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第2話


 ユリシアは、アルシリウスでそれなりに良い家を与えられている。

 アパートの一室ではあるがセキュリティは悪くないため、住んでいる学生はユリシアのみである。両隣には歳の差のある夫婦と美男美女で感じの良い夫婦が暮らし、ことあるごとにユリシアに構う。引っ越し時期も近かった。遭遇率も高い。ともなれば、ユリシアは彼らがクライバーンから送られてきた監視である可能性が高いと踏んだ。

 依頼主がいつユリシアを切るかは分からない。すぐに手を下せるよう、そして変な動きをしないようにと二組の夫婦を送り込んだのだろう。

 分かっているからこそ、この二組の夫婦の前では下手に動けない。当たり障りなく愛想良く、そして自分が密偵であることがバレないよう誰とも仲良くしませんよと言わんばかりに、見事に夫婦から距離を取っている。

 そう、ユリシアはこの一年、小さなことを積み重ねアピールを頑張ってきた。

 それなのに。

「わたくしの部屋より狭いなんて……よくこの環境で生きていられるものですわね。両隣と下に他人が住んでいることも気になりますし……いやですわ! レストルームもこんなに狭い! バスルームも!」

「何も置いてないんだな。ベッドとテーブルだけって……ボードゲームとか映写機とかもないし。毎日何して生きてんの? てかキッチンこれだけ? こんなところで肉焼けるのか?」

「ちょっとウィシュア様見てくださいませ! バスルームが狭すぎますの! 溢れてしまいますわ!」

「うわ、どこに入るんだよこれ」

 いったい何がどうして、この二人がアパートに押しかけてきたのか。

(私が……私が行くはずだったのに……)

 ことの発端はユリシアの「アックスフォードさんの家で飼っている鳥を見てみたいです」という言葉に始まる。もう確実に許されるだろうと余裕綽々に構えていたのだが、リナリアは嬉しげな顔を一瞬浮かべた後、すぐに「ダメですわ」と何かに気付いたように断り文句を吐き出した。

『我が家の鳥は療養中ですの。客人が来たらストレスで死んでしまいますわ。それともあなた、我が家の鳥に死ねとでもお思い?』

 あまりの迫力に「それなら仕方ないですね」と納得をしたのだが、その次に飛び出した言葉が大問題だった。

『そうだわ、むしろ平民のお屋敷に行くのも良いのかもしれません。ねぇウィシュア様、平民の暮らしが気になりませんこと?』

『んー? 別に……』

『気になりますわよね。ふふ、それでは共にユリシアのお屋敷へ参りましょう。楽しみですわね』

 もちろん断らないよなぁ? と、言葉ではない何かが聞こえた気がした。しかし、鳥の療養が終わればアックスフォード家にはぜひお呼ばれされたいものであるから、まずユリシアから自宅を明かしておくのは悪い手段ではない。

 そんなこんなで、現在である。

 ちなみに、ユリシアの家には五個ほど盗聴器が仕掛けられている。引っ越し時に確認済みだ。両隣の夫婦に聞かれているのだろう。

 変に思われなければ良いのだが……。

「ふぅ。なかなか楽しい発見が多くありましたわ。わたくしが座るための椅子はどこ?」

「椅子なんてないので床にどうぞ」

「まあ! このわたくしを床に座らせるおつもり!? この何も敷いていないツルツルの安っぽい床に!?」

「まあそう言うなよ。平民なんてそんなもんだろ。ところで使用人はどこにいるんだ? そろそろ菓子の時間だろ。茶も欲しい」

「そんな存在も居ないよ……というかもうひとしきり見たなら帰りますよ。満足したでしょう」

「平民のお茶とやらを飲みたいですわ」

 リナリアは丁寧に床を拭い渋々床に座ると、どんなものが出てくるのかと目を輝かせる。

 しかしユリシアの家には食器などなければ茶葉もない。誰も来る予定なんか無かったし、そもそも自炊をしないからだ。

 さて、この状況をどう切り抜けるか。

 ひとまずどうにかならないかとユリシアがキッチンに向かったところで、キンコン、とドアベルが鳴った。

(……来たか)

