第二章 6
かつての住宅が瓦礫となって積み重なっている荒野に、高く立派な城が建っている。
その城は、とても不自然な形をしていた。バネのような螺旋状の土台の上に、丸い球が一つ乗っている。その球には窓がほとんど見当たらず、要所要所には飛び出たバルコニーのような半円が見られる。
その城を中心に広がる城下町には、住居の他に多くの広場や工場、研究所と思われる建物が立ち並び、そこから勇ましい掛け声や、大きな笑い声が聞こえてくる。
そしてそれら——町の全てを、城壁のような壁がぐるっと囲んでいた。
その町の上空に、青い光を放つ物体が飛来する。
その物体はそのまま中心に建つ城に向かい、一番上のバルコニーに着陸した。
「……ただいま戻りました、フェニックス様」
ビーストフレームを解除し、セバスは片膝をつき頭を下げる。
多くの植木鉢が並べられたその空間は、たくさんの花がその香りを主張しあっているようだった。
セバスの目の前に立つ男は、背を向けその中の一つに水をあげていた。
「……トリル・ラクシャータの取引は、滞りなく済んだか?」
男が背を向けたまま口を開く。
その声に、セバスは最近出会ったブレスギア使いの声を垣間見る。
「……いえ、それが少し問題が発生しまして、トリル・ラクシャータは奪われました」
セバスの言葉に、男は動きを止める。
「……誰にだ?」
象のブレスギア使いよりもやや低いトーンの声が、セバスにそう尋ねる。
「……フレイム様です」
「——ほう!」
男はジョウロを置き、バッと振り返った。
男は身長165センチ程。外見から見るに、年齢はおよそ四十歳半ば。長く伸びた髪には緩やかなカーブがかかり、パーマのようになっている。純白のタキシードを身に纏い、左手の薬指には控えめな銀の指輪をしていた。
「二年前『キーブレス』と共に消えた我が器が、ついに自らその姿を現したというのか! なんという吉報だろうか……‼︎」
「……恐れながら我が主、真の吉報は別にございます。フレイム様と一緒にいた男、その男の持つブレスギアが、『再生』の能力を有していました」
「——何⁉︎」
男は大きな声をあげ驚くと、先ほどまでよりもずっと真剣な顔でセバスを見た。
「……それは確かな情報か?」
「わたくしがこの目で確認しました」
「そうか……」
男はそう言うと、視線を部屋の中へと移し、大きな声で呼びかけた。
「ライプト! 久しぶりの外出だ、準備しておけ!」
「……わかった」
男の言葉に、部屋の奥から複数の眼光と禍々しさのある声が応えた。
「フェニックス様……」
「私が出る。計画のための重要なピースだ、逃すわけにはいかない。お前も準備を進めてくれ」
「……承知しました」
セバスは目を閉じ返事をする。
「下がってよい」
それを聞き、セバスは速やかに建物の中へ入っていった。
男が一人になると、遠くから風が吹いてきてバルコニーに咲いている花達を揺らした。
「……もう少しだ、エリカ」
フェニックスは、左手につけた指輪を空にかざした。
*
すっかり夜もふけ、パーティーもお開きの時間となっていた。
テーブルには多少のフルーツと、トランプなどのゲームが置かれている。
「——この町を離れようと思う」
俺の言葉に、うとうとしていたとらは顔を上げた。
「なんで? まだこの町にいるんじゃないの? この町は宿屋もたくさんあるし、食べ物だって美味しい。そんなに急がなくても……」
「いや、そうのんびりもしてられないんだ。今回の騒ぎはすぐに伝わるはず。いつ俺たちのもとに次の刺客がやってくるかわからない……。そうなる前に、ここから離れておいた方がいいんだ」
俺の言葉に彼女は口をつむぐ。その顔は、まだ何か言いたりないようだった。
「……まあそれに、俺は夢を探して旅する旅人『風吾』だからな。いつまでも一つの場所にとどまるっていうのも、よくないだろ」
俺はそう言って、ニヤリと笑った。
「俺は風吾さんについてくぜ!」
振り向くと、翔助は俺を見てへへーんと笑った。
「俺も元々お尋ね者として旅を続けてた。根なし草な生活は慣れっこだ! だったら俺は、風吾さんについていきたい! 頼む、連れてってくれ!」
