第三章 2
ハヤガキ温泉は、全国有数の有名な観光地である。そのため、山の中にあるのにも関わらず物資は容易に手に入った。
俺たちは、ヴァイロンで運べるギリギリの量の食料などを買い込んだ。
俺たちはそこで、衝撃の出会いを果たす。
「……君たち、そんな買い込んで一体どうするんだい?」
大量の食料を運び込んでいる俺たちに、紫色の制服を着た特殊警察が話しかけてきた。スラッとした身体でキツネ目のその男は、右頬に二本の切り傷があった。
「——お前はっ……!」
顔を見るなり警戒し威嚇してくる俺を見て、二本傷の警官は不思議そうな顔をする。
「あ……」
俺はすぐに冷静さを取り戻し、なんでもないような顔を作った。
「——あんた、あの警官でしょ! あの村に、毒の砂山を置いていった……‼︎」
俺の努力むなしく、同じく二本の傷跡に気づいたとらが男に掴みかかろうとする。それを翔助が慌てて抑えた。
親の仇を前にした子供のような勢いで睨みつける彼女を前に、二本傷の警官は首を傾げ、そのまま少し考え込むと「ふむ」と言って口を開いた。
「なるほど……。少し、場所を変えようか……」
俺たちは二本傷の警官に連れられて、湯畑からかなり離れた旧ホテル跡にやってきた。
ここは元々この温泉街で一番大きなホテルが立っていたらしく、今でもわずかに建物の面影が残っていた。
俺たちはその前にある駐車場らしき広場で向かい合った。二本傷の男の隣には、ゴツい体つきの部下らしき男が一人、身体の後ろで腕を組み足を開いた姿勢で立っていた。
「……君たちは、あの村を見てきたのかな。見た感じ、『プロト』の人間という訳でもなさそうだ。なぜ、僕につっかかる? 何をそんなに怒っているんだい?」
男はサラッとした態度でそう言い放った。その態度に、とらは怒りをあらわにする。
「何をそんなにって……あなた何を言って——」
「——待った!」
俺はそんな彼女を制して、男との会話を図る。
「……なぜあんなものを置いた? なぜ、村の人々を巻き込んだ? あの祠の中には、何がある?」
俺は内にある感情を封じ込め、そう尋ねた。
男は少しびっくりしたような顔を見せたが、すぐにニヤリと笑った。
「あれがただの祠でないことを見抜いたのか……。やっぱりお前達只者じゃないだろ。 ブレスギア使いなんじゃないか?」
男の両耳についたピアスが、太陽の光を反射してキラリと輝く。
俺たちは重心を後ろに下げ、地面の砂を鳴らす。
「まあまあ、そう警戒するなって。ちゃんと質問には答えてやるからさ」
男はそう言ってケラケラと笑った。
「あの砂山を置いたのは、プロトの人間があの祠に入れないようにするためだ。あの中には連中が国会を襲撃するために用意した武器と、多くの機密情報が保管されていた。それを奴らから奪うために、あの砂山を置いたのさ。ありゃ破壊できないからな」
男の言葉に、俺はなぜだか心が少し軽くなるのを感じた。
……やはり奴らは、ただの善意であの砂山を除去しようとしていた訳ではなかった。むしろ、祠の中のものを使ってより多くの人を不幸に巻き込もうとしていた。
そう考えると、自分の罪が少し軽くなるような気がした。
「……その影響で、あの村の人たちが命を脅かされることは知っていたの……?」
俺の横で、とらがそう尋ねた。
「……ああ、知っていたさ。連中の多くが年寄りで、あそこから別の村に引っ越すこともできないだろうってこともな。だが仕方ないだろ? 国を危険から守るためなんだ、多少の犠牲には、目を瞑ろうじゃないか……」
男の言葉に、とらは歯を食いしばり睨みつけた。
彼女を抑えている翔助も、もう我慢できないと言うように息を荒げている。
一方の俺は、男の言っていることも少しわかるような気がしてしまい、どちらかというと冷静だった。俺は翔助やとらのように、虐げられている者のために純粋に怒りを燃やせない。そんな自分が情けなくて、苦しかった。
「……さあ、お話は終わりだ! そのアクセサリー、ブレスギアじゃないと言うのなら今すぐ僕に預けてくれ。もし渡せないと言うのなら……実力行使だ」
男の声色と目つきが変わり、隣にいた部下の男も戦闘体勢になる。
