第一章 4
「——おやおや、なんという巡り合わせでしょう」
店から追い出され呆然としている俺たちの背後から、年老いた男性の声が聞こえてきた。
振り返るとそこには、黒いタキシードを身にまとい目元には丸い眼鏡をかけた、白髪オールバックの六十歳くらいのパリッとした老紳士が立っていた。
「お久しぶりでございます、フレイム様。まさかこんなところで再びお会いするとは……」
老紳士は少し笑みを含んだトーンで、しかし淡々とそう言った。
「セバス……‼︎」
俺は足を一歩引き身構えた。
隣で象のぬいぐるみを抱えた翔助が、俺と老紳士を交互に見て何やら疑問めいたことを言っているのが聞こえる。しかし俺は、まっすぐ目の前の老紳士を見つめ警戒した。
「……どうしてここがわかった?」
「いえそれが、フレイム様を探していたわけでは無いのです……。偶然わたくしもこの町に用事がありましてね、それで足を運んだのですよ。不思議な巡り合わせですね……」
「用事、ね……。どうやらこの町で、ロクでもないことが起ころうとしているらしいな」
俺は会話で時間を稼ぎながら、じわじわと距離を取る。
「風吾、私が必要か?」
翔助に抱き抱えられていたヴァイロンが、そう言って地面に飛び降りた。
「——ぬ、ぬいぐるみが喋ったぁ⁉︎」
驚く翔助をよそに、ヴァイロンは俺の足元までやって来て、共に目の前の老紳士を睨みつけた。
「ああ、助かる。ヴァイロン、俺たちを乗せて走れるか?」
「ん? 戦わないのか?」
ヴァイロンは少し怪訝そうな声でそう言う。
「ああ、コイツらに関わるわけにはいかない。逃げる」
「……承知した」
ヴァイロンは少し間を空けてから、切り替えるようにそう言った。
「——これは驚いた! フレイム様もブレスギアを手に入れておられたとは……。しかも『スタッフ化』までしている。さすが、我が主の器ですね」
セバスが何やら感心したようなトーンでそう言う。ここまで嬉しくない賛辞も珍しい。
「スタッフ化? なんのことだ」
「いやはや、よもやこんな事になるとは……。スタッフ化したブレスギアが相手では、私も手加減できませんな……」
俺の質問には一切答えず、セバスは中指でメガネの真ん中をクイっとあげた。
「——まずい! 逃げるぞ!」
その動作を見て、俺は踵を返して走り出した。
「——え⁉︎ ちょ、おい‼︎ 待てよ!」
事態を全く飲み込めていない翔助も、慌てて俺についてくる。
その少し後ろで、セバスの着けている眼鏡が淡く発光するのが見えた。
「フレイム様、一緒に来ていただきます……」
そう言うと、セバスの周囲を青いゴリラの上半身が包んだ。まるでステンドグラスのように鮮やかに輝く半透明物体が、巨大な青いゴリラの上半身を形成している。
——ブレスギアの力の一つ、『ビーストフレーム』である。
「え、ブレスギア⁉︎」
それを見た翔助が叫ぶ。
「風吾、お前は彼を知っているのか?」
少し前を走るヴァイロンが、俺に尋ねてくる。
「ああ、その『能力』もな……。次を曲がるぞ!」
「承知!」
「あ〜、もう何なんだよ〜‼︎」
——次の瞬間、背後から強い光が俺たちを照らした。見ると、セバスの手元で何かが光っている。それは、光の線で出来た『円形の幾何学模様』だった。紫色に輝くそれは、まるでホログラムのように宙で浮いている。
『円形の幾何学模様』は徐々に大きく、より複雑なものへと変化していく。そしてそれはある一定のところで変化をやめ、光のカケラとなって弾けた。
「——来るぞ、後ろだ! ヴァイロン!」
俺が叫んだ直後、青いゴリラ——セバスの『ビーストフレーム』がまるで流星のように超高速で俺たちに突進してきた。
「ヒーッ‼︎」
——ドシーン!
