第一章 2
『ブレスギア』——それは人類に舞い降りた希望の道具だった。
今から三十年前、中国で不思議な力をもった指輪が発見された。その指輪は、土を黄金に変える力を持っていた。
この最初の発見を皮切りに、世界中で同じように人智を超えた現象を起こすことのできる指輪が次々と発見された。それは指輪だけに留まらず、イヤリングやブレスレット、バレッタやメガネなど、あらゆるアクセサリーの形で発見された。
何の変哲も無い装飾品が、ある日突然不思議な力を宿すようになったのだ。
人々はこの強力な力を持つ装飾品のことを『祝福を受けし器——ブレスギア』と呼び、崇めた。
ブレスギアには、大きく二つの使い方があった。
——一つは『能力』の使用。各ブレスギアには、それぞれ独自の能力があった。それは、例えば瞬間移動であったり、失った腕を再生させる力だったり、土クズを金やダイヤモンドに変える力だったりと、これまでの人類の知識では再現できないような能力だった。
この力は、人類に際限無い夢を与えた。人類はついに、魔法のランプを手に入れたのだ。
——もう一つは『ビーストフレーム』の使用。ブレスギアには、『別の世界に住む獣』が宿っていた。彼らがこの世界で存在するための器、それこそがブレスギアだったのだ。
『ビーストフレーム』は、そんな彼ら——『獣たち』の身体をこの世界に一部出現させる力だった。イメージ的には、透明な着ぐるみが自分の周囲に現れる感じだ。それも、とても大きな。それらは、既存のロボットなど比較にならないほど自在にコントロールすることができた。一律して強い耐久性とパワーを兼ね備えた『ビーストフレーム』は、時には労働力として、そして時には武力として使われた。
ブレスギアの出現によって、世界は全く新しいものへと作り直されてしまった。既存のシステムは意味を失い、ブレスギアによる犯罪や事故が続出、世界はその対応を迫られた。
様々な対策案が提示される中、最終的に多くの国でブレスギアを問題解決のために導入された。ブレスギアは世界各国で取引され、どれだけのブレスギアを保有するかが、国家の持つ力の指標となった。
やがて混乱が落ち着いてくると、人々はブレスギアを自らの利益のために使用するようになった。ブレスギアを量産できないか、もしくはその現象を再現できないかという研究も、盛んに行われるようになった。
この時点で人類は、大きな勘違いをしてしまったのである。自分たちはブレスギアを管理下に収めたと、この不思議な道具のことを理解したと思い込んでしまった。
——そしてその驕りが、かつて『日本』で大きな悲劇を引き起こした。
*
「いらっしゃいませ〜!」
アットホームな雰囲気のある木造りの店内に、出汁のいい香りが立ち込めている。お昼時ということもあってか、店の中はたくさんのお客さんで賑わっている。決して広くはないが、窓が多く明るい店内に圧迫感はなく、可愛らしい看板娘の接客もあいまってとてもあたたかい空気が流れている。
この町一番の定食屋だと言われてここに入ったわけだが、既に納得している自分がいる。
一通り店内を見回した後、俺は木造りのテーブルに視線を落とし、メニューを見た。
「うげ……」
思わず声を漏らす。
冊子状のメニューにはバラエティ豊かな料理名が並び、鮮やかな挿絵まで入っている。どの料理もキラキラと輝いていて、美味しそうだ。おそらく、ハズレはないのだろう。
——それがまずかった。
「決められない……」
メニューが多いというのは、それだけ選択肢が多いということ。しかも、その全てがほぼ同じ程度のクオリティを持っているときた。どれを選んでもメリットがあり、いまいち決め手に欠ける。
「……まいったな」
俺は肘を机にのせ、身を乗りだした。
左腕につけたブレスレットが机に当たりチャリッという音をたて、木製の椅子が小さく軋む音をたてる。
「——大丈夫か、風吾?」
ふと、隣の方から声が聞こえてきた。やけにダンディなその声は、隣の椅子の方から発せられたものだった。
目をやると、そこには白い象のぬいぐるみがあった。
大きさはバスケットボールほど。クリンとした黒い目に、もふもふとした毛並み、要所要所に施された金と黒の線の模様が、神々しさと可愛らしさを兼ね備えたデザインを生み出している。
俺はそのぬいぐるみをじっと見つめ、小さく口を開いた。
「あんまりこういうところで喋るなよ、ヴァイロン。怪しまれたら色々面倒だ……」
すると、椅子の上のぬいぐるみはひとりでに動き出し、こちらに身体を向けてくる。
「目立つ目立たないの観点でいうなら、今さら気にしたところで遅いと思うぞ。風吾は既に十分目立ってしまった。少なくとも、この町の『特殊警察』の人間は風吾のことをしっかり記憶したと思う」
その言葉を聞いて、俺は「ハァ」と、ため息をつく。
このぬいぐるみは俺の相棒、ヴァイロンである。本名はツヴァイゼータ=イプシロン。博識で面倒見が良く、日頃からあらゆる面で俺のサポートを行ってくれている。
喋るし動く、世にも不思議な完全自立型ぬいぐるみである。
あの冬の日から二年、俺は比較的人が集まり発展している町にいた。
アイツからの「逃走」を続ける俺にとって、注目を浴びる行為はなるべく避けたいことだ。必ずしも平穏な暮らしを望んでいるわけじゃない。俺達『ブレスギア使い』には敵も多いし、トラブルも多い。だから、ドタバタした日々を送ることは義務みたいなものだ。