俺たちは三人共、アクセサリーを外す気配もなく、男を睨みつけて構えた。
それを見た二本傷の男が、鋭い目つきのまま小さく鼻で笑った。
「……戦闘は、久しぶりだ。ワクワクするねぇ」
——次の瞬間、向こうの空でなにかが光った。
青く澄んだ空の先から、小さな丸い物体が飛んでくる。
——否、近づくにつれ大きくなっていくそれは、巨大な『ビーストフレーム』だった。
青く発光したボディが、ゴリラの上半身を形作っている。
これは『高速移動』——つい数日前にも目撃した、あの男のブレスギア能力だ。
「——全員、伏せろ‼︎」
俺の叫びで、横にいた二人が地面に伏せ、異変を察知した警官達も身を守る行動を起こした。
直後、その物体はまるで隕石のように、俺たちと二等辺三角形を作る位置に落下した。
強い衝撃とともに土煙が舞い上がり、視界が遮られた。
「久しぶりだな……」
次の瞬間、土煙の奥から低い声が聞こえた。初めて聞く声に、とらと翔助は身構える。
——しかし、俺はその声を知っていた。
土煙が薄れ、セバスの黒いタキシードが目に入る。疲弊しているのか、ビーストフレームは解除しているようだ。
その斜め前に、一人の男が立っていた。
まるで結婚式を挙げるかのような純白のタキシードを身にまとい、左手には指輪をつけている。癖のあるその髪は肩にかかるほどまで伸ばされ、こちらに向けられた目はまるで液晶を挟んでいるかのように飾り気がなく、容赦のない冷たい色をしていた。
「私の器よ……、元気だったか?」
「フェニックス……‼︎」
俺の言葉で、その場にいる全員が飛来したものの正体を知る。
俺は奴を睨みつけながら、一歩足を引き後退りする。
とらと翔助も、事態の緊急性に気づきビーストフレームを展開した。
「……ふむ、それがお前の遊び相手か。……ん? あれはこの前奪われたトリル・ラクシャータだな。ということは、残ったお前が……」
フェニックスは翔助を見てニヤリと笑った。
——その時、俺たちとフェニックスの間に赤い牛のビーストフレームが現れた。顕現率四十パーセント、部下の警官である。
「レジスタ頭首、フェニックス! 今ここで拘束、いや、討伐する‼︎」
部下の警官はビーストフレームを使った跳躍であっという間に間合いを詰め、そのままその角で無防備なフェニックスに体当たりした。
——と思った瞬間、ガラスが割れるような破壊音と共に、赤いポリゴンが周囲に舞った。接触したかのように見えた牛の頭はそこには無く、代わりに黒い毛並みの狼の頭があった。
突如出現したビーストフレームが、牛の頭を食いちぎったのだ。
「——なっ、なんだと!」
部下の男はビーストフレームを解除し距離を取る。まさかのカウンターに冷や汗をかいて動揺していた。
一方のフェニックスは、頭も動かさずに目だけで男を追っていた。
「——不味い」
突然、誰のものともわからない禍々しい声が聞こえた。
次の瞬間、フェニックスのビーストフレームが「縮み」始めた。その頭はフェニックスの肩に吸われるよう小さくなり、最後にはぬいぐるみサイズとなった。
フェニックスの肩に、ヴァイロンと同じサイズ感の黒い狼のぬいぐるみが現れる。
いや、正確にはそれは狼ではない。その頭は三つに分かれ、尾も三つに分かれている。金色の首輪と腕輪をしたそれは、紛れもなく想像上の獣『ケルベロス』の姿だった。
「フン……。この元冥獣軍副総督、ドライ・トー・プフント様が、そこいらの雑魚神獣に遅れをとるはずがないだろ」
ケルベロスのぬいぐるみは、嘲るような、けれど深く落ち着いたトーンでそう言った。
フェニックスは、そのぬいぐるみをそっと自分の腕で抱く。
「あれは、風吾さんと同じ……!」
俺も、ヴァイロン以外にぬいぐるみになれるビーストフレームがいたことに驚愕していた。
アイツはいつからこの、ぬいぐるみの力を手にしていたのだろう? 言われてみればあのケルベロス、どこかで見たことがあるような気がしないでもない。しかし当時は、あれがブレスギアに関係あるものだとは思っておらず気にも留めていなかった。
そういえば、この前セバスは『スタッフ化』と言っていた。ということは、アイツは少なからずこの状態の秘密を知っているのか……?
