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第6話

「私もアックスフォードさんも、その子のノートに悪さなんかしてない」

「……う、嘘つかないでよ。もう分かってるんだから」

「嘘じゃないよ」

「あなたはあの日、この子がどんなふうに貶められたか見ていなかったでしょ。気分が悪かったわ。殿下に物を拾ってもらっただけなのに、わざとぶつかったんだとか、平民のくせにいやらしいとか!」

「ねえ、そこのあなた」

 ユリシアは、ずっと俯いている被害者の女子生徒に視線を向けた。

「あなたは少しでも、殿下のことを好ましいと思っていなかったの?」

「ちょっと、話をすり替えないで」

「すり替えてないよ。……どうなの? かっこいいって思った? 恋人になれたらなあって思ったことはない?」

「そんなの、殿下のことを知る女の子なら思って当然じゃない」

「だから、アックスフォードさんは怒ったんだよ」

 ユリシアに突っかかる少女が、睨む目つきで息をのむ。

「アックスフォードさんは殿下のことが大好きなだけなの。だからあなたのことをライバルとは思っていなくても、良い気分にはなれなかった。わざとだと思った。色目を使っているんじゃないかって腹が立った」

「それがみんなの前で辱めて良い理由にはならないわ!」

「今、アックスフォードさんはみんなから攻撃されて同じ目に遭っているのに、あなたたちはそれをされたら立派に怒るんだね」

 リナリアがそっと歩み寄る。ユリシアの肩を叩き「もういい」とでも言いたげだったが、ユリシアはその手を思いきり振り払った。

「私、ずっと思ってたんです。アックスフォードさんはいじめられていますよ」

「…………わ、わたくしが?」

「はあ? 何を言い出すの? いじめてるのはそっちじゃない」

「ねえ、その切り裂かれてたノート、いつ見つかったの?」

「? 今日の朝一番よ。ゴミを捨てようとしたら見つけたの」

「誰が見つけた?」

「さっきから何? この子本人が見つけたのよ。そのときの気持ちなんか分からないんでしょうね」

 リナリアは話についていけず、まだキョトンとしていた。言われたことがよほど納得できなかったのだろう。

「あなた、自分でそれをやったんじゃない?」

「ちょっと! それは言いがかりってもんでしょ!」

「だって無理なんだよ。アックスフォードさんは誰よりも通学が遅いの」

「それは……ノートを切り裂いてから後から来たふうに見せることだってできるし」

「やらないよ。……アックスフォードさんはね、意外と気にしいだからできないんだよ。通学も遅いし、昼休みも絶対に外に出る。クラスメイトに気を遣って出来るだけ教室に居ないようにしてるの。知ってるでしょ」

「取り巻きはご主人様を守るのに必死ね。話にならない」

「偏見ばかりで話し合いをしようともしてくれないくせに」

 ユリシアがあまりにも淡々としているからか、クラスメイトも何も言えないようだ。

 そんな中で口を開いたのは、ずっと俯いて座っていた被害者の女子生徒だった。

「わ、私、いじめられたんですよ。それなのにどうして、その人ばかりを庇うんですか」

 どこか悔しそうな声だ。泣きそうなのか、肩が震えている。

「その人は使用人にもキツく当たっていますよね。あなただって近くで見てるじゃないですか。それなのにその人を庇うなんて、あなたの人間性を疑います」

「そ、そうよ! みんな見てるんだから!」

 いきり立つ女子生徒たちを前に、ユリシアは一度息を深く吐き出した。

「……アックスフォードさんって寒がりなの。昔から体が弱くて、だからいつも厚着してるんだって」

 間が空いたと思えば、言われたことはそれである。だからなんだとでも言いたげに、クラスメイト一同眉を寄せる。

「猫舌だから熱いものは飲めないし、苦いものが大嫌い。甘いものが好きだから、食後のデザートはいつもマカロンばっかり食べてる。よく食べられるよね、あんな砂糖の塊」

「それがなんですか? 今は私がいじめられているって話を、」

「そんなこと、ここ数ヶ月の付き合いの私にも分かるのに、十年も一緒にいる使用人が知らないなんてことあると思う?」

 ようやく理解をしたのか、リナリアがハッとしたように顔を上げた。

「冷える日に、わざとブランケットを渡さないの。わざと熱い紅茶を入れて、わざと苦味のあるお菓子を出すの。あの使用人はね、アックスフォードさんがどう怒るのかを分かっていて、自分が被害者に見えるように仕向けて、アックスフォードさんをいじめてるんだよ」

