第四章 3
とらが部屋を出ていってから、俺はしばらく動けなかった。ようやく動き出した頃、彼女が出してくれたお茶はすっかり冷たくなっていた。
頭の中を色々な想いが巡っていたが、俺はひとまず布団を敷くことにした。一通り布団が敷き終わると、俺は電気を消して横になった。
目を閉じると、色々な情景が浮かんできた。先ほどの彼女の表情、子供達の表情、翔助の表情。
ふと俺は、何かを探すように頭の方に手を回した。しかし、その手に触れるものは何もない。俺は、改めてヴァイロンがいなくなったことに気付かされた。
「……そうか」
誰もいない部屋に敷かれた布団の中で、俺は隠れるように泣いた。最初は少しのつもりだった涙も、やがて決壊するように溢れ、喉から出た引きつるような音が布団を抜けて部屋に響いた。
——その晩、俺はヴァイロンの夢を見た。
夢の中のヴァイロンは、現実世界では見ることのできない彼本来の獣の姿をしていて、出会った時と同じように、少し怪我をしていた。
俺は、ヴァイロンに出会えた嬉しさでつい涙してしまった。
そんな俺に気づいたヴァイロンが、顔をあげ俺に声をかけてきた。
「風吾! 良かった、無事だったんだな……。聞いてくれ、私の記憶が戻ったんだ! 私は、私のやらなければならないことを思い出した。私はあの『ライプト』と——『ドライ・トー・プフント』と決着をつけねばならない!」
ヴァイロンは息を荒げ、そんな言葉を口にする。
「……ああ、ヴァイロン、それができたらどんなに良いだろう……。でも、できないんだ。現実の君は、すでに俺のもとを離れてしまった。俺が再びあのブレスギアに立ち向かうことは、もうないんだよ」
俺はそう言って、その場にうずくまる。
「なぜだ? また戦えばいい。私たちならできるさ!」
「……ヴァイロン、それは——」
「——それに、たとえ本当に私が戦えないのだとしても、まだ風吾がいる。風吾がいれば、必ず奴を倒すことができる。……私は信じているんだ、風吾を」
その言葉に俺は顔をあげる。
ヴァイロンはいつの間にかいつものぬいぐるみ姿になっていて、しゃがんだ俺の目の前にビシッと立っていた。
「フェニックスに力を与えられたクローンを信じているんじゃない……。私が信じているのは、自分の使命は何だろうか、自分にできることは何だろうか、どうやって生きれば自分は幸せになれるのだろうかと、迷いながらもがきながら、時に否定され時に後戻りしながらも、それでも醜く歩み続ける、そんな一人の少年だ。そんな、一人の人間だ。私はお前を器だと思ったことはないよ。お前の歩みは、命そのものなのだから……」
ヴァイロンはそう言って、ニコリと笑った。
「——はっ!」
目を覚ますと、隣にはとらがいた。俺のすぐ横に布団を並べ、あちらを向いてスースーと眠っている。
俺は、自分の目が涙で濡れていることに気づいた。
「ヴァイロン……」
かつてブレスレットのあった左手首を掴み、俺は小さくつぶやいた。
身体を起こすと、胸の前に驚くべきものがあった。青く光るタスクライトである。
「なんで……」
俺はそのタスクライトを大切に処理した。すると、目の前に一粒の万能粒子が現れる。
次の瞬間、その発光体は一人でに動き出し、俺の頬に触れた。それは、そこにあった涙を押しのけた。
——あたたかい。
……思えば、ちゃんと触れたことなんてなかった。
気づくと俺はまた泣いていた。万能粒子に温度があったことを、今頃になって知った。その温もりは、まるでヴァイロンのそれだった。
その粒子は一分で消えたが、俺はその後も泣き続けた。
*
わずかに明るくなりつつある春の早朝は、まだ少し肌寒かった。湯畑からは、水の流れる音が絶え間なく聞こえてくる。
一通り泣き終えた俺は、どこに行くでもなく一人で歩き始めた。湯畑から離れるように、山の上へと坂道を歩いた。
その間も、頭の中には色々な声が流れていた。
フェニックスの残酷な言葉、翔助の別れの言葉。子供達が伝えてくれたお礼の言葉、とらが涙ながらに放った言葉。夢の中でヴァイロンが放った言葉、自分の言葉。それらが無作為に浮かんでは消え浮かんでは消え、俺の頭の中をいっぱいにした。
気がつくと、目の前に開けた芝生が見えてきた。山の上にある旧スキー場までやってきてしまったらしい。
俺は芝生に足を踏み入れ、そこでしばらく立ち尽くした。
先ほどまで聞いていた自分の足音が消え、耳が世界の音が捉え始める。周囲はますます明るくなり、あたりで鳥が鳴き始めている。木々が優しく葉をゆらす音が聞こえ、世界が目覚めに向かって歌い始める。
その時、ふと風が吹いてきて俺の全身を包んだ。俺の耳元で、シスターにもらったイヤリングが優しく揺れる。
直後、シスターの言葉が頭をよぎった。
『貴方は、あなたを生きて……』
俺はふと、淡く広がる空を見上げた。
「……あなたを生きるって、なんだ?」
——その瞬間、俺の耳に声が聞こえてきた。否、それは記憶の中の声である。
『風吾さ〜ん!』『風吾、気をつけろ』『ありがと、風吾……』
直後、強い風が俺の全身を包み、俺は全身の毛が逆立つような感覚に襲われた。
「俺は……」
脳裏に広がっていたのは、俺が出会ってきた仲間たちの顔だった。皆俺を見て、ニヤッと笑っている。
彼らが見ているのは誰だ? フレイムか? それとも——
直後、俺の脳裏にあの晩のシスターの言葉が浮かぶ。
『あなたの名前は——』
……ああ、そうだ。
目の前に広がる仲間たちは、ニッと笑って一斉に口を開いた。
『風吾‼︎』
——その時、東の空から太陽が顔を覗かせた。
新しい日の眩しさに、俺は思わず目をすぼめる。
「……俺、やってみるよ」
みるみると明るくなっていく空を見上げ、俺は拳を握った。
「……何してるの?」
後ろから声がして、俺は振り返った。見ると、そこにはとらが立っていた。浴衣姿のまま、とぼけたような顔をして俺を見つめている。
……湯畑からかなり離れたこんな山の上、散歩していて偶然たどり着く場所ではない。
俺はフッと笑って、素っ頓狂な顔で首を傾げる彼女を見た。
「……ちょっと風に吹かれてただけさ」
俺は彼女の正面まで歩み寄ると、共に、登る太陽を見つめた。
……夜が明け、朝が来る。
俺は、世界を昼へと転換していくその陽を目に焼き付けた。
「……もう大丈夫だ。いこう! 翔助を取り戻しに……‼︎」