必死で情報を整理していると、二本傷の男がビーストフレームを発動させた。
紫色のヘビの形をしたそれは、権限率五十パーセントほど。男はそれで身を守り、その中でタスクライトの処理を始めた。「青い」幾何学模様がゆっくりと形を変えていく。
それをサポートするかのように、部下の男は再びビーストフレームを発動させフェニックスへ突撃する。しかし破壊された直後のそれは、顕現率が二十パーセントほどになってしまっていた。
フェニックスはそんな彼らを一瞥し、呟いた。
「……いらないな」
——直後、何の前触れもなく、部下の男を中心とした空間に球形の歪みが生じた。その球は一瞬で収縮し、その中にあった全てのものを圧縮した。
牛のビーストフレームは砕け、その中にいた男の肉体もまた、赤へと転じた。
——ブレスギア能力である。
しかし、俺たちはフェニックスがタスクライトを発動したのを見ていない。
「——川松!」
二本傷の男が部下の名を叫ぶ。だが悲痛にも、地面に落ちたのは赤い液体と着けていた装飾品——ブレスギアだけだった。
フェニックスはゆったりとその血溜まりに歩み寄り、その中からネクタイピンの形をしたブレスギアを拾い上げた。それからそれを空中に放ると、ケルベロスのビーストフレームを使って、それを「完全に粉砕」した。
「——え⁉︎」
俺は声をあげて驚く。周りにいるセバス以外の人間も皆、同様に驚いていた。
ブレスギアは破壊できない——これが世界の常識だ。
どんな武器や道具を使おうが、たとえブレスギアの能力で攻撃しようが、ビーストフレームで押し潰そうが、獣の祝福を受けた装飾品であるブレスギアには、傷一つ付けることができない。
しかし今、目の前でその絶対のルールが崩れた。ブレスギアが、破壊されたのだ。
「そんな、ありえない……」
ブレスギアに関する知識は人一倍ある自負があるため、知識に反する事態に俺は人一倍強く動揺する。
そんな俺を見て、フェニックスは高らかにこう言った。
「ブレスギアは壊せる、獣は殺せる。これが、『スタッフ化』したブレスギアの力だ。全身顕現を可能にし、そこからさらに獣の力を引き出せた者だけがたどり着ける力だ!」
フェニックスがそう叫んだ直後、向こうの方で青い光が弾けた。二本傷の男がタスクライトの処理を終えたのだ。
直後、紫色のヘドロがヘビのビーストフレームを包む。
「よくも、よくも川松を……! この毒はビーストフレームをも溶かす。こいつで死ね! フェニックス‼︎」
その言葉と共に、二本傷の男はヘドロをまとったビーストフレームで襲いかかった。
「——距離を取れ!」
飛び散るヘドロを避けるために、俺たちは距離をとる。
ヘドロは触れた地面を瞬時に溶かし、深い穴を開けた。わずかに掠ったビーストフレームも、少し溶けてしまったようだ。
これで噛みつかれれば確かに、あのケルベロスもひとたまりもないかもしれない。
——しかし、そう簡単に倒せるのならフェニックスなど誰も知らない。
フェニックスは男を涼しい表情で見つめ、ビーストフレームを発動させた。ヴァイロンと同じようにぬいぐるみが巨大化する形で現れたそれは、顕現率百パーセントである。
それを見た二本傷の警官は、一瞬動きを止める。
——その瞬間、ケルベロスの前足が蛇の頭を地面に叩きつけた。その一撃は、ヘドロの影響を受けるよりも早く、蛇のビーストフレームを破壊した。
「——なっ、んだと……」
ビーストフレームを砕かれた二本傷の男は、ショックのあまり立ち尽くしてしまう。
「……速い」
顕現率の差はあるが、あれはとらのブレスギアを遥かに凌駕する俊敏性である。あのケルベロスのビーストフレームは、それだけ戦闘能力に長けているのだろう。
——次の瞬間、フェニックスの手元で紫色の幾何学模様が弾けた。
