第17話
リナリアの演奏は素晴らしいものだった。貴族も平民も関係なく聴き入るほどで、最後には拍手喝采で幕を閉じた。
ユリシアは次に大ホールへ向かう。今度はウィシュアの演舞がある。今年度はマルクの演舞が特に期待されているらしく、ウィシュアは気が重いと言っていた。
移動中。そこでまたしても、ユリシアはふと視線を遠くに向けた。
誰かに見られている気がする。
アグドラはちらりとユリシアを見たが、視線を追いかけてそれだけだった。
(誰? ……敵意は感じないけど、ずっと見られてる)
ユリシアに危害を加える者だろうか。あるいは、ただ監視しているだけか。だとすればリリングレーが近くに居る……?
(ううん。リリングレーさんはこんなに分かりやすくない)
両隣の夫婦はどちらも玄人だ。出会ってすぐにあえて気配を悟らせただけで、それ以降はユリシアにはまったく悟らせない。おそらくあれも「監視しているぞ」と気付かせるための演出であり、本来であれば最後まで悟らせないこともできたのだろう。
今ユリシアを見ているのは、リリングレーほどの者ではない。彼女よりもまだ素人だ。
(今は私だけじゃない。ここにはシウォンくんも居るし、アックスフォードさんやウィシュアたちだって)
ユリシアが狙われているとするなら密偵とバレているからなのだろうが、それに周囲を巻き込むのは本意ではない。
ユリシア一人でどうにか対処をしなければ。
視線の主に敵意を向けた瞬間、アグドラと繋がっていた手が突然弾かれた。
「いッ、」
まるで激しい静電気が生じたような感覚だった。
「落ち着け」
アグドラはいたって冷静に手を繋ぎ直す。
「手は離すなよ。迷子にならないようにな」
「……そのために?」
「当たり前だろ」
ユリシアは少し違和感を覚えたが、それ以上は深追いしなかった。
ウィシュアとマルクの演舞が始まると、リナリアのときのように周囲は一気に魅了された。男の演舞だというのにどこか美しく、途中で入る試合のような軽い打ち合いからも目が離せない。
ユリシアにはできない動きだ。ユリシアは相手を叩きのめすためだけの動きに特化しているから、魅せるような動きは向いていない。その部分はセンスになってくるのだろう。普段とは衣装も違うから、まるで知らない人を見ている気分にさせられる。
演舞が終わると、ウィシュアがユリシアを見つけ勝ち気に笑う。だからユリシアも手を振っておいた。
「次はストレイグ兄のところだったか」
「うん。ありがとう、付き合ってくれて」
「別に。……放置しておくほうが気になるからな」
「シウォンくんて苦労性だよね」
「ユリシアさんだ。クランくんを見にきたの?」
魔術披露がおこなわれるのは、魔術師学で使用している学園の敷地内に建っている神殿である。
ユリシアとアグドラがやってきてすぐ、打ち合わせをしていたユーリスが慎重にやってきた。
「あ、こんにちは。アグドラ、くん……?」
「はい、こんにちは」
二人の間に、どこか気まずげな空気が流れる。しかしユーリスの視線はしっかりとユリシアとアグドラの手元に落ち、そこが繋がれているのを見つけてすぐ上目で伺うようにユリシアを見た。
「仲良しなんだね」
「私が迷子にならないようにってしてくれてるの」
「そうなんだ」
ユーリスが真偽を問うようにアグドラを一瞥する。その表情から何を察したのか、ユーリスはすぐに「うん、そのほうがいいよ」と細かく頷いた。
「クランくんは今準備中なんだ。ユリシアさんが来てくれたって伝えておくね。クランくん、ユリシアさんのこと大好きだからさ」
「あ、うん、ありがとう」
「もちろんぼくも大好きだよ。じゃあぼくも準備に行くねー」
ご機嫌なユーリスは準備に向かうべく勢いよく駆け出したが、すぐにつまずいて頭からスライディングしていた。基本的には治癒術で治すと言っていたから心配は要らないのだろうけれど、見ている分には痛々しい。
「随分懐かれたものだな」
「クランは女の子が好きなだけだし、サリハくんも人懐っこいだけだよ」
「…………そうか?」
アグドラは腑に落ちない顔をしているが、ユリシアは構わず観覧席に向かう。
途中、神殿の照明が落ちた。魔術披露が始まるらしい。周囲が見えなくなってしまったから、ユリシアは仕方なく立ち止まった。
