見た目だけのくそ野郎は、今すぐ消えてほしい
授業中に寝てしまい、起きた時に自分がどこにいるかわからない。そんな経験をした学生はきっと多いはずだ。僕は今それを直に体験していた。
見覚えのない白い天井に、ベッド。嗅ぎなれないアルコールの香りに、洗い立ての真っ白なシーツ。何もかもが見覚えのない光景だったため、そこが保健室であることに気づいたのは、一分ほど経過してからだった。
「痛いところはない?」
「頭が少し……」
霞がかった思考がまとまらない頭を振り、反射的に答えた。
「……なんで田中君がいるの?」
横を向くと、看病するかのように椅子に座る田中彼方君の姿を見つけてしまい、僕は思わず目を逸らした。彫刻のように彫の深い顔立ちと背後に観音様がいるかのようなオーラを放つ田中君は、僕のような人間には直視できないほどに輝いているのだ。
「丁度手が空いていたからね。先生に見ているように頼まれたんだ」
そういえば、田中君は体育をよくサボっていたな。なんでも肌が弱いそうだ。確かにこうして間近で見ると、田中君の肌は病的に白かった。
しかしだとしても密室で二人きりにするのはどうなのだろうか。先生からの田中君への信頼が伺えてしまう。
「それより、目も痛むの?」
僕が目を逸らしたことを指しているのだろう。
「いや、自動販売機に群がる虫の気持ちになっただけだよ」
田中君が不思議そうに首を傾げる。どうやら僕も本調子でないようだ。自分でも何を言っているのかわからなかった。
「今日の日直は、俺一人でやるから」
「ありがとう」
正直もう痛むところはないが、有難く好意を受け取ることにした。やっぱり好意を無碍にするのは、よくないからね。それに黒板掃除は、とても面倒だ。
無言の時間が流れる。窓の外では季節外れの蝉の声が響いていた。
嫌な時間だ。僕みたいな人間からすれば、これほどまでに苦痛な時間はない。これならいっそ、いない者として扱ってくれた方がましだ。っていうか、どうして田中君は残ってるんだよ。嫌がらせか? だとしたら相当に性格がひねくれているな。見た目だけのくそ野郎だ。今すぐに消えてくれ。
そんな僕の祈りが届いたのだろう。
田中君は「じゃあ、俺は行くね」と立ち上がった。そして保健室から出る直前に足を止め、振り向いた。
「アリサのことで何か知ってることはない?」
「アリサ?」
聞き覚えのない単語に、僕は訊き返した。
「遠野アリサだよ」
遠野さんは、アリサという名前のようだ。顔に似合わず可愛らしい名前をしている。
「やっぱり彼氏としては、心配?」
「そうだね。無断欠席自体は、何度かあったけど、その時でも俺には連絡をくれていたんだ。だけど、今回はそれがなくてね」
それは僕が遠野さんから携帯を取り上げているせいだろう。
「仲いいんだね」
「まあね」
照れることなく、田中君は答えた。
「でも、どうして僕にそんなことを訊くの?」
「どうしてだろう。……なんとなく君なら知ってると思ったんだ」
僕は真意を探るように田中君へ視線を向ける。田中君は、いつものように見慣れた柔らかな表情でこちらを見ているだけだった。意図を読み取ることが出来ない。
「ううん。知らないよ。でも、すぐに会えるんじゃないかな」
「そっか。うん。そうだと良いな」
残念そうな表情も見せずに田中君は去っていった。