第7話
クランが女好きであり、複数の女子生徒と交際していることは有名だが、分かった上でそうしている者ばかりではないらしい。
恋は盲目とはこのことか。噂すら頭の中から跳ね除けるとは。
「話しかけたのはそっちじゃないか」
言うに事欠いて、クランは小さくそうつぶやいた。
声にはどこか元気がない。女子生徒に罵られても平気そうだったことを思い出せば、原因はやはりウィシュアを引き合いに出されたことか。
(喧嘩したタイミングだし……)
胸に刺さることもあるのだろう。
ましてやクランは「自分がいつまでも引っ付いていることがウザいと思われている」なんて見当違いなことを思っている。
「わ、びっくりした。ユリシア、どうしたの?」
いつの間にいたのか、すぐ側にクランがいた。考え込んでいたユリシアは思わず飛び跳ね、数歩クランから距離を置く。
「ご、ごめん。聞くつもりはなかったんだけど」
「ああ、聞いてたんだ。別に気にしてないよ」
ウィシュアのこと以外はどうでもいいからと、そんな言葉が隠された気がした。
「お弁当持ってる……まだ食べてないの?」
「うん、どこで食べようか迷ってて」
「そうなんだ。じゃあ裏庭に行こうよ。もう猫は居ないけど、結構穴場だよね」
ついてこいとでも言いたげに、クランは先導して歩き始めた。ユリシアはクランと恋人ではないけれど、クランからすればユリシアは“女の子”であるために優しくする対象になるのかもしれない。
これが無意識の行動であれば、クランに恋をしている女の子たちはいろいろと大変そうだ。
「今日はウィシュアと一緒じゃないんだね」
「ウィシュアはスウェインくんと食べるって」
「なるほどね。マルクとは昔から仲が良かったから」
ユリシアは適当に座り、いつものように弁当を広げた。クランはまだ立ったままだ。いつも猫が現れていた茂みを見つめて動かない。
「……ユリシアは、どうしてウィシュアと仲良くなったの?」
「きっかけってことなら、一年期の頃、教室に居辛くてここに来てたからかな」
「……そうだったんだ。そういえばユリシアが仲間外れにされてる時期があったね」
やはりクランはウィシュア以外のことには興味がないらしい。
ユリシアの答えを聞いて納得をしたからか、クランはようやくユリシアの隣に腰掛ける。
「あの猫、密偵だったんだって」
「……猫が?」
ユリシアの問いかけに、クランは静かに頷く。
「猫は殺されたよ。だけどもっと早くそうなっていたら良かったのにね。そうしたらウィシュアはここに来なくて、ユリシアとも仲良くなってなかったかも」
どうやら、ウィシュアが猫を目的にここに来ていたことは知っていたらしい。ウィシュアの動きを事細かに把握しているのはさすがというべきか。
クランがユリシアを見ることはない。その目はただ自身の手元に落とされる。
「ユリシアと仲良くなってから、ウィシュアは全然僕に構わなくなった」
「そんなことないよ」
「僕はね、女の子が大好きだけど、ユリシアのことは好きじゃない」
傷つける意図はないような声音だ。淡々として落ち着いている。だからユリシアも静かに聞いていられた。
「ごめんね、こんなことを言って。どうしても羨ましくて」
「私が?」
「そうだよ。……ウィシュアはカッコいいでしょ。決断力も、みんなを引っ張る強さもある。実力もある。父さんにも認められてる。……僕はウィシュアに嫌われてるから側にいられないけど、ユリシアは気に入られてるから側にいられて羨ましい」
「……そんなことないよ」
「誰が見てもユリシアは気に入られてるよ」
「クランは嫌われてるわけじゃない」
言葉の後、数秒の間が落ちた。
「慰めてくれるの?」
「慰めとかじゃなくて、本当にそう思うだけ」
クランはじっとユリシアを見たが、ユリシアが自身の弁当に視線を落としていたから、すぐに前を向いた。
「……何も知らないくせに」
普段穏やかで優しいクランにしては刺々しい言葉だった。