大きな音をたて、ゴリラは衝突した。
「……あ、れ?」
翔助が恐る恐る目を開け、後ろを振り返る。
見ると、青いゴリラは『白濁色の透明な壁』に遮られ止まっていた。
ヴァイロンの『ビーストフレーム』が、俺たちをセバスの攻撃から守ったのである。
「ほう、なかなか良いブレスギアですな……」
セバスが品定めでもするかのようにそう言う。
その隙を使って、俺と翔助は角を曲がって狭い路地に入った。
周囲を覆った白濁色の物体は小さく縮み、ぬいぐるみのサイズになった。白い象のぬいぐるみに戻ったヴァイロンが、俺たちと合流する。
「……やはり走って逃げるのは厳しいか」
「風吾さん、あいつの『能力』って……」
「簡単に言えば『高速移動』。特別なのは、水中だろうが空中だろうが関係なしに高速移動できるところ。軌道が見えるというだけで、どちらかというと『テレポート』に近い。追いかけっこでは勝ち目はない!」
狭い路地に逃げれば入ってこれないのではないか、と期待したのだが、セバスはビーストフレームの一部をしまうことで難なく俺たちを追っている。この路地の狭さでは、ヴァイロンのビーストフレームに乗って逃げるという当初の案も実行できない。
「じゃあどうするんだよ! やっぱり戦うしかないんじゃないか⁉︎」
翔助はそう言うと、首元のペンダントを掴む。
「風吾さんがやらないなら、俺が——」
「——待て! チャンスはある」
チラリと後ろを確認すると、セバスの手元には再び『光の幾何学模様』が出現していた。
「奴のブレスギアの移動距離と速さは、『タスクライト』の難易度に比例する。一度能力を使ったら、次の高速移動までに隙が生まれるはずなんだ。その時間を使ってアイツを撒く!」
今のセバスの『タスクライト』の変化スピードからして、次は——
「——待てよ! 『タスクライト』ってなんだ⁉︎ 何言ってるか全然わかんねえよ!」
翔助が大声でそう言う。
俺は「へ?」と目を丸くした。
「お前、『タスクライト』がわからないのか⁉︎ ブレスギアの『能力』を使おうとすると出てくる、『光の幾何学模様』のことだよ!」
「あー‼︎ あの、能力使うために解かなきゃいけない課題のことか! 百マス計算とか、ナンプレとか……」
「タスクライトの内容については人によって見え方が違う。能力の規模によって、同じブレスギアでも難易度が変化するしな。だがまあ、それのことだ! 奴の能力では、速く移動しようとすればするほど、より高度な『タスクライト』を処理しなくてはならない。そして、タスクライトの処理中は高速移動できない。その隙に、あいつから隠れればいいって話だ」
そうこう言っている間に、後ろから再び青い光が突進してくる。能力の再発動である。
——ドシーン‼︎
再びヴァイロンが、その突進を食い止める。
「よし、ここからしばらく高速移動はない! 今のうちに——」
「風吾さん、あんたバカか! お互い走りなのに、急にそんな距離を取れるわけないだろ!」
翔助が叫ぶようにそう言う。
……ん? 言われてみれば確かにそうだ。俺は何を言っているんだ? 普段ならこの程度のことは簡単に対処しているはずなのに。そういつもなら、とっとと倒して——
「戦おう、風吾さん!」
「——だめだ‼︎ セバスには手を出さない!」
突然の大声に、翔助は驚いた顔をする。そして俺も、自分の行動に少し驚いていた。
そうだ、俺は普段大体のことを戦闘によって解決しているじゃないか。
だが、今回ばかりはダメなのだ。セバスに手を出せば、それは必ずアイツに繋がってしまう。それがわかっているから戦えないのだ。
俺はもう、アイツには関わらないと決めているのだから。
「風吾、さん……?」
翔助が恐る恐る声をかけてくる。それと同時に、後ろから強い光がとんできた。
「まずい、高速移動が始まる!」
俺が叫ぶと、ヴァイロンが再びビーストフレームを展開する。
……突進をもう一度ビーストフレームで防いだとして、その後はどうする? どっちにしろもう見つかっているのだから、戦っても同じか? 俺は、どうしたら……
あれこれ考えているうちに、セバスが迫ってくる。
「——こっちだよ‼︎ 早くおいで‼︎」