翔助は頭を下げながら、頭の上で手のひらを合わせた。俺はそれを見て目をパチクリさせる。
「……すまん」
「なんで⁉︎ 怪我したら治せる、料理だって作るぜ⁉︎」
必死で訴えかけてくる翔助を前に、俺は顔をそらし口を開いた。
「……いや、最初から翔助は一緒に来るものだと思い込んでた。勝手に決めつけてて、すまん……」
俺はなんだか恥ずかしくて、更に顔を背けた。
「風吾さん……!」
翔助は立ち上がり、そのままぐるっと机を回って俺に抱きついてきた。
「もちろんだぜ‼︎ 俺は風吾さんと一緒に行く! これからもよろしくな‼︎」
翔助は喜びを表現するように思いっきり俺を抱きしめ、そして叫んだ。
俺はそんな翔助に揺さぶられながら、とらの方を見た。
「そ、それよりもとらの方だ……。本当に危険なのは、そっちの方かもしれない」
俺の言葉に、翔助は動きを止める。
「……どういうことだ?」
「考えてみれば当然のこと。とらは今回取引予定だったブレスギアを奪ったんだ、本当に狙われるのは彼女の方だ」
とらは既にそのことに気づいていたらしく、黙ったままコクリと頷いた。店長さんは驚いていたが、特に取り乱したりすることなく、むしろ彼女の心配をしているようだった。
「……じゃあ、どうするんだよ?」
翔助の言葉に、俺は黙り込む。
ヴァイロンが机の上に飛び乗り、その振動で積みかけのジェンガが崩れた。
「道は大きく三つある。この町を離れ身を隠すか、この町に残りそのブレスギアを使って自ら身を守るか、我らと共に来るか、だ」
ヴァイロンの言葉に、とらはハッと顔をあげる。
「こればかりは我らに決められることではない。彼女に決めてもらうしかない……」
「……一応まだ別の選択肢もある。そのブレスギアを連中に返すという道だ。……もっとも、それで命が守られる保証はないが」
俺の言葉を、彼女は横耳で聞く。その身体に大きな選択を迫られているのが見てとれた。
……俺にもそういう経験があった。シスターに逃げるよう言われた時、どの選択も何か大切なものを失うものだった。その中で、俺を後押ししたものはなんだったのだろう? 彼女を後押しするものは、何なのだろう?
「……いつ?」
「ん?」
「いつこの町を出るの?」
「そうだな……。明日の十時半には出発しようと思ってる」
「……少し考えさせて」
「……ああ、わかった。明日は西側の入り口から出発する予定だ。十一時まで待つ。それまでじっくり考えてみてくれ」
そう言うと、とらはコクリと頷いた。
俺は店長に目配せすると、コップに残った飲み物を飲み干して席を立った。
「さあ、もう夜も遅い。いくぞ! ヴァイロン、翔助」
そう言って俺は店を出る。
「え! あ〜、ちょっと待ってよ風吾さん!」
翔助も慌てて立ち上がり、皿に残ったリンゴを口に入れた。
「美味しかったぜ、とらちゃん! 店長さんも身体、気をつけてな! おやすみ!」
そうして俺たちは定食屋を後にし、宿に戻った。
*
風吾たちがいなくなり静まり返った店内で、とらと店長はしばらく黙って座っていた。
そのうち店長がテーブルの上の片付けを始め、とらもなんとなくそれを手伝った。二人は並んで皿を洗った。蛇口が閉められ水の音が消えた頃、彼女がふと口を開いた。
「……大盛さん、私——」
「——とらの、好きなようにしていい……」
彼女の迷いを先読みしたように、店長はそう言う。
「……私、いっぱい考えた。今までにないくらい考えたの……」
「ああ……」
「でも考えても考えてもむしろ頭がごちゃごちゃするばかりで、全然どうすればいいかわからなかった」
「うん……」
「……だからやめたの、どうしたらいいのかを考えるのは。代わりに、私は何がしたいのかを考えたの」
浮島とらにとって、大切なものは何か。
「……私、みんなが好き! 大盛さんも、店の常連さんも、近所のおばあさんもおじいさんも、みんな好き! 私を支えてくれる、迎えてくれるみんなが大好きなの!」
とらはそう言って笑う。店長は、それをじっと聞いていた。
