曖昧なのが一番いいよね
「次は、遠野さんの考えを聞かせてよ。遠野さんから見た五人について」
「山内と植野の関しては、お前と同じだよ。まあ、植野からは恨まれているだろうけど。女渕と渡会については、よくわかんねーな」
「親友なのに?」
「親友だからって、なんでも知ってるわけじゃねーんだよ。むしろ親友だからこそ、聞けないことだってあるしな」
「ふーん」
どうやら僕の知らないしがらみのようなものがあるようだ。
「じゃあ、田中君は?」
「彼方は絶対に犯人じゃねーよ」
「ふむふむ。その心は?」
「あ? 心?」
「なんで田中君が犯人じゃないと思うの?」
「信じてるからだよ」
僕は思わず頬が引きつってしまう。根拠を聞いたはずが、なんで惚気話を聞かされなければならないのか。
「そうじゃなくて、もっと、ほら、こうないの? 田中君が絶対的に犯人じゃない理由が。例えば、田中君は血が苦手だとか、アリバイがあるとか、山が怖いとか、足が悪いとかさ」
「ねーよ、そんなの。つうか、理由なんて必要ないだろ。恋人なんだから無条件に信じるに決まってるだろうが」
今何となく理解できた。僕が遠野さんみたいな人間と仲良くできない理由が。きっと遠野さんは理よりも情、実よりも妄を優先する人間なのだ。そりゃ、僕みたいな人間と話がうまくかみ合わないわけだ。
僕は別の角度から、話を聞くことにした。
「そういえば、遠野さんと田中君はどうして付き合うようになったの?」
「なんでお前に話さなきゃいけないんだよ」
「そのやり取りするのももう飽きたでしょ。どうせ話すことになるんだから、教えてよ」
「ちっ。ムカつく言い方だな」
遠野さんは、僕を睨みつけた後に渋々といった感じで話し始めた。
「べつに特別な理由なんてねーよ。普通に出会って、なんとなく好きになって、それで付き合って」
「それだけ?」
「それだけだよ。特別な理由が存在するのは漫画だけで、現実なんてなんとなくで出来てるんだよ。一緒にご飯を食べるとなんとなく美味しく感じる、話しているとなんとなく落ち着くってな」
なんとなくだが、僕にも理解は出来た。僕にも友人はいるが、何故友人でいるのか訊かれたらなんとなく楽しいから、なんとなく気が合うからと曖昧な答えしか思い浮かばないのだから。
「まあ、でも、それでもあえて理由をあげるならお互い同じ悩みを抱えていたからだろうな」
「同じ悩み? 遠野さんと田中君が?」
「わりいかよ」
「悪くないよ」
僕は悪いという言葉を呑み込んだ。
「あたしも彼方も親とうまくいってないんだよ」
「……それは意外だね」
遠野さんは、なんとなく親とうまくいってないんだなとは思っていた。娘が帰ってこない状況でも、捜索願一つ出されていないのだから。ただ田中君が親とうまくいっていないという話は、意外だった。
「意外だろ」
遠野さんは皮肉気に笑い、それからどこか思いを馳せるような表情で語り始めた。
「彼方の家はさ、所謂名家? って呼ばれる家系らしくてな、そのせいか日本男児はこうであれみたいな固定概念の元で育てられたんだよ」
それはあまり意外な話ではなかった。改めて思い返してみれば、田中君はどことなく品があった。それはもちろん見た目の清潔感によるものも大きいが、それ以上に所作の節々に育ちの良さのようなものが見受けられた。
それに都会ならいざ知らず、この街は田舎だ。都会の新しい価値観は入ってこず、古くからのしきたりや排他的な考えが未だに蔓延っている。特に古くからの名家ならば、それが特に顕著でも不思議ではない。
「昔ならそれでよかったかもしれないけどよ、でも、今はそう言う時代じゃないだろ? ジェンダーレスなんて言葉がある通り、男らしくとか、女らしくとかそんな区別なんてない。好きに生きればいいって時代だ。特に若いあたしたちの世代なんて、それが顕著だ。だけど、彼方の家は違った。古くからの考えに囚われて、それを彼方に強要した。そのせいか彼方は、自分の家の考えと、周囲の価値観の違いにギャップみたいなものを感じて悩んでたんだよ」
遠野さんは、古い考えや風習を悪のように語るが、これは二元論で語れるような話ではないと僕は思った。今の時代、古い考えは淘汰されるのが常だ。古いと言うだけで排除され、新しい物へ塗り替えられる。新しい物こそが正義であるかのような時代だ。
しかし人生はシンプルで、シンプルなことが正しいとするならば、今の時代の方が間違っているともいえる。ものが増えた現代では、その分不必要なものが増え、さらには不要なものが必需品のように振舞ってしまっているのだから。シンプルとはかけ離れ、人生を複雑にしてしまう誘惑が多すぎる。一方で昔はいたってシンプルで必要なものだけが溢れていた。余計なものなどなく、単純な人生を歩むことが出来たのだ。尤もそれが退屈で苦痛だと感じた人間もいるからこそ、今の時代が出来上がったのだが。
結局のところ、どちらが正しい正しくではないのだ。どちらも等しく正しく、等しく間違っている。曖昧な答えだが、曖昧にするからこその救いもあるはずだ。
二元論で語りたがる人間が多いからこそ、その結果が、田中君のような犠牲者を生み出してしまっているのだ。そう考えると、田中君もまた苦労しているのだなと思う。
「大変なんだね」
僕はそんな同情の言葉を返した。
僕は田中君と友達ではないから、同情は出来るのだ。