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閑話1


 マルク・スウェインは、寡黙なことで有名である。

 表情筋が死んでいるのかとも思えるほどには動くことなく、感情や思考が読み取れない。クラスメイトや教師でさえも気軽には話しかけられず、さらには学校にもあまり来ないものだから、より周囲から浮いていた。

 彼が学園に来ないのは不登校というわけではなく、単に軍の会議や訓練に参加しているからである。

 マルクの父、スウェイン元帥は、息子を学校に通わせる必要はないと思っている。妻が「それではダメだ」と言ったから仕方なく通わせているだけで、通学をさせなければならないという意識があまりない。だからこそ父はマルクを連れ回すし、マルクもまた、学園に行くよりはと将来自分が担う仕事に慣れるべく父の言うことに従っていた。

 つまるところ、マルクは学園ではなかなかレアな存在だった。

 学園ではとにかく目立つ。身の丈が一九〇センチもあるために、ひっそりと登校しても必ず認知される。さらには変わらない表情、不思議な雰囲気、不可解な言動。マルクには友人が少なく、一緒にいるのはストレイグ家の次男であるウィシュアくらいなものである。

 そんな彼が、とうとう専攻学科のある日に通学を果たした。

 ユリシアも気付いてはいたが、手合わせをしたいなどと言っていたのはふた月も前のこと。きっと忘れているだろうし、冗談で言った可能性もあるからと放置をしていた。

 しかし。

「ユーフェミリアさん」

「ヒィ!」

 一九〇センチもあるガッチリとした大男が、気がつけばユリシアの背後に立っていた。気配はなかった。足音もしなかった。こんな巨体が移動をしたというのに、あまりに不自然なことである。

「な、何、あ、初めまして、ユリシア・ユーフェミリアです」

「はじめまして。マルク・スウェインです」

「……何か?」

「手合わせをしたく」

 マルクの言葉に、周囲がざわりと揺れる。

「おいマルク。女相手に本気だったのかよ」

「男も女も関係ない。戦場では平等だ」

「出たよ脳筋」

 ウィシュアの制止も聞かず、マルクは模擬刀をユリシアに渡す。

「……どうして私と?」

「冷静な判断が出来る者が戦場では一番強い。あの日のユーフェミリアさんは心を乱すこともなくあの場を制した。そういう判断ができる者と手合わせをしてみたいと思った」

 まったく意味の分からない理論だが、マルクの中では大切な線引きなのだろう。

 ユリシアは仕方なく模擬刀を受け取る。なんとも最悪なことに、今日の授業は模擬試合だ。さすがに教師も危険だと思ったのか、ユリシアとマルクの間に割って入った。

「スウェインくん。きみの相手が出来る者は少ないだろう。きみは私と組みなさい」

「嫌です。おれはユーフェミリアさんと組みます」

「怪我人が出てからでは遅いんだ」

「嫌です」

「……先生、私はいいですよ。どうせすぐに負けますから。そうすればスウェインくんも分かってくれると思います」

 どうにも引かないマルクを、ユリシアはため息混じりに引き受けた。教師は数度ユリシアを引き止めたが、ユリシアが引かなかったために最後には諦めたようだ。とはいえ、すぐに守れるようユリシア側で待機をすることに決めたらしい。

「あーあ。大丈夫かな、あいつ」

「私は大丈夫だと思いますよ」

「で、殿下! いつからそちらに……」

 広い場所に移動する二人を目で追っていたウィシュアの後ろに、いつの間にかシオンが立っていた。いつもの優しい笑みを浮かべている。ウィシュアはすぐに姿勢を正す。

「むしろ、マルクを気にかけてあげてください」

「……マルクを、ですか」

「ええ。……ほら、もう少し近くで見ましょう。いつでも彼を守れるように」

 ウィシュアにはシオンが何を言いたいのかが分からなかったが、ひとまず言われたようにマルク側で待機をする。他の生徒たちも興味津々だ。なにせ、マルクが騎士学に出たのは初めてのことで、その腕前も初披露である。”幼き鬼神”と軍部で呼ばれる所以をその目に焼き付けたくてたまらないのだろう。