直後、フェニックスは立ち尽くす二本傷の男の頭をガシッと鷲掴みにする。
その直後、フェニックスに触れられた二本傷の男を禍々しい光が包んだ。
「終わった……」
それを見て、俺は決着を確信する。
光を受けた男は、意思を無くしたかのようにその場に立ち尽くしていた。
「セバス、メガネを貸せ……」
フェニックスが言うと、セバスは自身のメガネを手渡した。
フェニックスはそれを受け取ると二本傷の男の耳にかけ、呟いた。
「——このブレスギアを使え」
その言葉で、二本傷の男の目元にかけられたメガネが淡く発光する。
——直後、男の身体は強く発光し、内部から膨張するように爆発した。
そうして、二本傷の男は血の一滴も流さずに全て光のカケラとなって消えた。
後には、着けていたピアスと、セバスのメガネだけが残った。
「何だ? 何が起こったんだよ⁉︎ 風吾さん!」
「……ブレスギアにおける最大のタブーだよ。混ざってはいけないものが混ざった。神獣器を使った者が冥獣器を使ってしまったんだ……。前に話したことがあっただろ?」
翔助は思い出したようにハッとする。
「『洗脳』をあんな風に使うなんて……。気をつけろ、アイツは危険だ」
俺は横に立つ二人に警告する。俺の言葉を聞いて、二人も息を飲み頷いた。
息をのむ俺たちの前で、フェニックスは悠然とメガネを拾い上げ、それをセバスに投げ返した。
それからゆっくりをこちらに振り向き、不敵な笑みを浮かべた。
「……逃げないのか? 我が器、フレイムよ」
フェニックスの言葉が、俺の頭の中に響く。その笑顔も低いトーンの声も、俺の中の恐怖と支配を呼び起こす。
俺は動くことができず、睨みつけることしかできなかった。
俺たちの間に、しばらく沈黙が流れる。
「……フ、やはりお前は変わっていない。今でもお前は、私の養分にすぎないのだ」
「——っつ!」
フェニックスの言葉に、俺の目の前がわずかに暗くなる。蓋をしていた感情が、自ら蓋をこじ開けてくるような感覚に襲われる。
「……違う、俺は——」
「——あなたがフェニックスなのね」
俺が言葉を紡ごうとした刹那、とらがフェニックス目掛けて駆け出した。
トラは凄まじい速さでその間合いを詰めると、無防備なフェニックス目掛けて爪を振りかざした。
「あなたさえ倒せば……!」
トラの爪がフェニックスを捉えようとしたその時——
「お前に用はない……」
凄まじい衝突音と共に、とらとトラのビーストフレームが吹き飛ばされた。ケルベロスの前手が、彼女を弾いたのだ。
「——とらちゃん!」
吹き飛ばされたとらを、翔助が受け止める。
カウンターを受けた衝撃で右手が折れてしまったようで、とらは歯を食いしばって痛みに耐えていた。
「……大丈夫だ、今治すからな」
翔助はすかさず能力を発動させ、とらの腕を再生させる。
すると、それを見たフェニックスが興奮をあらわにして声をあげた。
「そうか、やはりお前が再生能力の使い手か! ……探していたぞ。私は、お前に用があってやってきたのだ……!」
予想だにしない一言に俺とヴァイロン、翔助は驚愕する。
「用だと⁉︎ ……何が狙いだ! 俺のブレスギアを奪う気か⁈」
「違う、私に協力して欲しいのだ。私の夢を叶えるために、お前の力が必要なのだ……」
予想外の展開に、俺はその場に立ち尽くす。翔助も、強い警戒体勢で奴を睨んでいた。
「もちろんタダでとは言わない。お前が私と一緒に来てくれるなら、お前とお前のブレスギアの安全は、この私が保証しよう」
「…………‼︎」
翔助は言葉を詰まらせる。
……なんて奴だ。この一瞬で、翔助の根底にある動機にまでたどり着いた。自分と形見のブレスギアの安全、それは翔助が何よりも大切にしていることだ。ブレスギア回収令の影響で特殊警察に追われている翔助にとって、国内最大の反政府組織であるレジスタはある意味最適な居場所と言えるかもしれない。だが……。