 きっと両隣の監視のどちらかが様子を見に偶然を装って訪れたに違いない。盗聴器で聞いていれば誰かがユリシアのところに居ると知ることも容易である。

「来客ですね。少し出ます」

「まあ! お客様ですの? ぜひご一緒にお茶を楽しみたいですわ」

「おまえ友達居たんだな」

 散々な言われようだが、今はひとまず「遊んでいるわけではなく調査をするための前段階である」ことを伝えなければ。

「はい、お待たせしました」

「ユーフェミリアさん、こんにちは。今日ちょうど頂き物があったからぜひおすそ分けにと思って来たの」

「ありがとうございます」

 訪れたのは、歳の差夫婦の奥さんのほうだった。ふわふわとした雰囲気で可愛らしく、明るいから接しやすい。ちなみにこちらの旦那さん、体がクマのように大きく強面で威圧的なため、彼が「実行要員」であるとユリシアは考えている。

 そう、ユリシアがミスをした、あるいは依頼主に切られた際にユリシアに手を下すための存在だ。

「いつもお気遣いありがとうございます」

「いいのよ別に。……あれ? 今日はお友達が来ているの?」

「はい。学校の……貴族の方と仲良くなったので、お互いの家に行きたいという流れから」

「それは素敵なお話ね!」

 この言い方で、「遊んでいるだけではない」と伝わっただろうか。

 彼女はとてもにこやかで、いつもと様子は変わらない。

「だけどちょうど良かったみたいね。頂き物っていうのがね、陶器のカップとちょっと良い紅茶だったの。ぜひもらってくれる?」

「あ、はい、ぜひ」

「ふふ。うちの人はこういうの興味がなくってね。いただいても飲まないからいっつもお断りするんだけど、押し切られるときもあって……ユーフェミリアさんが貰ってくれるからいつも助かるわ」

 ありがとうねと言葉を残し、彼女はお隣に戻った。

 正直助かった。彼女がユリシアの援護をするわけがないから、本当に奇跡的な偶然なのだろう。

「ユリシア? お客様はよろしいの?」

「はい。もう帰られました」

「まあ! おもてなしすることもなくお帰しするなんて!」

「そんなもんなんじゃねえの、平民って」

 二人にはバレないよう、今もらったカップに紅茶を注ぐ。紅茶の淹れ方なんか分からないから、お湯を注ぐくらいしか出来なかった。

「はい、お茶です」

「……あら、この陶器……」

「へぇ、意外と良い物持ってんだな」

 ユリシアにはまったく分からないが、二人は詳しいのか楽しげに語り合っている。これも貴族教育の賜物か。何であれ、ユリシアに関係のないところで話題が盛り上がるのは良いことだ。

「あなた本当に平民ですの? この紅茶、どこから取り寄せまして?」

「? どこからって……えーと……」

「自然が豊かなサフラン国からしかとれない、結構珍しい品種なんだよ。贈答品にするにも難しいな」

 それを聞いて、ユリシアは咄嗟に二人のカップを乱暴に奪った。

「キャ! 何をいたしますの! 制服が汚れましたわ!」

「なんだよいきなり!」

 贈答品にされることはない。けれどこれは「もらった」という。

 珍しい品種ならば飲みたくもなるだろう。その心理を利用して、中に何かを混入された可能性がある。

「飲みました? どれくらい?」

「一口くらいですけれど……」

「オレも」

「……こ、これ、実はちょっと古いんですよね。それをいきなり思い出して」

「そうですの? 平民の下手くそな淹れ方でも美味しくいただけましたわよ?」

「とにかく! 今日はもう帰りましょう! 制服も汚してしまってすみません。帰ってすぐに染み抜きしないと」

「ちょ、ちょっと、」

 二人を強引に引っ張り、玄関から押し出した。

 遅効性の毒が入っていたらどうする。帰ってから異変が起きるかもしれない。

(どうしよう……)

 二人が死んでしまったら——。

 自身が死ぬことは怖くない。国に残してきたものもない。ユリシアは何をされても、どう思われても構わない。

 それではなぜ、手が震えるのか。

(どうしよう……!)