アグドラと少し距離が生まれたが、どうせ近くにいるのだろうと探すことはしなかった。
『紳士淑女の皆様。本日は魔術実技披露の場にお越しいただきありがとうございます。二年、四年、六年の優秀生徒が、魔術とはどのようなものか、どれほど美しいものかをご覧に入れましょう』
スポットライトの真ん中で、ローブに仮面をつけた男が進行する。おそらく教師だろう。その言葉に合わせて出て来たのは、ローブにオレンジのピンバッジをつけた二人だった。六年の生徒のようだ。学年ごとに色分けがされているから見分けることも容易い。
ユリシアは実は魔術を目の当たりにするのは初めてだから、楽しみでもあり、そして少し緊張もあった。
生徒が魔術陣を展開すると、その中から光が溢れた。雪の結晶のように輝くそれは、観覧席に降り注ぐ。暗い神殿が一気に明るく変わる。観覧していた全員が見入っていた。
「……すごい」
結晶は灯り代わりのようだ。浮かんだままでぴたりと止めると、生徒は次々に魔術を魅せる。
素質持ちとは、これほどまでの力があるのか。これもアルシリウスの脅威といえる。魔法が使えずとも、こんな集団が居たのでは攻めることも難しい。
(報告しなきゃ……)
六年の演出が終わると、結晶は失せ、ふたたび神殿は闇に包まれた。
ほどなくして、パッと照らされる。スポットライトだ。ローブに仮面をつけた男が立っていた。
『それでは、私からはほんの余興を』
先ほどの教師とは声が違う。気付いた瞬間、ユリシアは男と目が合った。
この暗闇の中、人が大勢いるというのに。
嫌な予感がした。ユリシアは反射的にその場から駆け出す。とにかくこの場から離れなければと、本能的な行動だった。
『逃しませんよ』
男の足元に魔術陣が広がる。周囲は演出と思っているらしく、騒ぎ立てることはない。
魔術陣から光る一線が伸びた。それは地面を這ってユリシアを追い、駆けるユリシアにとうとう追いつく。
『さようなら、』
ユリシア、と、誰かが叫んだ。アグドラかもしれないし、クランかもしれない。それに振り返ったと同時。
追いついた一線にユリシアの足が着地すると、地を揺らすほどの轟音が空を裂いた。
神殿を崩すほどの爆発だった。巻き込まれた人数も多く、幸い被害のなかった者は我先にといち早く逃げ出す。
「ユリシア! クソ!」
アグドラは混乱して逃げ惑う人々の中を逆走する。悲鳴で鼓膜が張り裂けそうだ。巻き込まれて血を流す者たちの呻き声もある。しかしそちらはすでに、魔術師学の教師や生徒たちがつとめて冷静に治癒術をかけていた。その中にはユーリスの姿もある。ユーリスも視線だけはユリシアを探している。
「ユリシア!」
ようやく人の波から抜け出すと、アグドラは真っ直ぐに爆発の中心に向かった。
ユリシアの姿はどこにもない。吹き飛ばされたのか。
「ユリシア! どこに、」
「ユーフェミリアさんならご無事です。落ち着いてください」
必死に探すアグドラの側にやってきたのは、やや焦った様子のシオンだった。その腕の中にはぐったりと横たわるユリシアがいる。意識を失っているようだ。
シオンがユリシアをそっと下ろすと、アグドラはすぐさま駆け寄った。
「犯人は」
「影に追わせました。が……」
ユリシアの状態を確認するアグドラを尻目に、シオンは自身の元に戻って来た影の言葉に耳を傾ける。
「一足遅かったようですね。アクラウド先生に先を越されました」
「? アクラウド?」
「セヴェリ・アクラウドともう一人が犯人を回収したと」
ユリシアに外傷はない。衝撃で意識を失っているだけのようだった。
「……なぜアクラウドが?」
「分かりません」
「今回のこと、奴が関係あるということか。そういえば赴任時期もおかしかったな。前任のナターリエ教諭は現在何をしてる」
「不思議なことに、一切の情報が不明です。アクラウドについても。……ですが、より入念に調べさせましょう」
「う……」
「ユリシア!?」
ユリシアがゆるりと起き上がると、アグドラがすかさず上体を支えた。
「なに、なんか……すごい飛ばされた」
「爆発を受けた感想とは思えませんね。あなたでなければ肉塊になっていましたよ」
「お前……だから俺から離れるなと」
