第6話
「そういえば、学園祭の有志をそろそろ募り始めると聞きましたわ。あなたたち何かいたしますの?」
食事を終えた教室への道中、思い出したようにリナリアが問いかけた。ウィシュアはどこかすっきりとした顔をしていたが、リナリアの言葉を聞いて一気に眉を寄せる。
「……騎士学二年代表として、マルクと一緒に演舞させられる……」
「た、大変だね……」
騎士学の代表と言うなら、マルクが選ばれるのは当然のことだ。そしてウィシュアの騎士学での成績はいつもマルクの次だったから、きっと何かがあるときの相方はウィシュアが選ばれるだろうということも想像に難くない。
ただ、成績上位者は学園祭で強制的に何かをさせられるということを知らなかったということが、ウィシュアの衝撃を大きくしているのだろう。
ちなみにシオンは魔法が使えるため、騎士学の実技はマルクかウィシュアとしかおこなえない。そうなると成績も付けづらく、座学、実技ともに実質トップの成績ではあるのだが、成績順位からは除外されている。
「実はわたくしもヴァイオリンを演奏いたしますの」
「へえ、すごいですね」
「よく分かっているじゃないユリシア。ふふ、ユリシアには特別に、わたくしの演奏をもっとも近くで聴ける席をご用意しますわ」
「すごく嬉しいんですけど……学園祭って出席自由らしいので、私はお休みしようかと」
カラン、と響いたのは、ユリシアの背後に立っていたクラスメイトがボールペンを偶然落とした音だった。しかしリナリアとウィシュアの表情にぴったりの効果音だ。なぜか二人はあんぐりと口を開け、信じられないものを見る目でユリシアを見て固まっている。
「ユリシアあなた……学園祭に出ないおつもり!? 平民が大義名分もなく貴族並みの立食パーティーに参加ができますのに!」
「出ないのか?」
「うん。私はいいや。一日家でのんびりしてたい」
「なんてこと! ユリシア、出席はするべきですわ。庶民には一生縁のない贅沢がこやせますのよ。それに、奇跡的な確率ですけれど、ここで貴族との縁談がまとまることだってありますの。なにより、わたくしの演奏が無料で聴けますのに!」
やけに必死なリナリアにやや流されそうになったが、ユリシアはすぐに「それでも」と苦笑を浮かべる。
「縁談とか私には程遠いというか……一生縁なんかなさそうなので」
ユリシアが今のようなことを続けているうちは家庭なんて築けないだろう。それ以前に家族というものも分からないし、そんなユリシアが誰かと寄り添えるわけがない。
ユリシアはきっといつか、仕事で失敗をして無惨に息絶える。そんな未来しか見えなかった。
「分かりませんわよ。ユリシアは平民の割には小綺麗にしておりますし、教養もない割には人気がありますもの。お隣のクラスの彼とか、ここに居るストレイグ様も……ねえ?」
「はあ? なんだよその聞き方。オレを巻き込むな」
「ちなみにマルク様も騎士学が同じときには引っ付いておりますわね」
「ありがとうございます、アックスフォードさん。気を遣わせてすみません。でも私、本当に出るつもりとかなくて、ご飯にも縁談にも興味がないので」
どうにかしてユリシアを説得したかったリナリアは、ユリシアが結局欠席に落ち着いてしまい、不服そうに唇を尖らせた。気の向いたウィシュアが宥めようとするが、リナリアはつんとそっぽを向く。ユリシアはやはり苦笑するばかりである。
そんな和やかな中、あと少しで教室に着く、という角を一つ曲がったところで、ユリシアよりも華奢で小さな人影が飛び出してきた。
「うわっ! 何!?」
「見つけた!」
ユリシアに抱きついて、驚いたように顔を上げる。
大きな眼鏡に、女の子のように愛らしい容姿。見覚えのあるその人物を前に、ユリシアは彼を支えるように抱きしめたままで動きを止める。
「え……女の子……? あれ?」
動き始めたのは少年が先だった。
「ユーリス、ようやく来たのかよ」
「久しぶりだね、ウィシュアくん。入院中のお花ありがとう」
「おう。……つかお前いい加減離れろ。オレの後ろでうるせぇのが震えてるから」
ユリシアの胸元に顔を引っ付けていたユーリスが、ちらりとウィシュアの背後を伺う。そこには確かに、信じられないものを見たかのような表情を浮かべ、わなわなと震えるリナリアが居た。
「サリハ様、あなた、淑女のむ、む、胸元にそのような、頬をつけるなど、そんな、あなた、」
「落ち着けよ。ほら離れた」
ウィシュアがユーリスの首元を引っ掴み、強引にユリシアから引き離す。ユーリスは冷静な様子だ。