「……そんな……ありえませんわ。どうしてそのようなことを……」

 考えたこともなかったのか、リナリアが呆然と呟く。

「さあ。それは本人に聞いてみないと分かりません」

「ちょっと、だからってこの子が自分で演出をしたことにはならないでしょ!?」

「少し気になる話をしていますね。何事ですか?」

 教室がざわめきに揺れた。気がつけば廊下にいた野次馬も、入ってきたその人物に釘付けになっている。

「シオン様……」

「で、殿下! 今、アックスフォード侯爵令嬢がこの子をいじめているという話を、」

「やめて!」

 突然張り上げられた声に、教室が静まり返った。視線はすべて、被害者の女子生徒に向けられている。

「……だってずるいじゃないですか。どうしてそんな性格なのにあなたは何でも持っているんですか。少しくらい嫌な気持ちになってくれたっていいじゃない。少しくらい痛い目に遭ったっていいじゃない。嫌われてくれてるくらいがちょうどいいと思ったんだもの」

「……どういうこと? ほ、本当にあんたが自作自演したってこと?」

「だって……だって、許せなかった。うらやましかった。嫌な気持ちになってほしかった。この学園で一人ぼっちで、寂しくて惨めな思いをしていてほしかった」

 リナリアが不安げにしていたからか、シオンが隣に寄り添った。クラスメイトは動かない。全員が気まずそうに目を逸らしている。

「……アックスフォードさんは意外と単純で素直でチョロいよ。褒めるとすぐ調子に乗って、嘘をついてもすぐ騙されてくれるし。そういうところが憎めないっていうか、私は気に入ってるんだけど……嫌なところを見つけたいなら、難しいかもしれないね」

「……お、お待ちになって? 今、わたくしのことを言いましたの?」

「? はい」

「わたくしのことを、チョロいと言いましたの?」

「あ、すみません。……だけど私、そういうアックスフォードさんを見せていけばいいと思うんです。アックスフォードさんの単純で素直でチョロい姿を見せたら、みんなアックスフォードさんがいじめをするような人じゃないって分かってくれます」

 焦ったように訂正をするユリシアに、リナリアは憤怒の表情を向ける。しかし言葉は出ないのか、唇をはくはくと動かすばかりである。

「あの……すみませんでした。私……ひどいことをいたしました」

 二人のなごやかなやりとりに、女子生徒が割って入った。声に覇気はない。リナリアはすでに気にしていないのか、ユリシアを睨みつけている。

「わたくしが羨ましいのは当然のことですわ。わたくしはすべてを持っておりますもの。貧乏な平民に不幸になってくれと願われるほどでなければ困ります」

 相変わらずの不遜な態度に、女子生徒はさらに俯いてしまった。

「……まあ、このわたくしに食ってかかってきた平民の気概にはハッとさせられました。これから国を作っていくのはやはり、こういった底力のある若者たちですわね」

「あ、あの……?」

「わたくし、本当に怒っておりませんのよ。このような些細なこと……わたくしに対しチョロいと言ったこの無礼な平民が大事にしなければ、正直受け流していたような出来事ですわ」

 強い語尾と共に、ユリシアの足が強く踏みつけられる。

「いたた、すみません。……些細なこととか言って、いつまでも教室に居ようとしないじゃないですか。学園生活は数年とはいえ、楽しめた方がいいと思いますけど」

「余計なお世話ですわ!」

「いたたた!」

 ぐりぐりと踏みしだかれては、ユリシアも我慢ができない。逃げ出そうとするものの、その足は一向にユリシアの足の上から離れなかった。

「……ふふ。きみがそんなにも生き生きしている姿を初めて見ました」

 シオンが穏やかに微笑む。クラス中が頬を染めた。もちろんリナリアも例外ではない。

「彼女は本当は繊細で寂しがりやなんです。皆さんが良ければ、これからも仲良くしてくださいね」

「シ、シオン様、恥ずかしいのでおやめになって」

「リナリィ、私は所用があるのでもう行きますが、これからはこのような騒ぎを起こさないでください。心配をしますから」

「……分かりました」

 リナリアの手の甲にキスを落とし、シオンが教室から立ち去る。その直前、ちらりとユリシアを見たが、何かを言うことはなかった。

「私たちも行きましょう。お昼ご飯を食べないと」

「そうですわね。テーブルを用意させているの。……あの使用人にも話を聞きたいところですわ」

 ユリシアとリナリアはいつも通りに教室を後にする。

 残されたクラスメイトと野次馬だけが、どこかバツの悪そうな顔をしていた。


 リナリアはこの事件以来、クラスメイトとの会話が少しずつ増えているようだった。

 互いにぎこちないものの、無理に外で食事をすることはなくなった。たまにユリシアが訪れないときにもそれなりに接しているようだから、むしろ会いに行く頻度を減らしたほどである。

