第14話
その日のユリシアは珍しく寝坊をして、いつもなら毎朝顔を合わせる両隣のご夫婦とも会うことなく駆け足で学園に向かった。ユリシアは足が早いから学園まであっという間ではあるが、それでも間に合いそうにない。近道をするため身軽に壁を飛び越え、直線距離で学園を目指す。
この通学道ではたどり着くのは裏門だ。裏門には厳重なセキュリティロックがかかっているが、ユリシアは裏門のパスコードを知っている。問題は、裏門から入っては六年棟が一番近くにあるということだ。つまり二年棟まで行くには少しばかり距離があり、ここからもまだまだ走らなければならない。
裏門を通過し、ユリシアは二年棟に向けて駆け出した。
それと同時だった。
サプレッサーで潰した銃声が聞こえた。ユリシアに届くほどだから近いのだろう。サプレッサーで音を抑えているため、六年生には何かの音に聞こえるのかもしれないが、聞き慣れているユリシアからすればそれは間違いなく銃声だった。
学園内でそんな大それたことが起きるのか。ユリシアにはそれがどうにも信じがたい。
(……侵入者がいるって言ってたっけ)
それならば今の銃声は、学園内の誰かが犠牲になった音だろうか。
ユリシアは思わずそちらに足を向ける。侵入者は六年棟のほうが多いと言っていたが、それは裏門から侵入しているからなのだろう。パスコードを知らずとも、業者の出入りがあるのがそもそも裏門である。そこに紛れて忍び込めば造作もない。
気配を消し、ユリシアはひっそりと壁から覗く。いったい何が起きているのか。場合によっては警戒しなければならないため、確認は必須だ。
そう思ったのだが。
「ユリシア・ユーフェミリアか。二年がなぜここに居る」
覗いていた先から聞こえてきたのは、セヴェリの呆れた声だった。
「遅刻だぞ。ああ、裏門から入ったのか」
「アクラウド先生」
観念してセヴェリの前に姿を出したユリシアは、飄々と話すセヴェリの足元に視線を落とす。
「……それ、侵入者ですか?」
セヴェリの足元には、血を流して倒れている見知らぬ男が居た。
年齢的に学園生ではない。服装も違うし、刃物を持っていて物騒だ。すでに息も絶え絶えで、セヴェリの手には銃が握られているから、何が起きたのかは一目瞭然だった。
一般の養護教諭が、なぜサプレッサーを付けた銃を持っているのか。
ユリシアの目が訝しげにセヴェリに向けられる。
「そうだな。前に言っただろ、困ったことに、こういうのが増えてるんだよ」
見つかって焦る様子もなく、セヴェリは腰に付けたホルスターに銃を戻す。
「慣れているんですね、銃の扱い」
「……気になるか?」
「それなりに」
「ガキが気にすることじゃない。早く行け」
どうやら、バレたからといってユリシアを殺そうとすることはなさそうだった。
そうなれば敵対する理由もない。ユリシアは言われた通りに教室に向かった。
やはりセヴェリはどこかの密偵なのかもしれない。“誰か”を殺そうとしている侵入者こそがセヴェリであり、そしてその邪魔をされたからあの男を殺したのではないだろうか。
やけにしっくりとくるその考えに、ユリシアは一人で強く納得をした。
(だけど、どうして私にバレても焦らなかったんだろう……)
通常であれば焦って殺しそうなものだが、セヴェリは「早く行け」と言った。油断をさせようとしているわけでもなさそうだった。その矛盾が違和感を残している。
(……裏門付近なんて、あんな人通りが少ないところで目撃されたなら殺せばいいのに……)
殺そうとするどころか、むしろ落ち着いていた。
(人通りが……?)