「ねぇきみ、名前は?」
「……ユリシア・ユーフェミリアです」
「そっか、きみがユリシアさん。初めまして、ぼくはユーリス・サリハといいます」
「はい、初めまして」
ユーリスの大きな青目が、ユリシアをまっすぐに見上げていた。居心地の悪くなる目だ。純粋に見られているだけという色でもない。
「ユリシアさんの血って赤い?」
「? はい。手をたまに切りますが、赤いですね」
「んー。じゃあ尿は?」
「なんてことを淑女に聞いておりますの! ストレイグ様、サリハ様をユリシアから引き離してちょうだい! いくら平民相手とはいえ、ユリシアを人とも思わない無礼で下品な質問は聞くに耐えませんわ!」
リナリアはユリシアの手を強引に引っ張り、ウィシュアに頼るまでもなくユーリスの前から立ち去った。ウィシュアは興味もなさそうに「またな」と言葉を残して二人を追いかける。
「おかしいなぁ」
「ユーリス。きみは相変わらず困った人ですね。私を置いて走り出すとは」
「殿下を前に失礼いたしました。……ですが、追いついておられたのに隠れられましたね。婚約者様とは仲が良いと伺っておりますが……ユリシアさんのことがあまりお好きではありませんか?」
シオンは軽く息を吐く。隠れていたことをユーリスには気付かれていたようだ。
「まさか。私が国民の選り好みをすると?」
「思いません。それではやはり別の意図があるということですね」
見事に引っかかったシオンはとうとう口を閉じた。
「……ぼくに精査してほしかったのでしょうか」
「“素”の力は魔力よりも研ぎ澄まされ、洗練されています。素質持ちのきみなら分かるかと」
「殿下の勘は正しいですよ。……彼女はアルシリウスに災いをもたらすでしょう。すぐにでも対処すべきです」
「……なるほど」
微笑みを浮かべ、腕を組む。シオンのそんな仕草に、少し距離を置いて羨望の眼差しを向ける周囲は一気に見惚れた。
「ユーリス、きみには明かしておきましょう。……私たちが今、何を見極めているのか」
どうせ隠しごとをしても気付かれますしねと、そう付け足して、シオンは楽しそうに笑った。
ユリシアが家に帰ると、すぐにインターホンが鳴った。きっと両隣の夫婦のどちらかだ。様子を見に来たのだろう。ただ、学校帰りにやってくることは今までなかったから、少しだけ嫌な予感がした。
ユリシアはおそるおそる玄関を開ける。立っていたのは美男美女夫婦の奥さんだった。反対隣の可愛らしい奥さんとは違い、誰もが目を引く美しさである。
「突然ごめんなさいね、学校帰りだったわよね」
「……どうかされましたか?」
「やだ! あなたそれどうしたのよ、おでこと手首!」
そういえば、今日の授業で怪我を負った。いろいろあって忘れかけていたが、忘れ去れたなら良かったものを、気付いてしまえば痛みも思い出す。
「ちょっと待ってちょうだい」
「え、あの、」
ユリシアが引き止める間もなく、彼女は自身の部屋に戻った。待って、ということは戻ってくるのだろう。戻って来なくても良いのだが……勢いに負けたユリシアは、肩を落とすことしかできない。
ちなみにこちらの夫婦の「実行要因」は奥さんだ。反対隣の夫婦とはまた雰囲気が違うが、彼女がナンパ男を蹴散らしている場面を目にしたことがある。確実に人を殺めることに慣れた動きだった。
「待たせたわね、これ使って。うちにあっても仕方がないのよ」
押し付けられたのは氷嚢と氷、塗り薬だった。準備が良すぎるような気もするが、早く治して任務に集中しろと言いたいのだろう。
「あまりはしゃぎすぎないようにね」
両隣に監視のいる生活にも慣れないものだ。もう一年も経ったというのに。
(……間違えれば死ぬ)
死ぬことは怖くはない。ユリシアはすでに死んでいるようなものだ。心臓が止まることなど今更である。
ただ、進んで死んでやるつもりはない。
「ありがとうございます」
ユリシアはいつもの愛想笑いを浮かべ、扉を閉めた。
ユリシアがすべきは、内側からアルシリウスを崩すため、クライバーンにとって有益な情報を流すことである。今のところ本当に些細な情報しか渡せていないし、依頼主の男からは新しい指示もなければ返事もない。両隣の夫婦から細やかなことは聞いているのだろうけれど、あまり放置をされると逆に恐ろしくも思える。
これは迅速に重要な情報を入手しなければ。
そんなことを思っていたからだろうか。
「リナリィ、体調がすぐれませんね。どうしてすぐに私に言わないのですか」
