3話
「店長!」
「なんだ、騒がしいな」
「これ、壊れちゃいました!」
「なっ、お前、これ……」
真っ二つに割れてしまった看板を俺は奪い取り、すぐさま接着剤を探す。
「あのなぁ、いい加減、どのくらい力を入れたら壊れちまうか分かれよ! 何回目だ、看板壊すの!」
「はい! 四回目であります! ――いでっ、殴ることないじゃないですか!」
俺は眼の前でおどける少女に鉄拳制裁をして、看板を接着剤でつける。元々ボロい看板だったが、この力加減を知らない少女の犠牲となり、もう何回も壊されてしまっている。
俺はカクレトカゲのシルエットを象った看板を店の表に掛け直し、店の中に戻った。
「いいか、ミーナ。次同じことしたら追い出すからな」
「ぶえっ?!」
ミーナは汚い奇声を上げて目を剥いた。この少女はあの雨の日に拾った少女だ。濡れ鼠のまま表に立たせておくわけにもいかなかったから、家に招いて風呂に入れてやったのだ。どうも身寄りがないらしく、そのままなし崩し的にこの店で引き取ることになってしまったのだ。今度レオーネさんが来たら相談してみようと思う。地位のある人だから、この娘のこともなんとかしてくれると思う。
この店の稼ぎで働かないやつを置いて養うだけの甲斐性はなく、ミーナもウチの従業員として雇うことにした。雇うと言っても、給料はない。十分な衣食住と清潔な風呂を提供してやるだけだ。
ミーナがウチに居着いてから数日。随分とお転婆な彼女には手を焼かされている。看板を割るのだけじゃ飽き足らず、皿洗いをさせては皿を割り、洗濯をさせては服を破る。まあなんとも困った従業員なわけだが、彼女が来てから、妙に客入りがいい。ずっと野郎一人で切り盛りしてきたから、急に現れた幼い少女の店員が物珍しいのか、常連だけじゃなく、初見の客もちらほら入ってくる。おかげで稼ぎは増えたものの、もともと少ない客を相手する前提で仕入れなどを行っていたから、在庫がなくなる商品も出てきていた。
「店長、お客さんです!」
俺が奥で在庫の確認をしていると、ミーナの大声が聞こえてきて、それからやかましい足音が近づいてきた。
どたばたと床を蹴る音、その合間合間にものを蹴飛ばして床を転がる音が聞こえてくる。あいつ……、商品をなんだと思ってる……。
「店長ぉ!」
そんな調子で走り回っていると、いつか転んで怪我するぞ。
「いたぁい!!」
ガツン、と勢いよくぶつかる音、床に何かが落ちる音、ミーナの悲鳴。そして静寂が訪れる。
ほれみろ。
「ったく、大丈夫か?」
「ふぇぇ、擦りむきましたぁ……」
膝を抱えるミーナは涙目で俺を見上げる。涙目のコイツは余計に幼く見える。ウチに来た初日に年齢を訪ねてみたが、だいたい10歳くらいということは分かるが、細かい年齢はわからないそうだ。……そういう自分の年齢も家名もわからない子どもは一定数いる。いくら商人が集まって景気のいいこの街でも、人が多い分そういうのがなくなるわけじゃない。みんな見ないようにしているが、スラムだってある。国の偉いさんも自分たちの地位を守るのに必死で、そういうことを改善しようとは思っていないのだ。
「お薬をぉ……」
「何泣き言言ってんだ。こんなの薬つけるまでもねぇ。唾でもつけてろ」
「店長ぉ……」
くすんくすんと鼻を鳴らすミーナを放って、店に出る。実際、アイツの怪我は大したことない。若い治癒力なら二、三日できれいな肌に元通りだろう。アイツがあんな風に大げさに振る舞うのは、その育ってきた環境に甘える相手がいなかったことへの反動だろう。
「こんにちわ、店長さん」
「やあ、アンタか」
ミーナが俺を呼んだ理由のお客は、いつも通りの色気を纏ってカウンターの前に佇んでいた。
「ミスリルのペンならもう届いてるよ。ちょっと待っててくれ。奥から取ってくるよ」
「え、もう?」
