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のんびり潜入はじめました。〜そのスパイ、正体不明につき〜   作者: 長野智
最終章

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最終話

「――それで、私の処分はどうなりますか。眠る前の記憶はあります。ハウンド・ラックさんにも酷いことをしました」

 ましてや、シオンの思い人を傷つけた。

 ユリシアは鼻の頭がツンとするのを感じ、とっさに俯いた。

 封印などせず、殺せばよかったものを。思うのはお門違いなことばかりである。

「処分とは?」

「だから、私のことをどうするのって話。……ハウンド・ラックさんが私に、世界のために死んでくれって言ったの。両親もそう言ってた。世界にとってこの魔力が邪魔で、恐ろしいものだってことももう充分理解したよ。殺すなり利用するなり、いろいろ処分があるでしょ」

「誰がそんなことを、」

「そもそも私はアルシリウスに潜入した密偵だったの。それだけで重罪になる」

「……はぁ。頭が痛い」

 シオンが不機嫌そうに顔を歪め、一応確認なのかシウォンを見上げる。シウォンは笑いを堪えているようだった。

「どうしてそれでお前が殺されることになるんだ」

「生きることを望まれたことなんかなかった。こんな力があるなら尚更、誰にも望まれるわけがないもの」

 触れるだけで人が壊れるかもしれない。魔力を扱う練習をしている間、ユリシアはなぜかそんな焦燥感に駆られた。かつての魔力の記憶だろうか。自分は触れるだけで人を壊し、触れずとも殺すことができるんだぞと、そう主張されているような気がした。

「……それではシオン様、私は部屋に戻りますので、あとはごゆっくり」

「変に気を利かせるな。……だがまあ、感謝はしておく」

 ユリシアとシオンを二人きりにするなど、正気の沙汰とは思えない。ユリシアはシウォンの行動に驚きを浮かべたが、当のシウォンはにこやかに頭を下げさっさと部屋から出て行った。

「……シオンくんも戻りなよ。明日また話そう」

 忘れていたが、今は就寝前である。変なときに目覚めてしまった。

「……いや。明日になったらうるさい奴らが押しかけるだろうからな。二人で話せるときに話しておきたい」

「うるさい奴ら?」

「リナリアやらストレイグやら……サリハもスウェインも、この三年ずっと心配していた」

「そうなんだ……でも、私が近づいたら危ないとか思わないの? みんな貴族だし、近づけないほうがいいとか……」

「俺がそう思っていたとして、どうせ全員言うことなんか聞かない」

「……ふ、ふふ、そっか」

 ユリシアは、彼らと再会をしても良いのか。

 それならば後腐れもなく処分を受けられそうである。最後にみんなと笑う時間があるのなら何の未練もない。シオンとだって、イリシスも居ないこの時間だけは気兼ねなくユリシアだけが彼を独り占めをしていられる。どうせ数分のことだ。イリシスには目を瞑ってもらおう。

「ところでおまえ……ストレイグの弟に求婚された件はどうするつもりだ」

「え……ああ、そうだったね。それは断ったよ。帰る家なんかないけど、アルシリウスに残るつもりもなかったから。シオンくんには『考えろ』って言われたけど、結局アルシリウスに残る想像もつかなかったし」

「……へえ」

 渋い顔をして、まったく興味もなさそうにつぶやく。興味がないのなら聞かなければ良いものを……けれども相手はあのシオンである。彼は無駄な会話を好む。ユリシアからすればそれはつまらないものだったが、あの時間は嫌いではなかった。

「でも考える必要なかったね。こうなった今、私が解放なんかされるわけないし」

「……そうだな。今のままなら、おまえは世界魔法機関に魔力持ちの登録をして、危険性が高いからと抑止力であるシウォンの居るアルシリウスの監視下に置かれる」

「別に殺してもいいんだよ?」

「何のために殺す必要がある。おまえはその魔力をもう扱えるんだろ?」

「そうだけど……でも私、触れるだけで人を殺せるんだよ。世界征服だってできる」

 ――世界は、ユリシアを生かす選択をしないだろう。

 ユリシアが反旗を翻せば、世界は勝つことが出来ない。どれほどの戦力があろうとも、どれほどの戦略があろうとも、ユリシアの魔法の前ではすべてが子どもの拳のようなものである。

「あれから三年が経ったなら……私ももう二十歳……もうすぐ二十一歳? 思ってたよりも長生きができたし、想像以上に学園生活は楽しかった。年相応のことをして、会話をして、これ以上はないってくらい」