その時、脇の路地から声がした。見ると、白い髭を生やしたおじいさんがマンホールの中から顔を覗かせ、手まねきしていた。
「誰だ⁉︎」
「いいからほら、早く‼︎」
「風吾さん、後ろから奴が‼︎」
「くっ‼︎」
ごちゃごちゃ考える間もなく、俺たちは角を曲がり、謎のおじいさんの元へと走った。
*
「逃しませんぞ‼︎」
セバスは高速移動で迫る。そしてそのまま、俺たちが曲がった角を曲がった。
「——ん?」
しかし、その角の先には誰もいなかった。両脇はコンクリートの壁で、扉はない。
セバスは能力を使い、空から道の脇を見下ろす。しかし、人の姿は見えない。道にはマンホールなどの穴も見当たらないし、魔法で消えてしまったとしか考えられない。
「……あのブレスギア能力でしょうか」
セバスはそう言うと、やれやれ、と呟きどこかへ去っていった。
*
「はあ、はあ……。助かった、ありがとう」
上がった息を整えながら、俺は目の前のおじいさんにお礼を伝えた。身長は俺よりも少し低く、歳は六十歳ほど。白いTシャツに紺色のジャケット、茶色いズボンを履いて、顔には白い髭を生やしている。ポテっとしたお腹が少し可愛らしく、頬には発達した表情筋、目元には優しさが溢れ、なんとも人が良さそうなおじいさんだった。
意外なことにマンホールの下にあった空間はとても綺麗で、空気も淀んではいなかった。
「ここは……?」
翔助があたりを見まわしながらそう言う。
「ここは私の地下倉庫だよ。あんたたち、旅人だろ? この町には、こういったマンホールを模した異空間がいくつもある。かつて大戦前に誰かがブレスギアで作ったものらしいがね。外部からの干渉は不可能だし、鍵を持たない人間には入口も見えないそうだよ」
彼が倉庫と呼んだその空間には棚や樽など収納用具が置いてあり、それが天井のランタンに照らされていた。電気は通っていないらしい。
壁を叩くと、無限の質量と空虚な空間を同時に感じるような不思議な感覚が返ってきた。
「……そうか、ならアイツは追ってこないな。ありがとう、本当に助かった」
「助かりました! ありがとうございます!」
俺が改めて礼を伝えると、翔助も深々と頭を下げてお礼を言った。
「はっはっは、よいよい。私は迷ったら若い方を助けると決めとる。若者は、大切な未来だからね」
おじいさんはそう言うと、ニカーッと笑った。
その顔を見て、俺と翔助も表情が明るくなった。
「それにしてもあんたら、随分すごいやつに追われていたな。ありゃ『レジスタ』の人間だよ。一体どうして、そんな人間に追われていたんだい?」
おじいさんの言葉に、翔助も思い出したような顔をして俺を見る。
「そうだ、そうだぜ! 風吾さん、アイツは一体何者なんだよ! 風吾さんのこと知ってるみたいだったし、フレイム様とか言ってたし。……ん? てか今、『レジスタ』って言った⁉︎ え〜‼︎ なんで国内最強の反政府組織の人間に追われてるんだよ‼︎ ってかてか! ぬいぐるみ喋ったよな⁉︎ それも一体なんなんだ〜⁉︎」
ダムが決壊したように翔助は俺に畳み掛けてくる。翔助の方も、質問が多いのは承知しているがそれでも我慢できない、という感じだった。
「あ〜……、別にいいだろそれは。話すと長くなる、というか話したくない」
真相に飢えた獣に、俺は鬼のような答えを返す。わかってはいたが翔助は納得せず、ますます多くの疑問を投げかけてきたが、その全てを俺は涼しい顔で無視した。
「しかし風吾、あのやり方は賛成できないぞ。今回はたまたま救いの手があったからよかったが……。次のために、今後の方針をきちんと決めておく必要がある」
ヴァイロンが、どこか叱るような口調でそう言う。
「……わかったよ。次はもう少しブレスギアを使って、相手を足止めしよう」
「……あくまでも、撃退はしない方針なんだな」
「ああ」
俺はそう言うと、再びおじいさんの方を見た。
「おじいさん、なんでアイツが『レジスタ』の人間だってわかったんだ?」
俺がそう言うと、おじいさんは少し驚いたような顔をした。
「おや、本当に『レジスタ』の人間だったのか。こりゃ驚いたな」
「おい、まさか当てずっぽうで言ったってわけじゃないよな……?」
まさか、カマをかけられた?