「私はそんな皆に恩返しがしたい……。ここに残って、そんな大切な人たちを危険に巻き込みたくない。だから、私はあの人たちと行こうと思う……!」
言葉にした途端、彼女の目から大粒の涙が溢れ出す。
「……あれ? あれれ……?」
彼女は驚いたように涙を拭うが、それは止まることを知らずに溢れ出てくる。
泣きじゃくる彼女の肩を、店長はそっと抱きしめた。
「……ありがとう。とらの気持ち、ちゃんと伝わったよ……」
「……わ、わたし、ちゃんと皆に誇ってもらえるような人になりたいの……! ヒック、ただ皆に守ってもらうだけの人間じゃなくて、ただ、責めることしかできない人間じゃなくてぇ……!」
彼女は泣きじゃくりながら続ける。
「もうブレスギアで傷つく人がいなくなるように、色んな人を守りたいの、みんなを守れるような人間になりたいの……! だから、だからぁ……うわぁぁん……‼︎」
店長は震える彼女の背中を優しくさする。
「……とらはもう、私たちみんなの誇りだ。私の自慢の娘だ。どこへ行っても、それは変わらないよ。いってらっしゃい……」
静まりかえった夜空の下で、彼女を育んだ定食屋の明かりだけが優しく輝いている。
穏やかに晴れた春の夜、月明かりが静かに彼女の旅立ちを祝福していた。
*
町の出入り口は、近隣の町へ繋がる大きな道に面していることが多い。
俺と翔助は、西側にある出入り口に立っていた。もちろんヴァイロンも一緒だ。背中に大きなリュックサックを背負い、顔が見えにくいように帽子をかぶっている。
時計台を見ると、時刻は十時五十分。約束の十一時まで、残り十分となっていた。
「……翔助、彼女来ると思うか?」
「ん〜、元々あれだけブレスギアを憎んでたからなぁ。今回のことがあったからって、この町での生活を捨てるとは思えないなぁ……。とらちゃんは愛される看板娘だし!」
「だよな……」
「あれ? もしかして風吾さん、寂しがってる?」
翔助は、何故か少し楽しそうな顔をしている。
「なんだよ……。別に寂しくなんてない、ただ意見を聞いてみただけだ」
「ふ〜ん?」
翔助はますます愉快そうに笑う。何が面白いのか、俺には全くわからない。
「……ところで風吾さん、次はどこに行くんだ?」
「ああ、そういえばまだ言ってなかったな。次は、山奥の温泉街に行く。元々かなり有名だったらしくて、大戦後も人が集まってちゃんと温泉街として機能しているらしい」
「温泉街⁉︎ すげぇ! やったぜ!」
「山奥だから、追手が来るリスクも多少は減るだろう。もちろん人が多い分誰かに見られるリスクは捨てきれないが、俺は『風吾』だからな。気にせず、興味のままにいこう」
実際は、ヴァイロンに相談しながらたっぷり時間をかけて決めた。
まだまだ、何かを決めるというのは苦手なままだ。
「風吾さん……やっぱりあんた、最高だぜ!」
そんなことはつゆ知らず、翔助は嬉しそうに腕を回してきた。
「……やめろ」
俺はそれを振り解こうと、翔助を押しかえす。
ふと、翔助の向こう側から人がやってくるのが見えた。
「あれは……」
「え! とらちゃん来た⁉︎」
俺の呟きに、翔助は慌てて振り返る。
「いや、あれは……」
町の方から向かってくるのは、五人のゴツい男達だった。皆揃って赤いバッチをつけている。明らかに一昨日の組織の人間である。
「追手だ。風吾、どうする?」
ヴァイロンの声で、俺は時計を見る。針はまだ、十一時を指していない。
「……まだここを離れるわけにはいかない」
「ここで食い止めるしかない! 風吾さん、俺も戦う! 十一時まで粘ろう!」
翔助はそう言って、Tシャツの下からペンダントを取り出した。
「ああ! だが別に俺の力だけで——」
そう言いかけて、俺は翔助の顔を見た。それは、俺の初めての仲間の顔だった。
「……いや、そうだな。一緒にあいつらを蹴散らして、とらを待とう!」
「よっしゃぁ‼︎」
翔助がビーストフレームを展開する。俺もブレスレットに手を添え、ヴァイロンはその身体をビーストフレームへと変えた。それと同時に、向かってくる男達もビーストフレームを展開する。きっちり人数分、五体のビーストフレームである。