「ユリシア! 無事なの!?」
クランはやってくるなりユリシアの側に膝をつく。今にも泣きそうな顔だ。
「ああ良かった。何が起きたかと……ユリシアが無事で良かった……」
「……ちょっとまだぼんやりするけど、大丈夫みたい。クラン、なんかあっちが大変そうだから、救護応援に」
「……うん。安心できたから、これで全力で治癒術を使えるよ。アグドラ、ユリシアのこと頼むね」
先ほどとは打って変わって、クランは強い顔をして混沌の中に戻る。シオンの白魔法は使えない。ここでその力を露呈してしまえば、それこそ他国に脅威として伝わるだろう。
とはいえ、シオンがこの場にいると気付いた護衛がとんでもない形相でシオンを連れて行ったから、白魔法を使う機会も無さそうだった。
「い、たー……ごめんシウォンくん、もう大丈夫」
ユリシアは頭を押さえながら、ようやく自身の力で座る。意識がはっきりとしてきたようだ。
「何が起きたの? なんか変な男と目が合って……」
「爆発に巻き込まれたんだ。幸いお前は無傷で済んだが」
「そっか。……ごめんね、巻き込んだかな」
ユリシアは、爆発に巻き込まれて苦しむ生徒や保護者を睨むように見つめる。
「視線はずっと感じてたのに……」
「お前を狙ったわけじゃない。考えるな」
「……シウォンくんが無事で良かった。クランもサリハくんも大丈夫みたいだね」
この場にリナリアとウィシュアが居なくて良かった。ユリシアはそればかりを思う。
(やっぱり、私がクライバーンからの密偵だって誰かに知られてるんだ)
刺客は殺される。セヴェリだって裏門で何者かを手にかけていた。よその密偵からしてもユリシアの存在は邪魔なのだろう。
(今回はたまたま誰も周りにいなかったから……)
リナリアもウィシュアもクランも、アグドラだって爆発から離れていた。奇跡的なことだ。万が一この場にいたら、無事で済んだかは分からない。
もしも誰かが近くにいたら――。
「落ち着け」
ユリシアの思考を悟ったように、アグドラが凪いだ声を出す。ユリシアの目がゆるりとアグドラに向けられた。
「俺は大丈夫だ。ストレイグ兄もサリハも何もない。お前は何も考えず、今日のところは家に帰れ」
「……だけど危なかったんだよ。シウォンくんも、クランもサリハくんだって。アックスフォードさんやウィシュアもたまたま居なかっただけ。もしも居たなら巻き込まれてたかもしれない。――殺すべきだよ。そんなことをしようとする奴らはみんな、早く殺しておかないと、」
「ユリシア」
アグドラの手がユリシアの目元を覆う。ユリシアは自然と目を閉じた。
「大丈夫だ。俺たちは死なない。お前も手を汚す必要はない」
目を閉じているからか、アグドラの言葉が余計に強く感じられる。
少し、感情が昂っていたかもしれない。
爆破に巻き込まれて焦っていたのだろうか。ユリシアはいつもなら淡々としているものだが、今ばかりは冷静でいられなかったらしい。
大丈夫だと言われれば、大丈夫だと素直に思えた。きっとアグドラが言うからだろう。ユリシアが落ち着いて数度頷くのを確認し、アグドラもようやく手を離す。
「シウォンくん、ありが、」
ユリシアがお礼を言おうと目を開けると、すぐそこにアグドラの顔があった。
近い、と思う間も無く、唇が重なる。本日三度目の感触だ。なぜこのタイミングで。
「……シ、シウォンくん……?」
「ん、なんとなく」
「なんとなく……!?」
「いいだろ、減るもんでもないし」
「減る。確実に私の中の何かが減ってる」
差し出された手を取ると、存外力強く引き上げられた。
そういえば身長が同じほどになった。華奢だと思っていた体も、筋肉がついたかもしれない。
アグドラはまたしてもユリシアと手を繋ぎ、ユリシアをその場から引き離すように神殿から遠ざかっていく。連れられるユリシアも小走りになるほどだ。
「……お前、セヴェリ・アクラウドにはあまり関わるなよ」
「? どうして?」
「どうしても」
アグドラは振り返らなかったが、その声は少し強張っていた。
余談だが、後にこの騒動にユリシアが巻き込まれていたことを知ったリナリアとウィシュアが、この日から過度にユリシアを守るようになったことは言うまでもない。