いつもの昼休み。リナリアが「本日はシオン様とランチデートをいたしますの」と教室を出ていき、ウィシュアは久しぶりに学園に来ていたマルクと過ごすことになったため、ユリシアは一人だった。一人が嫌なわけではないから、天気も良いし今日はどこでお弁当を食べるかと彷徨っていたのだが……途中、庭園の近くでシオンの声が聞こえた。シオンにしては聞き慣れない焦ったトーンだ。ユリシアはすぐに身を隠し、何事かとそちらを伺う。角を一つ曲がった先。そこに二人がいた。
「……だって、あなたの手を煩わせたくないわ」
「いつも言っていますが、私のことは気にかけないでください。リナリィの命が大切なんです」
「わたくしだって!」
二人きりだからか、二人とも普段よりも打ち解けている。仲が良いことは分かっていたが、目の当たりにするとどこか新鮮に思えた。
シオンがリナリアの背に手をかざす。するとかざした箇所が淡く発光し、やや呼吸の乱れていたリナリアが一気に回復した。
(王太子は治癒魔法が使えるのか……ということは、白魔法全般使えそう。クライバーンからすれば脅威になる)
白魔法が使える魔力を有する人物は、希少価値が高い。守護を司る白魔法はこれまでにも数が少なく、現在ではどこを探しても存在しないとされている。もちろん、アルシリウス帝国の王太子が白魔法を使えるなどの情報は一切漏れていないし、アルシリウスも隠しているのだろう。
「楽になりましたか?」
「……悔しいですわ。こんな体に生まれたこと」
「ふふ、私は嬉しいですよ。あなたの命が、私の魔法で繋がれているということが」
シオンがリナリアを抱き寄せると、リナリアは悔しそうにしながらもシオンを抱きしめ返していた。
ユリシアは気付かれないようにとそっとその場を離れる。思ってもみない収穫があった。すぐに報告をしなければ。
(前に言いかけた『大切な人』って、やっぱり王太子だったんだ)
それならば濁さなくても良いものを。しかしそこから白魔法のことがバレる可能性もあると思えば、濁したことも納得ができた。
この情報を渡せば、クライバーンは白魔法に備えて攻め入る準備を進めるだろう。切り札であるシオンを封じられては、アルシリウスは劣勢に変わる。むしろそこが弱点になる。
(アックスフォード侯爵家に行けば、白魔法について詳しく分かるかも……)
シオンが白魔法を使えることを、おそらく唯一知っている家である。白魔法を使える者が幻の存在と言われるにつれて文献が減ったとはいえ、リナリアがシオンの婚約者という親密な間柄となるのなら学ぶ必要もあったはずだ。
(とにかく、アックスフォードさんに家に連れて行ってもらわないと)
「どうして私だけじゃないの!?」
急く足取りで裏庭へ向かっていると、どこからか大きな声が聞こえた。知らない声だ。少し震えているから、泣いているのかもしれない。
しかしユリシアには関係がない。「あんなに好きって言ってくれたじゃない!」と続いた言葉から察するに、放置決定の面倒な案件である。そもそも首を突っ込む気もないから、気付かれないようにと足取りを緩める。
「僕は、僕を好きって言ってくれる子が好きだよ。だからきみも好き」
「ひどい! 私、本気だったのに……本気でクランのこと好きだったのに!」
少し離れたところで、ユリシアは思わず足を止めた。
「私にはクランだけだった。クランにも私だけだと思ってた。……最低だよ、恋人がたくさん居るなんて……!」
「最低?」
「不誠実じゃん! ああそっか、私が平民だからって馬鹿にしてるんだ! クランがそんな考えだなんて思わなかった!」
「僕は平民とか貴族とか興味ないよ。僕を好きって言ってくれたらみんな同じ。……だけど分からないな。みんなの気持ちにしっかり応えているのに、どうして不誠実なの? 誠実じゃないかな」
女子生徒とクランの言い合いは平行線だ。お互いに価値観が違うからまったく噛み合わない。
ユリシアは、二人がいるであろう方向に踏み出した。
「なにそれ……おかしいんじゃないの? クラン、おかしいよ。変だよ。間違ってる」
「間違い?」
「そうだよ。そんなことしてるから弟も離れたんじゃないの? きっと最低なクランに呆れたんだよ。恥ずかしくなったんだよ。私だってそう、幻滅した。側にいたくない。もう二度と話しかけないで」
捲し立てるように言うと、女子生徒は勇み足でその場を離れる。途中ユリシアの側を通ったが、自分の感情でいっぱいいっぱいだったのか、ユリシアに気付くことはなかった。