「ダメだ翔助、耳を貸すな! そいつは——」
「——悪いが断る。フェニックス、俺はあんたのところへは行かねぇ!」
翔助の答えに俺は「……え⁉︎」と驚く。
「ほう……なぜだね?」
「俺はもともと、アンタがそんなに好きじゃねぇ! とらちゃんの件や、風吾さんの話を聞いて余計に気に食わなくなった! ……それに、俺の居場所、俺を守ってくれる人はもうとっくに決まってるんだ! 風吾さんに仇なすお前なんかに、ついていくもんか‼︎」
「翔助……」
翔助の言葉に、フェニックスは大きな声で笑い始めた。
「……何がおかしい」
「フフフ、そうかそうか、フレイムが守護者か……。では証明しようではないか! 私とフレイム、どちらがよりお前の守護者に相応しいかを……‼︎」
そう言うや否や、フェニックスはビーストフレームを展開し飛びかかってきた。
ヴァイロンは直ちにビーストフレームとなり、それを受け止める。
顕現率百パーセント同士の衝突——その衝撃に、とらや翔助は近づくこともできない。
「——くっ、待てヴァイロン!」
俺が叫ぶと、ヴァイロンは瞬時にぬいぐるみのサイズに戻った。
ビーストフレームが消え、フェニックスは勢い余って前方に転がる。
「どうした風吾、らしくないぞ! 私たちなら押し勝てる。戦うんだ……!」
「……すまん、そうだな!」
土煙の奥から、フェニックスが再び姿を現す。
「……フフ、流石は私の器だ。スタッフ化は当然、達成しているようだな。だが、私とライプトには及ばない」
奴の言葉には耳を貸さずにヴァイロンは再びビーストフレーム化、俺はタスクライトを処理し、ビーストフレームを巨大化させていった。
「しかし、その右耳のイヤリング……忌々しいものだな」
「うおぉぉぉ‼︎」
俺はフェニックス目掛け鼻を振り抜くが、それはあっさりと回避されてしまう。逆に、相手のビーストフレームに細かく攻撃を当てられてしまう始末である。刻一刻と巨大化するヴァイロンの装甲の厚さ故ダメージにはならないが、こちらにも勝機は見えない。
「風吾さん、何だか動きがよくない……」
「ハァ、ハァ……」
決定打に欠ける攻防に、俺たちは一度静止し距離を取る。
「……どうしたフレイムよ。ようやく理解したか? お前がいまだに私に囚われていることに。だがそれでいいのだ。お前はどこまでいっても私の器、フレイムなのだから……」
「くっ……!」
俺は必死に抵抗の意思を示す。しかしその意思とは裏腹に、俺の身体には負の感情が渦巻いていた。
自分が手にしたと思っていた自由が、人生が、侵されていくような感覚。
自分の中に生まれた憤慨が、怒りにも近い感情となって目の前の男を拒絶する。しかし、それでもなお俺はすぐに飛びかかることができなかった。
すると、フェニックスのビーストフレーム——ライプトが突如口を開いた。
「……まったく、堕ちたものだな。かつて、神獣軍副総督として我が軍を脅かしてきた『軍神』——ツヴァイ=ゼータイプシロン様が、こんな腑抜けた野郎のペットとは……。奇跡の再会に多少胸が踊ったんだが、残念だ……」
ライプトの言葉に俺たちは衝撃を受ける。
ヴァイロンは過去の記憶を失っている。それを取り戻す手段は無いと思っていた。ヴァイロンの過去を知る者に出会うことなど、全くの想定外だった。
「——うあぁぁぁ!」
突如、ヴァイロンが声をあげて苦しみ始める。ビーストフレームも制御不能となり、俺の意思とは関係なしに暴れ始めてしまう。
「ヴァイロン! 落ち着け!」
俺はビーストフレームに体を揺さぶられながら、必死にヴァイロンに呼びかけた。
——その瞬間、万能粒子がタイムリミットを迎えた。
「終わりだ……」
——ザシュッ!
