、少女ルルはぽつぽつと知っていることを話し始めてくれた。

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