 模擬刀は女子生徒には少し重たい。騎士学を専攻している女子生徒の中でも、ユリシアだけがいまだに重たそうに模擬刀を使う。ユリシアは普段諜報ばかりをしているから実戦向きではないのだ。模擬刀を使うたび、そんなことを思い知らされた。

「手加減はしないでくれ」

「申し訳ないけど、そんなことをする余裕はないよ」

 どうせ最初の一撃で終わりだ。あまり痛くなければ良いのだが……防具をつけているとはいえ衝撃は伝わるのだろうから、それを受ける覚悟は必要である。

「試合始め!」

 教師の言葉が大きく響く。

 先手を打ったのはマルクだった。素早く踏み出し、ユリシアに刀を振り下ろす。他の生徒とは気迫が違う。スピードも段違いだった。

 ユリシアはただ、マルクの肩の動きを見ていた。

 横からの一撃。それを瞬時に理解し、間一髪のところで避ける。当然ながら追撃があった。しかしユリシアはそれらもかわし、マルクからなんとか逃げ回る。

 スピードについていけない。見ていた生徒たちは思わず息を飲む。

「……よく見えるな、アレが……」

 誰かが呆気にとられた様子で呟いた。いつユリシアに当たってしまうのか。それが気になり目が離せない。しかしどうにも当たらない。マルクに焦りはないが、ユリシアは必死だった。


「……あいつ、どうしたんだ?」

 ユリシアの様子がおかしい。だけど何がおかしいのかは分からない。ウィシュアは「どうしたんだ」とは言ったものの、どうしてそう思ったのかはほとんど直感だった。

 逃げ回る時間を終わらせたのはマルクだった。

 ユリシアの足を引っかけた。ユリシアは大きく転倒し、受け身をとる。直後、真上から刀を叩きつけられたが、ユリシアはなんとかそれも避けた。

「良い目だ! 完全におれの動きを見切っている!」

 アドレナリンがあふれたように、マルクは楽しげに笑っていた。周囲の生徒はゾッとした。容赦のない迎撃を繰り返すマルクの刀が当たってしまったら、ユリシアのようなか弱い女子生徒はどうなってしまうのか。想像しただけで青ざめる。

 けれど。

「……なんで、あいつも笑ってんだよ」

 それは、気持ちの悪い光景だった。まるで初めて外に出た子どもが遊んでいるかのような、無邪気で純粋な笑顔に見えた。

 マルクもユリシアも、何が楽しいのかヘラヘラと笑っている。当たれば最後の模擬試合だ。その中でそんな表情を浮かべるだろうか。

「打ってこい! 逃げているだけでは終わらない!」

 マルクの怒号に怯えたのは周囲だった。ユリシアはぐるりとマルクの一撃を避け、言われた通りに一発打ち込む。しかしマルクには当たらない。隙をついたカウンターがユリシアを襲ったが、ユリシアはそれも寸前のところでなんとか避けた。