——次の瞬間、薄くなったヴァイロンのビーストフレームは砕けちり、ライプトの右の頭が、俺の左腕を噛みちぎった。
ヴァイロンが宿っているブレスレットは左腕と共に俺から切り離され、噛み砕かれた。
瞬間、ヴァイロンのビーストフレームは、一欠片も残さずに消滅した。
その意味を、鍛え上げられた俺の脳回路は瞬時に理解した。声は出なかった。
俺は、腕を失った痛みとヴァイロンを失った絶望とで、暗闇の中へと落ちていった。
*
「——風吾さん!」
左腕を失い出血する風吾を、翔助が受け止めた。
とらはその前に立ち、怒りに犬歯を剥き出してフェニックスを睨みつけた。
「フハハハ、まさかこんな結果になってしまうとはな! だがまあ良い……。フレイムのバディ達よ、お前たちに選択肢をやろう。私は今から、そこにいるフレイムを殺す」
「なっ……‼︎」
翔助が声をあげるのと同時に、とらは全身の毛を逆立てフェニックスに襲いかかる。しかしその攻撃は空を切り、背後からの一撃でトラごと吹き飛ばされてしまう。
「……落ち着きたまえ。私とて、膨大な時間をかけて鍛え上げてきたフレイムを失うのは惜しい……。そこでもう一つの選択肢だ。『再生能力』を持つ男、お前が私についてくるというのなら、フレイムの命は見逃そう。ついでにそこにいる女と、私の取引を邪魔した件についても許すことにする。もちろん、私がお前の安全を守るという条件は変わらない。どうだね……?」
フェニックスは翔助に片手を差し出し、余裕たっぷりにそう提案した。
翔助は明らかに拒絶の表情を見せた。しかし、血を流す風吾に視線を落とすと、その身体をギュッと抱きしめた。
「……くっ、誰があんたの好き勝手なんかに——」
「待ってとらちゃん! ……わかった。お前についていく」
翔助の言葉に、フェニックスはニヤリと笑う。
「翔助! なんで⁉︎」
「……いいんだ、とらちゃん。俺が行けば二人は助かる。それに、俺にとっても別に悪い話じゃないしな……。風吾さんには悪いけど、俺はあの男に守ってもらうことにするよ」
翔助は、どこからか切り取ってきたような笑顔でそう言った。
「……嘘つき」
「ありがとう、翔助くん。では早速、私についてきてくれ。セバスの力で、私たちの城に招待しよう」
「ああ……。だがその前に、一つ頼みがある。風吾さんの腕を再生させてくれ。このままでは死んでしまう……」
翔助は風吾を強く掴みながらそう言った。
「……ああいいとも、治してやるといい。もっとも、肉体の再生では破壊された精神の修復まではできないだろうがね……」
翔助は奥歯を噛み締め、タスクライトを発動させた。
やがて、風吾の腕は何事もなかったかのように元通りになった。
「……じゃあな、とらちゃん。風吾さんが起きたら「今まで本当にありがとう」って言ってたって伝えといてくれ」
そう言って、翔助は前を向いたまま後ろにひらひら手を振った。
俺が目を覚ましたのは、翔助が青い流星として旅立ってから丸一日経過した後だった。