「……突然おかしなことを言うんだな。まるで人生が終わるような物言いだ」

「終わるんだろうなって思ってるよ。……シオンくんとの会話がね、本当は一番楽しかった。シオンくんも同じ密偵だと思ってたからさ、楽だったのもあるんだと思う。ハウンド・ラックさんと居るのを見て嫌だなあって思ったのも、シオンくんを取られて悔しかったのかも」

 しかしシオンに好ましい相手が現れたのならば仕方がない。ユリシアが邪魔をするわけにもいかないし、友人ならば応援すべきだ。奪われるという感覚もおかしなもので、そもそもシオンはユリシアのものというわけでもない。

「お前は……自分が何を言っているのか分かってるのか?」

 シオンは自身の額に手を当て、顔をうつむける。深いため息が聞こえた。

「何って……楽しかったよありがとうって話」

「そうじゃないだろ」

 シオンがようやく顔を上げる。その目は鋭く、ユリシアは射抜かれたように動けなくなった。

「ハウンド・ラックは国に帰した。あいつはハリウスからの刺客だったんだ。学園に侵入者が多い時期があっただろう。あれを仕向けたのもハウンド・ラックだ。まあ、アクラウドがすべて始末していたからうまく行かなかったようだが……そのせいであいつ自身がお前に手を下すために転入して来たんだから本末転倒か」

 そういえばユリシアが遅刻をして裏門から入ったとき、セヴェリが侵入者を始末していたことがあった。

「学園祭の爆発も……?」

「あれはハリウス国王が雇った刺客だな。ハリウスはお前の黒魔法に気付き、畏怖からお前の命を狙っていた。ヴィルスィリス閣下がお前を『仕事を依頼する』という大義名分でアルシリウスに逃したわけだが」

 ヴィルスィリスといえば、ユリシアに緩い依頼を投げた老年の男である。

 ユリシアにはそのヴィルスィリスがユリシアを逃す理由も、そしてセヴェリがユリシアを狙う密偵からユリシアを守る理由も何も分からなかった。

「……言っておくが、俺がハウンド・ラックの側にいたのは監視をするためであって、あいつのことを好いていたわけではない。……お前とも、監視のつもりで側にいた。最初はな」

「……え、だけど……ハウンド・ラックさんはシウォンくんが好きって……」

「お前の恋人が俺だと聞いて奪ってやりたくなったんだろう。あいつはお前が嫌いだったからな」

 途端に、ユリシアの心が軽くなる。ニヤついてしまいそうで、必死に顔をきゅっと引き締めた。

「……別に、監視という名目ならお前を恋人にする必要なんかなかった。むしろ目立つような行動は避けるべきだったから、ならないほうが良かったんだろうな」

「? え、あ、そうなんだ?」

「だがおまえが前日にストレイグの家に行き、挙句ストレイグの兄にまで気に入られ、リナリアがどれほど牽制しても暴走しやがるあの兄弟と、シウォンまで俺を煽るもんだから……」

「ど、どうしたの、大丈夫?」

「あー、つまり……衝動的に俺のものだと宣言する程度には、俺はおまえのことが気に入ってる」

 再び俯いたシオンの頬は真っ赤だった。

「あ、ありがとう……?」

「意味、分かったのか」

「うん。シオンくんも同じように私との時間を楽しんでくれてたことは伝わった」

「……伝わってないな」

 シオンは俯いたままため息を吐き出した。かと思えば、次にはユリシアを抱き寄せ、腰から強く抱きしめる。

「お前と居るのは気兼ねなく、楽しかった。ずっと、王となるために優秀であろうと踏ん張っていたが、お前と居ると気が抜ける。息ができる。頑張らなくていいと思えるんだ。……これがどういう気持ちなのかは分からないが、良い言葉が見つかるまで、俺の側に居てくれないか」

「……でも私は、」

「今は気持ちだけが聞きたい。俺はお前が嫌がるなら、もう二度とこんなことは口にしない」

 シオンの手を取るということは、苦労を選ぶということだ。

 なにせ彼は王太子である。側にいるだけでも大変な立場で、きっとこれまでとは見られかたも変わる。楽しくないことも増える。辛いと思えることもあるだろう。

 ユリシアは、近くにあるシオンの頭にすり寄った。シオンの体がぴくりと揺れる。彼も緊張しているのだろう。ユリシアの手が自身の背に触れると、抱きしめる力がますます強く変わる。

「じゃあ、それまでは仮の恋人だね」

 ユリシアの返事を聞いてようやく、シオンはユリシアの肩越しに安堵の笑みを漏らした。


 アルシリウスの王が代わり、シオンが王となるのはそれから数十年後。

 王妃の黒魔法はアルシリウスにかつてないほどの安寧をもたらし、国民からもっとも支持を得られる夫婦となるのだが、そんな未来が訪れるのはまだまだ先の話である。


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