この水商売風の女が来てから、一週間も空いていない。普通の店だった入荷にもう少しかかるだろうが、工房のジジイと知った仲の俺ならこのくらいあれば用意できてしまう。女は思っていた以上に早く完成したことに目を丸くしていた。
「美人さんが待ってるって伝えたら、超特急で作ってくれたよ」
「まあ、お上手」
女は顔を綻ばせた。
――割りとおべっかやお世辞ではない。あの色ボケジジイ、そうでも言わないといつまで待たせるかわかったものじゃないからな。いい歳こいて女の尻ばっかり追いかけて色町に足しげく通いやがって……。まあ、紹介してくれる店はみんなアタリばかりだし、仕事は丁寧だから文句は言えないのだが。
「じゃあ取ってくるよ。そこで待っててくれ」
「うん」
そう言って俺は再び店の奥へと戻る。しょげた顔で自分が散らかした商品たちを片付けるミーナを横目に、引き出しを開けて木箱を取り出す。
「お待ちどおさん」
そう言って俺は木箱を女に手渡した。
「開けても?」
「もちろん」
木箱を嬉しそうに受け取った女は、瞳をキラキラとさせていた。そうしていると普段の色気はどこへやら、年頃の町娘のように見えるから不思議だ。
「まあ……。いいわね、シンプルで」
うっとりとした顔で木箱からペンを取り出した女はそう呟いた。女の言う通り、ペンのデザインはシンプル、というよりも武骨なものだった。華奢でか細い女の手にはいささか太すぎるようにも思えるが、あの仕事だけはきっちりやる頑固ジジイの作だ。きっとすぐに馴染むことだろう。
「ありがとう。大事に使うわ」
「そうしてくれ」
「これ、お代」
「まいど。……って、これじゃあもらい過ぎだ。半分でいい」
女が差し出してきたのは、相場の倍の額のコインだった。
「こんなに早く仕入れてくれたんだもの。それに先代におまけしてもらった分もあるし。言ったじゃない、恩返しって」
そう言って女は微笑んだ。
「しかしなぁ……。アンタがいつもウチに買いに来てくれてるだけで十分恩返しだよ」
「いいんです。気持ちなんだから。受け取ってよ。こう見えて売れっ子なんですから」
そりゃあ、そのルックスなら売れて当然だろうけど。
その後もいやいや、まあまあ、と押し引きを数ラリーして、結局折れた女がそっとコインを懐にしまって決着となった。
「……なら、今度ウチのお店に来た時にサービスしてあげますね」
目じりを下げた女がしなを作って言った。
「裏通りにある『猫の舞踏』ってお店。ご存じ?」
「ああ。行ったことはないが、名前くらいは」
確か女の子とお酒が飲みながら、楽しくお話をするというコンセプトの店だったはずだ。この街は大通り沿いこそ普通の商店やウチのような雑貨屋なんかが並ぶが、裏町と呼ばれる通り沿いにはそういう風俗店が多くある。店によっちゃもっと過激な店や、もっと露骨に娼館なんかもある。この女がそういう店に勤めていないことがわかって嬉しくなるのは、少しこの女に入れ込み過ぎだろうか。
「アンって名前でやってますから。指名してくださいねっ」
「わかったよ」
源氏名とはいえ、初めて彼女の名前を知ることができて、ちょっとした優越感に浸る。
「わあ、かっちょいい~」
俺とアンが話していると、裏から戻ってきたミーナがひょっこりとカウンターから顔を覗かせて、木箱に入ったペンをしげしげと眺め出した。
「こら、お客さんのだぞ」
「ふふ、いいのよ」
俺に注意されてすぐさま手を引っ込めたミーナだったが、アンからそう言われて嬉しそうにペンを手に取った。
「ふわぁお……」
光をキラキラと反射させるペンが物珍しいのか、ペンを持ち上げて様々な角度から眺め出した。
そんな様子を見て、俺はふと昔のことを思い出した。
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