だが、アイツに関わることだけはだめだ。
あの男には関与しない——俺が『風吾』として生きるために決めたことだ。
過去の一切を切り捨て『風吾』として生きていく、それが俺の生き方——決意だった。
「——それなのに……」
俺は息を吐き、目の前に座っている男に目をやった。
広い肩幅と厚い胸板。桃色のパーカーの上からだとわかりづらいが、筋肉はかなり発達している。身長はおそらく180センチほどで、歳はおそらく俺よりも少し上の十八歳前後だろう。褐色の肌に黒い瞳を持ち、長くサラッと伸びた黒い髪を後ろで一つにまとめている。発達した肉体に加えて凛々しい眉に整った顔立ち、なかなかのイケメンである。
一方で、その表情や喋り方からは、ゴツい身体に似合わない可愛らしさが感じられる。
「あ、風吾さんは何にします?」
俺の視線に気づいた男が、にこやかに話しかけてきた。その顔は、先ほどまで泥まみれで泣きじゃくっていた顔とは思えない。
——俺はついさっき、警察に追われていたこの男を助けた。そんなことをすれば目立つのは確実なのに、警官達に押さえつけられ、ペンダントを没収されたことで発狂し泣き叫んでいたこの男を放っておけなかった。
……ほんの気まぐれだった。
「いや、俺はなんでも……」
「じゃあ俺のおすすめを! って、俺もここ来るの初めてだったんだ!」
そう言って、男はワハハと口を大きく開けて笑う。何がそんなに面白いのか分からず、俺は苦笑いをした。
なんとなくその場の勢いでこの男を助けた俺だったが、面倒くさい奴に関わってしまったのではないかと若干後悔している。
ともあれ、「ぜひお礼をさせて欲しい!」というこの男の強い勢いに引っ張られ、こうして飯屋に来ているのだった。
「すいませ〜ん! 注文お願いしま〜す!」
「は〜い‼︎」
男がキッチンの方に呼びかけると、茶色いエプロンをまとった可愛らしい女性店員が出てきた。年齢はおそらく十七歳やそこらで、身長は160センチほど。少し赤みを帯びたミディアムカットの髪を後ろで一つにまとめ、白い三角巾をしている。仕事上必要だから、という理由だけでまとめたようなその髪は、彼女のさっぱりとした性格を表しているようだ。滑らかでハリのある肌にまっすぐ通った鼻筋、ぱっちりと開いた大きな目、笑うと膨らむ両頬が実に可愛らしい。細く引き締まった、それでいて女性らしいメリハリもきちんとある身体は、彼女の魅力をより一層高めている。
看板娘らしい、なんとも愛想の良さそうな若い女性だった。
「この生姜焼き定食と、日替わりランチを一つずつ!」
「はい! かしこまりました! 少し待っていてくださいね!」
彼女は手に持ったメモに何かを書き込んでから、笑顔でそう言った。
「とらちゃ〜ん! 次こっちもお願〜い!」
「は〜い!」
常連らしいおじさん達に呼ばれ、彼女は去っていった。
「……良い店だな」
俺の言葉に男は目を丸くした。けれどすぐに口元をニヤリとさせると、何やら楽しげに笑った。
「風吾さん、良いセンスしてますねぇ! ワハハ!」
「……なんだよ急に」
「いや別に!」
一通り笑い終わると、男はコップの水を一飲みした。
それからまっすぐこちらを見つめ、頭を下げた。
「さっきは本当に、ありがとうございました……‼︎」
さっきまでの陽気な雰囲気から一変し、やけに改まった調子でそう言われたので、俺は驚き目をパチクリさせた。
「……やめろよ、堅苦しい」
「いえ、風吾さんが来てくれなかったら、俺はあそこでこのペンダントを奪われていた。このペンダントは親の形見で……、俺にとっては命と同じくらい大切なものなんです。だから、ありがとうございました……‼︎」
男は真剣なトーンでそう言って、もう一度頭を下げた。
やがてゆっくりとその頭を上げると、俺の顔を見て笑顔で口を開いた。
「俺、漆原翔助っていいます! 二十歳です。翔助って呼んでください、よろしく!」
……まだ会って間もないが、コイツは良い奴だ。それだけはなんとなくわかった。とても義理堅く、辛い経験をしているからこその優しさを持ち合わせている。
俺は少し、この漆原翔助のことが知りたくなった。
「……俺は風吾、十六歳。よろしくな、翔助」
俺がそう言うと、翔助はニカッと笑った。
「あと、もういい加減敬語やめろよ。ムズムズする」
「うーん、大恩人にタメ口っていうのも……」
「敬語は嫌いなんだ。良い思い出がない」
俺がきっぱりとそう言うと、翔助は少し考えてから、「わかった!」と言った。
俺は「うむ」と頷き、翔助の首元にあるペンダントを見つめた。
「……親の形見、って言ったっけ? ひょっとして、亡くなったのって……」
俺がそう言うと、翔助は静かにうなずいて胸元のペンダントを握った。
「そうなんだ。十五年前の『大戦』で……」
翔助の言葉を聞いて、俺は窓の外を眺める。
空は広く晴れ渡り、雲がゆったりと流れている。かつてこの『旧東京都エリア』には、空を遮るほどに高い建物が数え切れないほど建っていたという。今この窓から見える、背の低い建物だけが立ち並ぶ街並みからは想像もできない話である。
全ては、十五年前に起きた事件が変えてしまった。
『大戦』と呼ばれる『ブレスギア』の一斉暴走事件によって、日本は崩壊したのである。