「はっ……楽しくなってきた……!」

 二人の距離が開く。ユリシアは肩で息をしているが、マルクは余裕がありそうだ。

 ユリシアは笑っていた。見たこともない笑顔だった。ウィシュアはその表情から目が離せなくて、止めなければと本能が騒ぐ。

 仕掛けたのは、今度はユリシアからだった。

 最初の動きはなんだったのか、まるでマルクのように滑らかに動く。マルクはユリシアの迎撃をいなしながら、隙をついて打ち込んでいく。

 先ほどとは展開が反転した。気がつけばユリシアが押している。

「ああ、まずいですね」

 茫然と突っ立っていたウィシュアの隣、ずっと試合を見守っていたシオンが動いた。

 教師は慌てたようにシオンを引き止めに走る。

「殿下、お下がりください!」

「私より……このままでは、マルクがバラバラにされますよ」

 不穏な言葉を吐かれ、教師は思わず動きを止めた。

 その隙にシオンが二人の元に追いついた。ユリシアが刀を振り下ろす。マルクはやや体勢を崩していたが、刀で受けようとなんとか腕を振り抜いた。

 ユリシアの刀がマルクの刀に触れる直前。

 滑り込んだシオンの手がユリシアの刀に触れそうになったところで、ユリシアが突然、弾かれたように数メートル後ろに吹き飛んだ。

「大丈夫ですか、マルク」

「……殿下……なぜ……」

「あなたも気付いていたでしょう。これ以上は危険です」

「ユリシア!」

 ウィシュアがとっさに駆け寄った。倒れていたユリシアはふらつきながらも起き上がると、先ほどとは打って変わって、毒の抜けたような顔をしていた。

「な、何……? びっくりした」

「びっくりしたのはこっちのほうだ! ……殿下、いったい何が……」

 シオンが優雅にユリシアの元にやってきた。ユリシアには何が起きたのかが分からないから、どうしてマルクとの試合中にシオンが目の前に居るのか理解ができない。

「何もありませんでしたよ。試合は引き分けです」

 周囲もマルクも、ウィシュアでさえぽかんとしていた。そんな中シオンが笑っているものだからなんだか不気味だったのだけど、ユリシアには何も分からなかったから、ただ「そうですか」としか言えなかった。

 その後、新たな噂が立つ。

 ユリシア・ユーフェミリアが“幼き鬼神”と張り合い、打ち負かして、高らかに笑っていたのだと。


       *


「あれ、お花捨てちゃったの? せっかく伸びてきてたのに」

 花壇の前でせっせと土をいじっていた女子生徒は、突然声をかけられてびくりと大きく肩を揺らした。

 おそるおそる振り返る。そこには思ったとおり、女子生徒の思い人であるクラン・ストレイグが居た。

「あ、え、えと、捨てたわけではありません。クラン様からいただいたものですから……その、枯れそうだったので、今は茎を切って水に挿しているんです」

「水に?」

「はい。……その、お、教えていただいたんです。そうすれば元気になるからと……」

「……へえ。あの花のことを?」

 それはなかなか珍しい話だ。

 ユリシアはアルシリウス帝国には咲かない花である。それは気候のせいでもあるし、おそらく土壌のせいでもあるのだろう。ユリシアとは存外繊細な花であり、だからこそクランはそれが咲いたところを見てみたくて女子生徒にプレゼントをした。

 ユリシアがよく咲くのは隣国、クライバーン公国である。アルシリウスに住む者にはユリシアの育て方など分からないはずだ。

「それ、誰に聞いたの?」

「え……あ、えっと、確か、お花と同じ名前の……」

「ああ、彼女か」

 ユリシア・ユーフェミリアは確かに、顔立ちや発音がアルシリウスのものではない。

 先日は大衆の前でリナリア・アックスフォードを庇い、そしてマルクを打ち負かしたという。よく話すのは同じクラスのアグドラ・シウォンと、王太子の婚約者であるリナリア、そしてクランの弟であるウィシュアと、たまにリナリア経由で王太子であるシオンとも関わっている。

 アグドラを除けば錚々たる顔ぶれだ。通常、平民が関わるような人物ではない。

 あえて、自分から関わりにでもいかない限りは。

「クラン様?」

「ふふ、楽しみだね。ユリシアって、どんな花が咲くんだろう」

「あ、あの……絶対に咲かせますね」

「うん、ありがとう。僕ね、僕のことをたくさん考えてくれる子って大好きなんだぁ」

 クランは魔性の笑みを浮かべ、女子生徒の頬にキスをする。女子生徒はそれだけでもう体から力が抜け、その場に腰を抜かしてしまった。


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