 しかしなぜか、ユリシアはいまだにクラスメイトからおかしな目で見られている。なんというか、嫌っているとは違うのだが、どこかそわそわとする落ち着かない視線である。

 そのため教室には居られず、かといってクラスメイトと交流を頑張るリナリアを連れ出すわけにもいかず、お昼にはいつもウィシュアのもとを訪れていた。

「あー、あれだろ。憧れじゃね? あのときのお前、ヒーローっぽかったし」

「そうなの? というかウィシュアもあそこに居たんだ」

「さすがにあんなに人が集まってたら何かって思うだろ。クランもお前に興味ありそうだったよ」

 ウィシュアを崩すつもりでいるからクランの関心は不要なのだが。思わぬところで収穫があり喜ぶべきなのかも微妙である。

「……おまえ、良くも悪くもまっすぐだよな。怒鳴ったりしねえの?」

「さあ。したことないけど、分からないよ」

「ふぅん」

 猫に構い飽きたのか、ウィシュアは弁当を食べているユリシアの隣に腰掛けた。

「そうだ。あのときマルクも見てたんだけどさ」

「へぇ。通学してたんだ」

「お前が騎士学だって言ったら、実技で手合わせをしてみたいって」

「…………ん?」

「あいつ変わり者だから」

 つまり、次の騎士学で話すチャンスがあるということだろうか。

(マルク・スウェインと手合わせとか……)

 いったい何がどうなってそんなことを思ったのか。

 リナリアはどちらかといえば座学より実技のほうが好きではあるが、得意かと言われれば話は変わる。ましてや相手はスウェイン元帥の息子だ。幼い頃から剣技を叩き込まれたサラブレッドである。勝てるわけがない。無傷でも終われないだろう。

「っと、そろそろ戻ったほうがいいな」

「あ、うん。……ごめんね、いっつもここに逃げてきちゃって」

「……別に。気にしてない」

 ウィシュアは目を合わせることもなく、そそくさとその場を立ち去った。

 最初よりは慣れてくれていると思う。会話もスムーズだし、自然に振る舞ってくれるようにもなった。最初なんか隣に座ることさえしてくれなかったのだ。それを思えば随分成長したものである。

 取り残されたユリシアは、まだ構ってほしそうな猫をひと撫でして、ウィシュアに続いてその場を離れた。


「リナリア・アックスフォードが教室に居たが、一緒にいたんじゃなかったのか?」

 教室に戻ってさっそく、話しかけてきたのはアグドラである。周囲はやはりそわそわとした視線をユリシアに向ける。正直落ち着かない。

「あー、最近はちょっと別のところに行ってるの」

「別の? おまえ友達いたのか」

「失礼なこと言わないでよ。そりゃ、アックスフォードさんとシウォンくんくらいしか話してるイメージないかもだけど」

「ないな」

 リナリアはともかく、ユリシアのほうはいまだにクラスメイトと距離がある。この状態では「イメージにない」と思われても仕方がないだろう。

 しかし、こうしてアグドラがユリシアに話しかけても、クラスメイトたちに強引に引き離されることはなくなった。ユリシアにはそれがなんとなくありがたい。

「最近はウィシュアとご飯食べてるの」

「……ウィシュア? ウィシュア・ストレイグか?」

「まあね。……教室に居づらいから相手してもらってる」

「それなら俺を呼べばいいだろ」

「シウォンくんは最近ずっと引き離されてたし、一緒にいる習慣もなくなったしさ」

「お前は習慣で人を選ぶのか」

「人間は習慣で生活をする生き物だよ」

 それに、ウィシュアに近づくチャンスでもある。アグドラと居るのは楽だが、効率を考えれば「楽」という感情を選ぶわけにもいかない。

「それなら、また俺と居れば習慣になるということだな」

「無理に習慣にしなくても」

「ユリシアはもういらっしゃるかしら」

 唐突に教室にやってきたリナリアが、ユリシアを見つけて優雅に歩み寄る。しかしすぐにアグドラを見つけ、少しだけ体を強張らせた。

「どうしました?」

「どうしたもこうしたも。あなた、迎えに来る頻度が少なくなっているのではなくて? 少し前にこちらに訪れましたけれど、どちらかに行っているようでしたわね」

「あ、はい。少しご飯を食べに」

「まあ! 信じられませんわ! あなた、このわたくしよりもそちらを優先したということですの?」

「でもアックスフォードさん、クラスメイトの子たちともうご飯食べられるでしょう?」

「まあまあ! わたくしがあなたをそんなふうに利用をしていたとでも言いたいのかしら! だから平民はすぐに疑ってイジ汚いと言われますのよ。このわたくしの食事の相手に選ばれていること、もっと光栄に思ってくださる? さぞわたくしが眩しいのでしょうけれど、その眩しいわたくしがわざわざこちらまで出向いておりますのよ?」

「今日はやけに機嫌がいいですね」

「ふふ、殿下からいただいたネックレスをつけておりますの。どうかしら」

「それを見せたくて私を呼びたかったんですね。よくお似合いです」

「……おい、ユリシア」

 アグドラの言葉に、ユリシアとリナリアの動きが止まる。リナリアは、目が落っこちそうなほどまん丸に見開いていた。

「明日は俺と飯。分かったか」

 途中で割って入られたことが気に入らないのだろうか。まるで子どものようにつっけんどんに言ったアグドラに、ユリシアは苦笑を漏らしながらも「分かったよ」と返事をしておいた。


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