夜の学校
ショートケーキのような真っ白な校舎は、夜になるとチョコレートケーキに変身を遂げる。普段は好々爺の微笑みのような入り口も、殺人鬼の冷笑のような薄ら寒さが漂い始める。更に中に入れば、怪物の胃袋のような薄気味悪さに満ち満ちており、冷房いらずの世界が待っている。唯一の光源である月は、雲に隠れては現れて、切れかけの裸電球のようだ。教室を覗くと、学生たちの後悔やら諦念やらで満ちている。息を吸うだけで、胸がいっぱいになった。
そんな風に条文駄文で表現してみたけど、端的に言えば僕は今、夜の学校を訪れていた。
っというのも、昨日に引き続きコマちゃんの捜査を手伝うためだ。なんでもコマちゃんの推理では、犯人はオカルト研究部の人間のようで、部室を調べるために学校へ訪れる必要があるそうなのだ。
昼ではなく夜なのは、お互いのわがままが原因だ。僕は放課後に用事があり、コマちゃんは僕といるところをあまり他人に見られたくないそうなのだ。
ただ今にして思えば、もう少し早い時間帯に来るべきだったのかもしれない。
時刻は二十二時。既に生徒どころか教師も帰宅しているころだろう。まあ、だからこそ簡単に侵入出来たともいえるが、やはり夜の学校はあまり喜ばしい場所ではない。ただでさえ不吉な印象があるのに、普段の陽気な姿を知ってしまっているせいか余計に恐ろしく思えてしまうのだ。まあ、だからって怖がりすぎるのもどうかと思うけど。
「……いい加減離してもらえないかな」
僕はため息交じりに振り返る。後ろにはコマちゃんがいるのだが、その姿は普段の天上天下唯我独尊、威風堂々、あらゆる生物を見下すさまとは違っていた。まるで小動物のように体を小さくし、僕のスカートの端を掴んでいる。
「あなたの服にゴミがついてるのよ」
「だったら掴む必要がないだろ」
「あなたとゴミがどうかして取れないのよ」
ひどい言い草だ。僕がゴミとでも言いたいのだろうか。
「はー。お化けなんていないよ。死んだ人間は、死ぬんだから」
「そんなのわからないじゃない! 死んだ人間は、人間じゃないんだから!」
何を言っているかわからないが、たぶん死んだ人間は人間じゃなくなるから、論理が通用しないとでも言いたいのだろう。そう言えば、昔もよくそんなことを言っていたっけ。懐かしさに思わず胸が冷める。
「じゃあ、こう考えてみればいいよ。死んだ人間は、生きている人間」
「は? なに? 馬鹿にしてるの?」
「そうじゃないよ。死んだ人間は、あの世に行く。でも、中には行けない中途半端な人間もいるかもしれない。そんな中途半端な、いわば死人が幽霊の正体なんだよ。そう考えれば、怖くないだろ? だって人間なんだから」
「……あなたみたいなのが幽霊ってこと? 確かにそれなら怖くないわね。むしろ憎たらしく思えてきたわ」
ひどい言われようだけど、まあそれで納得してくれるならいいか。
「あと、私は別に幽霊を怖がっているわけじゃないから。勘違いしないでよね!」
「ツンデレって今どき流行らないと思うよ」
「あ? ツンドラに沈めてデレンデレンにしてあげましょうか?」
「それはもうただの殺害予告をするいかれた人間だよ」
それからは何事もなく(僕がコマちゃんを驚かそうとして顔面にパンチを食らった)到着した。
予め盗んでおいたオカルト研究部の部室の扉の鍵を開け、中へ入る。室内は、特段変わった所のない部室だった。中央に長机が置かれ、その周りを囲むように幾つかの椅子が置かれている。壁には宇宙人や口裂け女などのポスターなどが張られており、オカルト研究部らしさが見える。少なくとも凄惨な事件の関係者が所属している部活には思えなかった。
「そう言えば、オカルト研究部って何をする部活なのかしら?」
コマちゃんが室内を睥睨しながら訊いてきた。その目には恐怖はなかった。既に探偵としてのコマちゃんの色が濃くなっている証拠だ。
「オカルトを研究する部活だよ」
「そんなのわかってるわよ! そうじゃなくて、具体的な活動内容を聞いているのよ」
「そう言われても僕は部員じゃないからね。まあ、由宇ちゃんが言うにはノストラダムスに関連する事柄を特に多く研究してたって聞いたよ」
「ノストラダムス?」
「そう。もしかして知らない? ノストラダムスの大予言」
「知ってるわよ。でも、あんなの眉唾でしょ? 実際記された日付になっても、世界は滅ばなかったんだし」
