第13話
「ユリシア、おはよう」
翌朝。ウィシュアと共にクランが教室までやってきた。ウィシュアとクランのツーショットはとんでもなく目立つ。最近見られなかったために反動がとてつもない。
話すのなら場所を移そうかとユリシアは立ち上がったのだが、ウィシュアもクランも察しているはずなのに動かなかった。
「昨日はありがとう。おかげでウィシュアと本当の意味で分かり合えた。ユリシアが背中を押してくれたからだよ」
「いや、私は何も……」
「またうちに来いよ。今度はクランも参加すっから」
ウィシュアの言葉に、教室がざわりと揺れた。このままではまたしても噂が立てられるだろう。それはダメだとユリシアがすかさず口を開く。
「あ、ありがとう! またアックスフォードさんと、勉強会のために、ウィシュアの家にお邪魔させてもらうね」
「ふふ、ユリシアは大変だねぇ」
「分かってるならウィシュアを放置しないで、ちょっとは言う前に考えさせてよ……」
「無理だよ。ウィシュアはこれが良いんだから」
「何の話だよ?」
クランが唐突にユリシアの隣にやってきて、ユリシアと腕を組む。クラスメイトの女子生徒から抑えた悲鳴が聞こえた。
「僕ね、これからはユリシアの側に居ようと思うんだよね」
「え! いや、クランの側に居たい女の子は山ほどいるから……」
「僕が一緒に居たいと思ったのはユリシアだったよ」
ウィシュアは「それいいな」と言うだけで引き離そうともしてくれない。ウィシュアはともかく、クランは自分の影響力を知っているはずである。
どうにか取りやめてもらうには何を言えば良いか。ユリシアはひたすらそこに頭を使う。
「ユリシアが何者であっても、僕は味方だからね」
「ん? 何か言った?」
「なんでもないよ」
「どういうことですの……!」
教室に入った途端、リナリアがユリシアとクランの距離感を見て顔を青ざめた。また「婚約者でもない男女が〜」と言いたいのだろう。
「ストレイグ様、離れてくださいまし!」
「わ! びっくりした」
リナリアが丁寧な仕草で強引にユリシアを引き離す。
「ユリシアにはお相手がおりますのよ。軽率に触れるべきではありませんわ」
「そうなの?」
「あー、だからそれは違ったんだって。昨日言っただろ。シウォンは、」
「俺が何か?」
教室の入り口には、アグドラがムッとした顔で立っていた。
「シウォン。アックスフォードが勘違いしてるからどうにかしてくれ。オレたちがこいつと何かをするたびにアックスフォードに止められるんだよ」
「だってそれは……」
「シウォンくん、きみはユリシアと恋仲なの?」
公衆の面前で何が始まったのだろう。
この場でまったく状況に追いついていないのはユリシアだけである。ユリシアを置いてけぼりにして、クラスメイトたちがまたしても何かを囁き合っている。
これ以上目立つのは勘弁願いたい。どこにいても視線が張り付くというのはなんともストレスなものだ。
「ク、クラン。私とシウォンくんはお友達だから。……一年期に一緒に居たのは同じクラスだったからだし、今は一緒に居ないでしょ?」
「お前が隠したがっていたから言わなかったが、そろそろいいんじゃないか?」
え、なにを?