 明日、二人が学校に来なかったら。

 そんなことに怯えながら、ユリシアはまだ早い時間ではあったが、ベッドで丸くなり目を閉じた。


 翌日、ユリシアはドキドキしながら登校したのだが、予想に反してリナリアもウィシュアも元気そうだった。むしろ「昨日の態度はなんですの?」「おまえがあんなに焦るのって珍しいよな」と怪しまれる始末である。

 心底安堵し、ユリシアは机に力無く伏せた。

「聞いておりますの? わたくしの制服が一つ汚されましたのよ? 弁償をしなさいと言わないわたくしの寛大な気持ちに感謝もございませんの?」

「紅茶のシミって落ちにくいよな。オレも汚れたのは捨てた」

「いや、もうすみません本当に……ちょっと力が抜けました」

「なんだそれ」

「おい、ユリシア」

 机に伏せたユリシアの頭上、そこから降ってきた声に、ユリシアは思わず顔を上げた。

 リナリアは少し姿勢を正す。ウィシュアはちらりとそちらを見ただけで興味もなさそうだ。

「シウォンくん! な、何? どうしたの、朝からこっちの教室くるなんて」

「今日の昼、迎えに来るからな」

「え? あ、うん、はい。分かった」

 ……二年期が始まってから今まで、誘われたのは最初の一回だけである。しかしながら「二人を撒いてこい」と言ったにも関わらずこうして二人がいる前で誘われては意味がない。

 アグドラは何も言わず教室を出て行く。

「……なんだあれ?」

「……わたくしずっと気になっていたのですけれど……ユリシア、もしかして彼と恋仲だったりするのかしら?」

「へ? 恋?」

「そうなのか? 知らなかったな」

 リナリアが、興味本意とはまた別の顔をして訝しげに問いかける。

「あ、違うよ。シウォンくんはお友達」

「どうかしら。気がつけば一緒におりますし、今だって、まるでわたくしたちに牽制しているようでしたわ」

「そういやおまえ、一年期で同じクラスのときはあいつといつも一緒に居たな」

「勘違いだよ。ウィシュアだって今私とよく一緒にいるでしょ? 同じ感覚」

「んー?」

 納得できないのか、ウィシュアが眉を寄せて首を傾げる。

「あ、ほら移動しなきゃ。次の授業は二人とも何にするの?」

「誤魔化されませんわよ!」

「逃げた!」

 二人が移動の準備を終えていないのを良いことに、一瞬の隙をつき、ユリシアは一目散に駆け出した。

 ユリシアには恋にかまける時間などない。アグドラはあくまでも「宿り木」で、アグドラにとってもユリシアはそういった存在のはずである。

 そもそも、ユリシアの今までの人生の中にも恋愛なんてものはないし、これからもその予定はないのだ。

「あれ? ユリシア、もしかして一緒かな?」

 経営学の教室へ向かっていると、柔和な笑みを浮かべたクランに呼び止められた。

 女の子の集団から抜け出し、ユリシアに駆け寄る。女の子たちは不服そうだったが、相手がユリシアと知ると怖くて何も言えないようだった。なにせユリシアはリナリアに喝を入れ、マルクに打ち勝ち高笑いをしていた女である。普通の女子生徒が挑んで勝てるわけがない。

 まあ、それもすべてただの噂なのだが。

「次、経営?」

「そうだよ。クランも?」

「うん、今経営にした」

 ということは、それまでは違っていたということか。

 他の女子生徒ならときめいていたであろうその態度に、ユリシアはときめくどころか「どうしてそこまで構われるのか」と素直に疑問を浮かべる。

「ねぇユリシア、ユリシアはどうしてこの国に来たの?」


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