「うん。そうだね。だけど、あれを信じた人間が、あの時代は多かったそうなんだよ。そしてそれを信じるあまり、集団自殺を実行した人間たちもいた。由宇ちゃんは、そんな人間の心理に関心を示してたんだよ」
よく僕もその話題に付き合わされたものだ。その時の由宇ちゃんは、子供がおもちゃを自慢するような表情を浮かべていた。
「案外まともなのね」
どこか感心したようにコマちゃんが呟く。
「由宇ちゃん曰く、他の部員は宇宙人やら幽霊やら呪いやらを研究していたみたいだけど」
「そいつらは死んだほうが良いわね」
「いや、もう死んでるんだよ」
中々にひどい会話だ。他人には聞かせられない。
「部員は何人ぐらいいたのかしら?」
「確か由宇ちゃんを合わせて五人だったかな。……ほら、この写真に写っているのが部員だよ」
僕はそう言って長机の上に置かれた写真立てを持ち上げる。おそらく記念写真なのだろう。オカルト研究部の部員五名が部室内で仲良さげにピースをしながら取っている写真だ。前列に三人、後列に二人。由宇ちゃんは後列にいた。
コマちゃんが写真を覗き込むように、僕の隣に立つ。女性にしては高い身長のコマちゃんが隣に立つと威圧感があった。あと、なんだかいい匂いもする。糸杉のような匂いだ。
そんな風に見惚れていると、コマちゃんがぎろりと睨みつけてきた。
「あんた何がしたいの?」
どうやら見惚れることすらも許されないようだ。
「なんでもないよ」
コマちゃんはどこか納得いかない表情で、写真へ視線を向けた。
「この二人が井原拓と、坂野満で良いのよね?」
コマちゃんが前列の二人を指さす。僕は肯定するように頷いた。二人とも既に殺されてしまった二人だ。
「じゃあ、こいつが東恭平」
コマちゃんは顔を歪めながら前列に写る一人を指さす。
「あれ、もしかして知り合いだったりする?」
前列の一人である東恭平は、生きている。つまり犠牲者ではない。コマちゃんが顔と名前を知っているはずがないのだ。
「違うわよ。あなた昨日の私の話を聞いていなかったの?」
「聞いてたけど、理解できてないんだよ」
「それなら仕方ないわね。馬鹿なんだから。昨日私は、オカルト研究部の部員が犯人と言ったでしょ? で、生きているオカルト部員は現状一名しかいない。必然的にそいつが犯人候補になるわ。だからその話を警察にしたのよ。多分警察も同じように考えていたんでしょうね。すぐに東の身柄を確保するために行動を始めたわ。東もそれを予想してここ数日姿をくらませているみたいだけど、時期に掴まるでしょうね」
なるほど。警察に教えてもらったから知っていたという事か。
「それなら、今日ここに来る必要はなかったんじゃないの?」
もう既に犯人が判明しているのだ。言い換えれば事件は解決したも同然。わざわざ夜の学校に忍び込んで、部室を調べる必要はなかったはずだ。
「探偵の仕事は、事件のすべてを明かすことよ。中途半端な所で終われるわけがないでしょ」
「そうですか」
本当に傍迷惑な人種だな。
コマちゃんは再び写真へ目を向けた。そして何かに気づいたように声を上げる。
「ん? こいつは誰よ?」
コマちゃんが指さした先に写っているのは、後方に写る男だった。
「ああ、その人は確か間宮祐樹だっけかな。井原たちと同じ二年の部員だよ」
由宇ちゃんの隣で笑顔を浮かべており、どことなく狐を連想させる男だ。
「でも、その人は関係ないと思うよ」
「どうしてよ?」
「だって去年の冬頃に死んでるからね」
そう、間宮は既に亡くなっているのだ。一連の事件が起こる前に。
「は?」
「だから去年の冬に亡くなってるんだよ」
僕が答えると、コマちゃんは呆れたように息を吐いた。
「あなたね……そう言うことはもっと早く話しなさいよ。っていうか警察も警察よ。情報は全部寄こせって言ったのに」
コマちゃんはいらいらしたように髪をかきむしる。
「今回の事件には関係ないだろ」
「関係ないわけないじゃない! どう考えてもかしいでしょ? この小さな町で、それも同じ高校の同じ部活の生徒が四人も亡くなっているのよ? 明らかに異常な事よ」
「そう言われればそうだけど、でも、人の死が連鎖することは往々にしてあるじゃん。べつに異常ではないでしょ」
「それはあなたが異常だからよ。いい。異常な人間の普通は、異常なのよ」
コマちゃんは頭痛を堪えるように頭を押さえ、目を細めながら言った。
「とりあえず、間宮祐樹の件について詳しく話しなさい」