反射的に飛び出しそうになった言葉を、ユリシアは笑顔でのみ込んだ。
リナリアは相変わらず顔色が悪い。ウィシュアとクランは、アグドラの発言から何かを察したようだ。ユリシアにはまったく見に覚えのない「何か」を。
「ってことはお前、」
「俺とユリシアは恋人同士だ。よく覚えておけよ」
そんな、いつの間に。呑気なことを思っている間に、教室が悲鳴に包まれた。
ユリシアはとっさにアグドラを連れ出した。ウィシュアもクランもポカンとしていて、追いかけてくることはない。
とにかくアグドラに意図を確認しなければ。ユリシアはアグドラをいつもの裏庭に連れ、ようやく手を離す。
「何アレ、どうしたのシウォンくん。何のための何の嘘? また変な噂が立つ……!」
「ちょっと都合が良くてな」
「……ああ、なるほど?」
ユリシアの見立てではアグドラも密偵だ。その仕事の中で何かがあったのかもしれない。
「やけに物分かりがいいな」
「……シウォンくん、この学園に通わないといけない理由があるんでしょ? それの都合なのかなって」
アグドラは何も言わず、ユリシアの言葉を待っている。
「シウォンくんにとって私は、“普通”の学生を装うための装飾品なんじゃないかなって思うの。居なくても良いけど、居たらより強く“普通感”が出せるというか。だから私と一緒に居るんだよね?」
「……人間というのは、自分の物差しや感覚でモノを言うそうだが」
間を置き、アグドラが続ける。
「お前は俺を“普通”と見せるための存在だと思っているということか?」
ユリシアはじっとアグドラを見ていた。その視線が揺れることはない。嘘をついていたり誤魔化そうとしているならどこかに異変が起きそうなものではあるが、そんな様子は一切見られなかった。
だからこそ、奇妙だった。
「まさか。私はシウォンくんのこと、良い友達だと思ってるよ」
「……それなら良かった」
「うん。シウォンくんのことは忘れないと思う」
「なんだ、まるで遠くにでも行くみたいな言い方だな」
「だって私、クライバーンの人だから。こっちに居る理由がなくなったら帰らないと」
きっと卒業は待たずに戻ることになるだろう。もしかしたら、ユリシアが任務中に戦争が起きるかもしれない。ユリシアは捨て駒だ。国はユリシアの命など顧みない。
死に様は美しくありたいが、こんな仕事をしている以上はそうも言っていられない。
ユリシアの色褪せた一生の間に、この学園に来て、少しでも楽しいと思えることが起きた。あまり贅沢を言ってはバチが当たる。
(……うん。楽しい)
そう思える奇跡が少しでも訪れただけで、ユリシアはもう充分だ。
「……別に、残ってもいいんじゃないか? こっちで職を見つけるとか」
「……アルシリウスで?」
「ああ。俺が紹介してやれる」
「確かに。シウォンくん、年間最優秀だし将来有望だよね。……いいねぇ、そんな未来」
そんなことをしようものなら、ユリシアは殺されるのだろうけれど。
(死ぬのは良いけど、殺されてやる義理はないし)
そこが難しいところだ。
「というか待って、私シウォンくんの恋人になっちゃったんだけど、大丈夫かな……女の子に恨まれたりとか」
「デメリットばかりを考えるな。お前、噂を立てられるのが嫌だと言っていただろ。俺の恋人なら誰も口を出せない」
「とんでもなく傲慢な自信なのに納得しちゃう不思議。でもそうだね、その辺りは安泰かも」
――だけど、アグドラはリナリアに叶わぬ思いを抱いているのではなかったか。
「……シウォンくんって、好きな人に勘違いされても大丈夫な人?」
「話がまったく分からないが……もし好きな相手が居たとして、俺は勘違いをされるようなことをしないぞ」
「ふぅん?」
つまり、吹っ切ろうとしている、ということだろうか。恋愛の価値観は人それぞれだが、アグドラはなかなか現実的で諦めも早いらしい。とはいえ、ライバルが王太子ともなるとさすがに勝負すら挑まないのだろうから、仕方がないことなのかもしれない。
「恋人って、これまでと何か変わる?」
「変わらないな。昼食の機会が増えるくらいか」
「そっか。それならいいや。……私、シウォンくんとは気まずくなったり、話せなくなるとか嫌だからさ」
リナリアやウィシュアは貴族であり、立場もあるから、いつかユリシアに騙されたと知りユリシアを恨むだろう。
アグドラはそこには含まれない。だからこそ、最後まで美しい思い出として抱いておける。
アグドラは最後に「お前は頑なだな」と、ユリシアには分からないことを言った。




