第9話
「風の噂で知った」
「え、私まだ何か言われてる……?」
「お前はなにかと目立ってるぞ」
「今もだよね。シウォンくんが話しかけるから」
「俺のせいじゃない」
言葉を続けようとしたアグドラを遮るように、教室から女子生徒がアグドラを呼んだ。ひょこりと顔を出し、ユリシアが共にいることを知ると謝罪をして引っ込む。ほとんど一瞬の出来事だった。
「モテるねぇ」
「そういうのじゃないぞ」
「いいじゃない、青春ぽくて。シウォンくんもいつかは結婚するんだし、今から恋愛楽しんでみたら?」
そうしてくれたら、リナリアやウィシュアから突っ込まれることも無くなるだろう。
ユリシアは何の気無しに言ったのだが、アグドラはどう思ったのか固い表情のままだ。
「……恋愛か」
「あれ? 食いつくんだ」
「食いついたわけじゃないが……俺には無縁なものだなと」
「へぇ、もったいないね」
「もったいない?」
「シウォンくんて格好いいし頭も良いから、良い遺伝子残せそうなのになって」
ユリシアの思いがけない言葉に、アグドラがパチパチと目を瞬く。
「格好いい? ……お前が、そう思ってるのか?」
「え? うん。シウォンくん顔はいいよ? 身長は低いけど」
「…………一言余計なんだよ」
教室から、先ほどアグドラを呼んだ女子生徒の視線が突き刺さる。いい加減痺れを切らす頃合いだろう。
「それじゃあね」
「あ、待て、俺も一緒に、」
「来てどうするの。子どもじゃないんだから大丈夫」
ユリシアが少し離れると、チャンスとばかりに教室から女子生徒が飛び出した。アグドラは囲まれ、教室へと引っ張られていく。視線だけはユリシアに向いていたが、ユリシアはさっさと救護室へと向かったために気付いていなかった。
ユリシアが救護室に入ると、気配で気付いていたのか、回転椅子に腰掛けたセヴェリ・アクラウドがすでに振り返っていた。
近くで見ればますますその容姿の良さが分かる。やはりアルシリウスの顔立ちではない。そもそも、アルシリウスの国民に黒い髪は居ないのだ。
「誰かと思えば……どうした?」
「手首に怪我をしているので、騎士学の見学証明をいただきたくて」
「ああ、そうだな。座ってろ」
セヴェリは重たそうに腰を上げると、自身の椅子の近くにユリシア用に椅子を用意した。ユリシアはそれに腰掛け、セヴェリが戻るのを大人しく待つ。
「……どうして騎士学なんだ? 女子生徒では珍しいだろ」
セヴェリは証明書を探しながら問いかける。
「実用的なので」
「実用? どこかで使う予定が?」
「いえ? ただ、医師学とか薬草学って、必要がなければ意味をなさないじゃないですか。それだけです」
「……なるほど、面白いな」
ようやく証明書を見つけたのか、セヴェリが回転椅子に戻る。
「先生はどこの出身ですか?」
今度はユリシアが問いかけた。
「どうしてそんなことが気になる?」
「珍しい名前だなと思ったので。……私、クライバーンの出身なんですが、クライバーンでもハリウスでも聞かない音です」
沈黙が落ちた。おかしなことを聞いたつもりはない。だがここでおかしな空気になるのは、聞かれたくないことだったと肯定しているようなものである。
やはりセヴェリは密偵なのか。だとすれば、どこの国の。
「……俺の名前は祖父母がつけたんだよ。かつての大国の王様の名前らしい」
「王様……」
「知らなくて当たり前だな。歴史にも地図にも載ってない国だ。そんな国の王の名前をつける者はいない。ほら、書いたぞ。怪我には気をつけろよ」
「え、あ、はい」
歴史にも地図にも載っていない。つまり架空の国ということだろうか?