ユリシアは振り返ったが、今度はクランが前を向いていて目が合わない。
「ユリシアはいいよね。ウィシュアにも、あのアックスフォードのご令嬢にも気に入られて。みんなが憧れる人たちの側に簡単に居られる。……ユリシアには分からないよ。太陽に憧れる気持ちなんか」
まるで嘲るような声だった。攻撃性があり、意図的にユリシアを傷つけようとしている。
「ユリシアに分かるわけない。ひとりぼっちになんかなったことないんだろ。いいよね、幸せに生きてこられた人は。僕は誰かにお願いをしないとずっと一人だった。ウィシュアにすがっていないとおかしくなってしまいそうだった。ウィシュアは僕のヒーローだ。僕を救ってくれた。ウィシュアが居なかったら僕は生きていなかった。……ユリシアには分からないよ。こんな気持ちが分かるわけない。薄っぺらな慰めなんか必要ない。何も意味がない」
「クランが私のことを嫌いなのは分かったけど、それとウィシュアがクランを嫌ってないことは別だよね?」
かちゃんと強い音をたて、ユリシアは弁当に箸を置く。
「クランがウィシュアに嫌われてるって思い込む理由を私のせいにしないでよ。そうやって思うのはクランが卑屈でねじ曲がった面倒くさい性格をしてるせいだよ。ウィシュアはクランを嫌いなわけじゃない。それは間違いないの。ウィシュアのことを信じられないだけのくせに、私のせいにするなんてお門違いもいいところ」
ユリシアは知っている。ウィシュアは真っ直ぐで、嘘をつくような男ではない。ぶっきらぼうで口は悪いし愛想もないけれど、思ったことはしっかりと相手に伝えるし、不器用な優しさもある。
そんなこと、ユリシアよりもクランのほうが分かっているはずだ。
「僕からウィシュアを奪ったのはユリシアじゃないか」
「だから論点がズレてるって言ってるの。奪ったつもりはないけど、じゃあ奪っていたとして何? ウィシュアは私と一緒にいるとクランのことを嫌うの? 意味が分からないよ」
「ユリシアが悪いんだろ! ユリシアさえ居なかったら僕たちは変わらなかった! ずっと二人で一緒に居られたんだ!」
「そんなことないって分かってるくせに。ウィシュアがクランから離れたのは私と一緒に居るようになる前からだった。私が居ても居なくても関係ない」
「うるさい!」
クランが腕を振り上げる。けれどその拳が落ちることはなく、ユリシアの頭上で震える。
「他人になんか分かるわけがない! 僕がどんな気持ちだったか! 僕にどれだけウィシュアが必要か! ユリシアはたくさん持ってるだろ! ウィシュアぐらい僕に返してよ!」
クランは泣きそうな顔をしていた。いつもは穏やかに微笑んでいる表情が、今ではすっかり歪んでいる。ユリシアを憎むように睨みつけている。
けれどもユリシアは動かない。クランを負けじと睨め上げ、クランの瞳から涙が伝うのを静かに見届けた。
「……クランが思うほど、私は何も持ってない。残念ながら……何も渡せそうにないよ」
ユリシアの声が落ち着いていたからか、クランの振り上がったままだった手がゆっくりと下りる。
「安心してよ。どうせ私はすぐ居なくなるんだから」
「……居なくなる……?」
「だって私、クライバーンの人だもん。ずっとアルシリウスに居るつもりなんかないよ」
それでなくても、卒業なんかするつもりはない。
きっと数年ですべてが終わる。そのときユリシアは、リナリアにもウィシュアにも恨まれることになるだろう。
「ウィシュアにもウィシュアなりの考えがあるみたいだから、話聞いてあげてよ。そういう話をするために呼び出すのとかウィシュア苦手そうだし、ちょっとだけ助けてあげて」
「……なんだよそれ。僕が聞き分けのない子どもみたいじゃないか」
「私たちまだ十七歳だもん。聞き分けのない子どもで当たり前だよ」
ユリシアが少しだけ眉を下げて微笑んだからか、クランは言い返すこともなくただ静かに「分かったよ」とだけつぶやいた。