「……ったく、ブレスギアってそんなホイホイ出てきていいもんじゃないだろ!」
「五体くらいで泣き言いうな。俺がついてるんだ、万が一にも負けはない」
「さっすが風吾さん!」
俺の言葉に翔助はニッと笑った。
——すると次の瞬間、ヴァイロンが突然ビーストフレームを解除した。
「どうしたヴァイロン?」
「……声がした。私たちが戦う必要はもうない」
ヴァイロンが言った直後、向こうの方から何やらエンジンのような音が聞こえてくる。
「なんだ……? バイク?」
翔助は背伸びをして、向こう側を見ようとする。
大きな音を立てて迫ってくるそれに、目の前の男達も歩みを止め振り返った。
——次の瞬間、男達のビーストフレームの一つがこちらに向かって吹っ飛んできた。
「うおぉ⁉︎」
翔助は鹿の角を使ってそれを弾く。
向こうに残ったビーストフレームも、次々に殴られるようにして体勢を崩していく。
「なんだ……?」
視界が開け、正面に六体目のビーストフレームが見えた。
その身体からは紫色の光が放たれ、ゆらりと揺れる毛の一本一本が炎のように煌めいている。鋭い爪と牙、真っ直ぐ据えられた眼をした虎の上半身が、そこにあった。
「あれは……」
「——おりゃぁ‼︎」
その中に、力強く踊る少女の姿があった。その髪は赤みを帯び、赤く煌めく髪留めによってひとつに束ねられている。その肌は白く美しく、身体が生み出す曲線は生命のエネルギーに満ち満ちている。
「ごめ〜ん! 遅くなった〜‼︎」
彼女は残ったビーストフレームを殴り飛ばし、こちらに向かって大きく手を振った。
「——とら‼︎」
「——とらちゃん‼︎」
俺たちは駆け出す。後ろには、バイクに跨った店長の姿も見えた。
俺たちが駆け出すと彼女も駆け出し、俺たちは中間地点で合流した。
「……答えは出たか?」
俺はそう聞くと、彼女はうなずき真っ直ぐ俺の目を見た。
「……うん。私は、あなた達と一緒に行く! ブレスギアによる苦しみから一人でも多くの人を守りたい、それが私の意思……‼︎ だから、私を連れて行って!」
俺は翔助と顔を見合わせ、ニヤッと笑った。それから、俺たちは彼女に手を差し出す。
「もちろんだ。これからよろしくな、とら」
「やっぱ旅には、華がないとな! よろしく、とらちゃん!」
とらはその手をじっと見つめた後、ほどけるようにニコッと笑った。
「うん、よろしく! 風吾、翔助、それにヴァイロンちゃんも!」
とらはそう言って両手で俺たちの手を取った。その眩しさに、俺と翔助は一瞬たじろぐ。だがすぐに素に戻って、その手を握り返した。
そうして俺たちは、三人で笑った。
「奴らが戻ってくるぞぉ!」
向こうで店長が叫ぶ。見ると、吹っ飛ばされた男達が全員こちらに向かってきていた。
「……俺たち三人の初陣だ、景気よくいくか!」
「よっしゃぁ‼︎」
「フフ、こんな日がくるなんて……思ってもみなかった!」
俺たちは三人背中合わせになり、それぞれビーストフレームを展開した。
男達は声をあげ、ビーストフレームで突撃してくる。
——俺たちは一瞬でそれを吹き飛ばし、返り討ちにした。
「よっしゃぁ! すげぇ、二人とも強すぎるぜ!」
「……私、戦える!」
「初めての共闘だな……」
俺たちは向き合うと、ニッと笑って拳を突き合わせた。
「あ! とらちゃん、店長が……」
翔助が指差す方を見ると、店長が顔の横で手を振っていた。
「大盛さん……」
その姿を見て、とらは目を潤ませる。しかしすぐに目を擦って涙を払うと、手を大きく上げ笑顔で叫んだ。
「大盛さ〜ん‼︎ いってきま〜す‼︎」
それを見て、店長は涙を流しながら笑った。俺と翔助は、それを静かに見守った。
「いってきます、か……」
俺も、言えたらよかったな。
俺はふと、あの冬の日を思い出す。
「風吾さん?」
翔助が声をかけてくる。向こうからは、とらが確かな覚悟を胸に駆けてくる。
——いや、今度こそ。
「……行こうか!」
「うん!」
そうして、俺たちは歩き出した。
こうして俺と漆原翔助、浮島とらの三人は、共に旅をする仲間となった。