ユリシアには分からなかったが、証明書を差し出されたため、受け取って立ち上がる。
「ああそうだ。最近侵入者が多いから、一人で行動はしないようにな」
「それ集会でも言ってましたけど、二年では何も話題になっていないんですよね。本当にそんな情報あるんですか?」
「ああ。六年の学年棟が一番狙われやすい位置にあるからな。二年棟まで伝わってないのは当たり前だ。……女子生徒を狙う侵入者が多いらしいから、特に気をつけなさい」
家柄の良い女子生徒を狙っているのであれば、その侵入者はただのネズミである。あるいは、女子生徒に絞られているということは、誰かを探してでもいるのか。
ユリシアはそんなことを思ったが口には出さず、「分かりました」と聞き分けの良いフリをして救護室を後にした。
*
最近、リナリアはシオンとよく過ごしている。昼休みは毎日のようにシオンが教室に訪れ、昼食を共にと連れ出してばかりだ。先日リナリアが体調を崩したことが原因だろう。どうあれ、ユリシアはもうその情報を流したから興味はない。昼休みになるたび、リナリアをにこやかに送り出していた。
「ストレイグくん、昨日の騎士学の実技でやってた動きなんだけど、教えてほしいところがあって……」
食堂に向かおうとしていたウィシュアを、クラスメイトの男子生徒数名が捕まえた。そのまま食堂に向かうようだ。一人残されたユリシアも「今日はどこで食べようかな」と、考えながら立ち上がったのだが、
「ユリシアさん、ちょっと良いかな?」
教室の外からユーリスが顔を出す。なぜか頭に包帯を巻いていた。
ユーリス・サリハといえば、次代の神官長としてすでにアルシリウスでは有名である。そんな有名人のご指名がまたユリシアかと、クラスメイトの興味が一気にユリシアに向けられた。
「……あ、うん。大丈夫です……」
ヒソヒソと何かを囁かれる。目立つのは本意ではない。いい加減噂を立てられる生活とはおさらばしたいものだなと、ユリシアはがっくりと肩を落とした。
ユーリスに連れられたのは、よく訪れる裏庭だった。一年期にウィシュアと昼食をとっていた場所である。その後もなにかと縁のある場所だが、最近ではクランと言い合いになったためにあまり良い印象はない。
「……その怪我、どうしたの?」
ユリシアがなんとなく尋ねると、ユーリスは近くのベンチに腰掛けながら口を開く。
「今朝、なぜか部屋のドアが開かなくて、遅刻しそうだったから窓から出たの」
「足を滑らせたとか?」
「うん。二階なんだけどね、いける気がしたんだよね」
自分の不幸体質を理解しているのに、どうして二階から降りることに「いける気」がしたのか。絶対に何か起きると疑わないあたり、不幸体質ばかりを責めてはいられない。とはいえ神経質になりすぎても気鬱になるばかりである。
ユーリスが明るい性格なのは、彼の向こう見ずで無邪気な本質があってこそなのだろう。
「でも脳震盪くらいだったから全然大丈夫。気を失ってたのも三時間くらいだったし」
「それ全然大丈夫じゃないけど……なんか持ち歩いてたら? クッションになりそうなものとか」
「持ち歩く?」
「転んだときに痛くないかなって」
ユーリスは不思議そうな顔をしていた。
「サリハくん、可愛い顔してるからぬいぐるみとか持ってたら似合いそう。ちょっと邪魔かもだけど」
ユーリスはますます不思議そうだ。
「できるだけ大きなやつがいいよ。緩衝部分が大きいほうが被害が少ないから」
「……ユリシアさんはぼくが悪いって思わないの?」
「悪い? どうして?」
「……ぼくが気をつけたらいい話だって思わない?」
「それは思うけど……でも体質なら気のつけようもないし、気にしすぎても疲れるだけだよ。それに、明るくいられるならそのほうがいい。サリハくんは今のままがいいよ」
――ユリシアはそのままでいいのよ。
施設でいつも一人だったユリシアに、施設長の女はそう言い続けた。
つまらない奴。面白くない。施設内でそう言われていたユリシアにとって、施設長の言葉は不思議でたまらなかったものだ。
まさかあのとき貰った言葉を、誰かに渡すことになるとは。
「……そう思う?」
「うん。だからぬいぐるみにしなよ。くまとかうさぎの」
「……うん。うん。そうしようかな」
ユーリスはどこか嬉しげに頬を染め、口元を緩める。
「“素質”持ちの代償なんだよね、この体質」