自身の思考に、教室に向かっていた足が止まる。
――そうだ。裏門付近は人通りが少ない。業者がやってくるときには担当教諭と警備が対応をするようになっているが、業者が来なければ誰も訪れないからである。
最近では侵入者が多いために長時間警備を配置しているそうだが、巡回の時間になれば、つい先ほどのように持ち場を離れる。しかし基本的には業者が来なければ侵入される隙もないため、学園はセキュリティを信じて警備を増やすなどもしていない。
つまり、学園からすれば、業者が来ない限りには裏門から入った誰かが学園内に居るわけがないのだ。
それなのにセヴェリはやってきたユリシアを見て「裏門から入ったのか」と納得をし、何かを問いただそうとすることはなかった。
ユリシアが裏門から入ることが出来ると知らない限り、その様子はおかしいのではないだろうか。
「……まさか、バレてる……?」
ユリシアが密偵であると知っているのなら辻褄は合う。殺されなかった理由にはならないが、学園生を殺すデメリットが大きいことを思えば手を出さないことも納得ができた。
(ううん。あくまでも一説。決めつけるのは良くない)
あらゆる可能性を考えながら、遅刻確定のユリシアは教室に急いだ。
遅刻をしたユリシアには罰が課せられた。ただでさえ少し前に終わったテストで気持ちが落ちているから、すでにどん底である。
ちなみに、テストの出来は悪くなかったが、自信があるほどではない。
「遅刻の罰で、半月間の追加課題か」
放課後、教室に残っていたユリシアを見つけ、アグドラがやってきた。他には誰も居ない。アグドラはひとまずユリシアの前の席に座り、課題を覗き込む。
「……遅刻をすることによって今後どのような影響が出るか、また予防のため毎日のタイムスケジュールを立てよ? なんだこれ」
「レポートを書いて、タイムスケジュールを立てるの……期限は半月。レポートの文字数は二千字以上で。終わらなかったら課題追加だって」
「そもそもなぜ遅刻なんかしたんだ」
「寝坊しました」
テストからの解放が気を緩めてしまったのかもしれない。
昨日はお隣の美男美女夫婦から差し入れをもらった。食材ではなくスイーツをくれるのは珍しく、タイミングもあって浮かれたのだろう。お風呂に入り、差し入れを食べてからの記憶が曖昧だ。やけに寝付きが良かった。あの差し入れに何かを混入された可能性が高いが、目的に心当たりはない。
「シウォンくんはどうしてここに?」
「……お前が見えたからな」
「律儀だなぁ」
「律儀?」
「真面目だなって思って」
「意味が分からん。……そういえば、学園祭は誰かと回る約束をしてるのか?」
「あー、学園祭ね」
ユリシアはペンを動かしながら、アグドラを見ることなく言葉を続ける。
「私、学園祭は休もうと思ってるの。だから誰とも約束はしてないよ。シウォンくんも休むんじゃないの?」
「…………俺は二年代表で一年間の振り返りと来期に向けての豊富を発表することになっているが?」
「わお、お疲れ様……優秀なのも大変なんだね……」
アグドラは小さく「そんなんじゃない」と否定をすると、軽くため息を吐く。
「……出ないのか、学園祭」
「もしかして、出たほうが“都合が良い”?」
やけにその話を引っ張るなと聞いてみれば、アグドラはユリシアを一瞥したのち、「そうだな」と小さく返す。
「なるほどね。じゃあ出ようかな」
「やけにあっさりしてるな」
「出る意味もないから休もうかなって思ってただけだから。シウォンくんが出てほしいって言うなら来るよ」
「……出てほしいとは言ってないだろ」
「シウォンくんの発表も見に行くし」
「来られても……いや、そうだな。そのあと合流して適当に回るか」
各学年の年間最優秀者の発表は、大講堂で朝一番におこなわれる。絶対に聞きに行かなければならないことはないが毎度ほとんどの生徒が集まるため、特に興味もないユリシアでもその波に乗れば不自然ではないだろう。
「そういえば、シウォンくんは誰かに誘われなかったの? 女の子とか」
「……あー、まあ別に。俺が何のためにお前と恋人だと公言したと思ってる」
「私はいろんな意味で都合が良いってことか」
「そうだな」
なぜか眉を寄せるアグドラに、課題に目を落とすユリシアは気がつかなかった。
――二人が居る教室の前。
そこに立っていた男は二人の会話がひと段落ついたところで、見つからないようにとその場を離れた。
白衣のポケットから端末を取り出し、ワンコールでどこかに繋ぐ。
「閣下、アクラウドです。お加減はいかがですか」
通話先の男は、いつものように落ち着いた声で言葉を返した。
「そうですね。存じておりますよ。……進捗は悪くありません。……はい。はい。そのつもりです」
放課後の学園には誰も居ない。セヴェリの影が長く伸び、オレンジの陽が差し込んでいる。
セヴェリは少しばかり相手の言葉に耳を傾け、そして淡々とした調子で吐き出した。
「学園祭は好機です。狙うなら人も多いその日でしょう。確認したところ警備は増えますが、まったく隙がないわけでもありません。……いえ、増員は必要ありません。私とルセフとシルヴィアネだけで充分かと。この学園はどうにも、難解なセキュリティを組むからこそ過信しているところがあるらしく。……ええ、必ず。我らがアカツキ王国のために」
男が通話を切ったのを確認し、セヴェリもそれをポケットに戻す。
気だるげな横顔に影が落ちた。
陽が沈む。あたりは薄暗く、遠くからパタパタと駆け出す二つの音が聞こえた。
「いいねぇ、青春」
セヴェリの言葉は誰に拾われることもなく、闇の中に消えた。




