第四章 「あなたの名前は……」
……夢を見ていた。ヴァイロンとこの世界で再会した日の夢だ。
シスターに背中を押され、アイツのもとを離れた夜。その夜はひたすら走ったことを覚えている。いつまでも走った。いつまででも走れた。
いつ止まったのかは覚えていない。目を覚ますとそこは木の下で、太陽が空高く上がっていた。ひんやりとした冬の空気と、太陽の暖かさが身にしみた。初めて、外で眠った。
「……フレイム?」
頭の方から声がして、俺は飛び上がった。そこには、白い象のぬいぐるみがいた。
そのぬいぐるみは、自分でテクテクと歩き俺に話しかけてきた。
「おぬし、フレイムだろ? 私だ、ヴァイロンだよ!」
「ヴァイロン⁉︎ お前、どうして……」
驚きの瞬間だった。目の前の不思議なぬいぐるみは、俺が夢の中で出会った獣と同じ名を名乗った。そしてそれは本当に、夢で話していた象本人だった。
俺はそこで初めて、左腕に巻かれたチェーンがブレスギアだったことを知った。
「どういうことなんだろう。獣が人間の前に現れるなんて話、聞いたことがない……。でもとにかく、また会えて嬉しいよ、ヴァイロン!」
昨晩シスターと別れた俺にとって、この再会は何よりも嬉しかった。
「私もだ……。なんだかとても懐かしい感覚だよ、フレイム」
ふと風が吹いてきて、右耳のイヤリングが揺れる。
俺は、思い出したように視線を上げた。
「……風吾。俺の名前は風吾だ。これからは、そう呼んでくれるとありがたい……!」
「……なるほど、承知した。では改めてよろしく頼む、風吾よ」
そうして、俺たちの旅は始まったのだ。
——そんな風景が遠ざかり、世界が戦場になる。旧ホテル跡だ。
目の前では、俺が腕を噛みちぎられている。
ブレスレットが破壊され、ヴァイロンが消失していく。
それを見て、俺は感情を取り戻したように叫び声を上げた。
*
「——はっ!」
目を開けると、目の前には知らない天井が広がっていた。窓からは優しい光が差し込み、畳の香りが鼻を刺激する。
失ったはずの左腕で、布団の重みを感じた。俺は脳に命令し、左腕を顔の前に持ってきた。その腕は傷ひとつ無かった。そこにあったはずのブレスレットも、無かった。
俺は左腕の力を抜き、その腕を顔に落とした。
……夢を見ていた。自分は自由なのだと。
風吾として、新たな人生を生きることができていると。前を向いていれば、過去など振り切れると。風吾を認めてくれる仲間が出来たことで、全ては解決し、問題は消え去ったと思い込んでいた。
その驕りが、ヴァイロンを殺した……。
俺はまだ、何も成し遂げていなかった。
どこかもわからない部屋の中で、俺は静かに涙を流した。
*
風吾がまだ夢の中にいた頃、翔助はフェニックスの城に足を踏み入れていた。
翔助が通された部屋は、天井こそ高くはないが広さはそこそこある明るい部屋だった。部屋に窓はなく、ドアの向かいに木造りの立派な机と椅子が一組あり、その背後には建て付けのラックがあった。そこに様々なアクセサリーが置いてある。
「……で、俺は何をすればいいんだ?」
「まあそんなに警戒するな。私は別に君に危害を加えたりするつもりはない。むしろ今、君は大切お客さんであり、仲間だ。仲良くしようじゃないか……」
フェニックスはその椅子に腰掛けると、わずかに微笑んだ。
「……答えになってねえよ」
「おっと失礼……。実のところ、今すぐ君にしてもらいたいことというのは無い。まだ材料が揃っていなくてね。私の夢を叶えるには、まだ足りないんだ……」
フェニックスは立派な背もたれと肘掛けのついた椅子に背中を預け、身体をくるりと横に向けた。そしてそのまま、壁にかかった額縁を見つめた。
その額縁には四つ折りの跡がある紙が一枚入っていた。それなりに古いものなのか若干変色している。うっすらとだが、裏には文章が書いてあるように見えた。
「それは……?」
「『花』だよ。私の中に、いつでも変わらぬ匂いと輝きを届けてくれるものだ……」
その目はとてもまっすぐで、その感情の根源が屈託のない願いにあることを感じさせた。それはとても『反政府組織』などという暴力的な肩書きにはそぐわない、儚くも繊細な色をもった眼だった。
「……わかったよ、お前に協力しよう。だが忘れるな! あいつらに手を出したら、協力は無しだ!」
そう言い放って、翔助は部屋を出た。
一人になったフェニックスの足元から、ぬいぐるみ状態のライプトが現れる。
「……手を出すな、だとよ。もしあいつらが仲間を取り戻すために自らここに攻めてきたとしたら、お前はどうするんだ……?」
「……そんなの決まっている。撃退だ。全勢力を持ってフレイムを回収し、トリル・ラクシャータも回収する。それであの男が抵抗するようなら……、洗脳して操るだけだよ」
フェニックスは正面に向き直り平然とそう言った。ライプトは足元で、クククと笑う。
「……まあ、心を砕かれ、頼りのブレスギアまで失った今、奴がここに攻めてくるなどあり得ないがね」
フェニックスは再度、壁の額縁を見た。
そこに入っている、初めての手紙を見た。
「……もう少しだ、エリカ……」
フェニックスは、最後に小さく呟いた。