疑いの視線を向ける俺に、おじいさんは少し考えてから神妙な面持ちで答えた。
「……まあ当てずっぽうではあるが、なんの根拠も無かったわけじゃない。今この町に、『レジスタ』の人間がいるということだけはわかっていたんだよ」
「……なぜ?」
驚きの情報に、俺は再び問いかける。
「近いうちにこの町でブレスギアの裏取引がある。なんでも、とても強力なブレスギアが受け渡されるそうだ。その取引に関わっているのが、『レジスタ』というわけだ」
「裏取引……」
俺は静かにそのワードを復唱する。さっきまでギャーギャー言っていた翔助もいつの間にか静かになり、共におじいさんの話を聞いている。
とんでもない情報が出てきた。この町には今、俺にとって最大の敵がやってきているという訳だ。セバスはああ見えて、『レジスタ』では最高幹部の人間である。そんな人間が来ていること自体、普通のことではなかった。
「……その取引は、『レジスタ』にとって重要なことなんだな?」
俺は確かめるようにそう聞く。
「あくまでも噂だ。だが、君達を追っていたのが『レジスタ』の人間だったということを知って確信したよ。どうやら本当に、この町で大きなブレスギア取引が行われるらしい」
「そうか……」
「最近、どこからかそんな噂が流れてきてね。実際、町でブレスギアをもった違法者を見たなんて声も相次いだんだ」
町に特殊警察が多かったわけだ……。裏取引に『レジスタ』の存在、警察の警戒心はとても高まっていた。翔助が追われたのも、そのせいだったのかもしれない。
「それを聞いたウチの娘はすごくピリピリしていてね。あの子は人一倍、ブレスギアを憎んでいるから……」
おじいさんはどこか遠くを見るようにそう言った。
俺と翔助は、その言葉を聞いて顔を見合わせる。
「おじいさん、その女の子ってもしかして……」
俺たちは、先程の出来事をおじいさんに話した。
いつの間にか俺たちは、あたりに散らかっていた箱やらに腰掛けていた。
「そうか……それは悪いことをしたねぇ。すまない、この通り!」
おじいさんはそう言って頭を下げた。
「いや、別にそれはいいんだ。ブレスギアをよく思っていない人なんて、他にもたくさん見てきた。ただ、彼女は何か特別強い嫌悪感を持っているように感じたから……」
俺はそう言って、実はあの定食屋の店長だった目の前のおじいさんを見た。
「そうか……。そう言ってもらえるといくらか救われる。……あの子はブレスギアその物というより、それを使う人間を憎んでいるんだ。大戦を一家で生き延びたにも関わらず、五年前、両親をテロで亡くしてしまってね……。それからはブレスギアを持っている人を見ると、たとえそれが特殊警察の人間であろうと感情を荒立ててしまうようになったんだ」
店長はそう言って、腰の前で組んだ手を見つめた。
「待ってください! ……両親をって、じゃああなたは?」
話を聞いていた翔助が店長に尋ねる。
「私はあの子の里親だよ。行く宛のない彼女を、私が引き取ったんだ。まあ、私はあの娘を実の娘のように想っているけどね」
そう言う店長の顔はどこか懐かしく、どこか誇らしげで、どこか嬉しそうだった。
俺はふとあることが気になって、店長に尋ねた。
「……彼女、名前はなんて言うんだ?」
俺の質問に、店長は一瞬目を丸くしたが、すぐにニコッと笑って答えた。
「彼女の名前は、浮島とら。ウチの自慢の看板娘だ……!」
「うきしま、とら……浮島とら、か。ありがとう」
俺がそう言うと、店長はにこやかに笑った。
「私の名前は、大盛大喜。あの定食屋の店長をやっている。君たちの名前は?」
店長に聞かれ、俺たちは顔を見合わせる。それから、順番に名を名乗った。
「俺は風吾。夢を探して旅してる、風のように自由な男だ。こっちは相棒のヴァイロン、よろしく」
「漆原翔助です! よろしくお願いします!」
「ツヴァイ=ゼータイプシロンだ。ヴァイロンと呼ばれている。私の主を助けてくれたこと、礼を言う。ありがとう」
ヴァイロンが名乗ると、店長は驚いて目をパチクリさせた。
「驚いたな、ぬいぐるみが話したよ。それも随分ダンディな、良い声だねぇ。まあ、ブレスギアが存在する世界なんだから、ぬいぐるみが喋るぐらいでいちいち驚いてられないね」
そう言って店長はワハハと笑った。その笑い方は、どこか彼女——浮島とらに似ていた。
店長の言葉に翔助はどこか納得できないような顔をしていたが、まあいいか、と渋々納得しているようだった。
「……さすがにもう大丈夫なんじゃないかな。外に出てみるかい?」
店長にそう言われ、俺たちは外に出た。セバスの姿は、どこにも見当たらなかった。
「本当に助かった。ありがとう」
そう言って、俺たちは頭を下げた。
「いいさいいさ! また会えることを楽しみにしているよ。機会があれば、ご飯をご馳走させてくれ。店に招待するのは難しいかもしれないがね」
そう言って、店長はワハハッと笑った。
そうして俺たちは、店長と別れた。




