久美静香由宇との出会い
夢を見ていた。由宇ちゃんと出会った、あの日の。
僕が由宇ちゃんと出会ったのは、入学式の日だった。
繊細で、傷つきやすい、桜の季節だ。
息を吸えば体が重くなり、皮膚がむずがゆかった。
桜を見るだけで、自己嫌悪に苛まれていた。
だから僕はなるべく季節とは関わらないように、ゆっくりとした足取りで逃げて、気づけば見ず知らずの神社へ辿り着いていた。
そこで出会ったのだ。
どこか浮世離れした容姿を持つ少女に。
少女はボーと眺めていた。
桜を携える木を。
そしてそれを眺める少女もなんだか違っていた。
制服を見れば同級生だとすぐに理解できた。
どんな洋服でも似合いそうな容姿をしていた。
それなのに、少女は制服が似合っていなかった。
少女が制服を身に着けているのではなく、少女が羽織る何かの上に制服を身に着けている。そんな違和感があった。
だからだろうか、親近感がわいたのは。
僕も制服が全く似合っていなかった。
近所のお喋り爺さんが、愛想笑いを浮かべ口を閉ざすほどだ。
ただ僕と少女は少しだけ違っていた。
似ているのに、少しだけ違う。
正反対なら気にならない些細な違いだ。
だからこそ余計にその違いが気になった。
似た人生を歩んではいるが、一つ一つのボタンが違っているのだろう。
そんな風に見ていると、少女がこちらに気づき、視線を向けてきた。なんだか変な目をしていると思った。視線は合っているはずなのに、あっていないような違和感を覚える。
「おっはよー」
桜には似つかない大きな声を少女は上げた。声同様に体の動きも大きく、宇宙と交信するかのように両手を挙げた。そのせいか頭についた真っ白なカチューシャがアルミホイルに見えてしまう。
僕は咄嗟のことで、何も言えなかった。
「うわー。大きいね。色々と。あ、でも、黒目が小さい。あれだね、三白眼ってやつだ。珍しい。始めて見た。でも、あれだよね。三白眼って昔は犯罪者に多かったんだって。ってなると、私今ピンチ?」
少女は話し続ける。しかも内容はかなり失礼だった。初対面の相手を犯罪者扱いするとは、僕が相手じゃなければ殺されても仕方ない無礼だ。
「……えっと、反応してほしいんだけど。もしかして人間じゃない? 宇宙人? 地底人?」
「いや、人間だよ」
僕はやっと反応を返した。すると少女は大げさなほどに喜んだ。
「良かったー。あ、でも、人間じゃなかった方が良いのか。良かったけど、残念」
喜んだり悲しんだり、感情が忙しい人間だと思った。
「じゃあ、改めて。おっはよー」
少女はピースをしながらそう言った。僕はグーを出しながら言い返した。
「こんにちは」
「おっはよー」
「こんばんは」
僕の挨拶に納得がいかないのか、少女は首を傾げる。
「……さては君、あれだね。ひねくれ者ってやつだ」
「僕がひねくれているかどうかは、この際置いておくとして、もう昼を過ぎてるのに、おはよーはおかしいと思うんだよ」
「おかしくないよ。いつだって始まりは『おはよー』なんだから」
よくわからない考えだし、きっと関わってはいけない類の人間なんだろう。なにせこの僕の足がこの場から逃げ出したいと訴えてるんだから。ただ悲しいかな。いつだって、この世界は僕の意思を尊重してくれないのだ。
少女は桜を見ながらポツリと呟いた。
「ねえねえ、桜って汚いよね」
その意見には同意見だったが、僕は仲間だと思われたくないので、世間に迎合した意見を口にした。
「そうかな? 綺麗だと思うよ」
「綺麗だから汚いんだよ」
少女からは痛い奴を演じている人間特有の曖昧さがなかった。本気で自分の思想や考えを信じ切っている人間特有の薄気味悪さを感じる。だからだろうか、僕は一刻も早くこの場から去りたい気持ち以上に、少女に興味を持ってしまったのだ。
「だってさ、こんな綺麗に咲き誇るなんて普通じゃないもん。それに、ほら、桜を人に例える詩とかあるでしょ? 人間と桜は似ているってやつ。確かに考えてみれば似てるよね。特に両方ともが明日の命も保証されていないところとか、儚さの裏に醜さを隠している所とか。でも、明確な違いがある。人間は一度死んだら、もう二度度生き返らないけど桜は違う。桜は一度散っても、また咲き誇るんだよ。似ているはずなのにおかしいよね。奇跡みたいだよね」
「奇跡ならいいんじゃないの?」
「駄目だよ。奇跡は起こっちゃいけない。だって奇跡が幸せにしてくれるのは、享受した側だけなんだからね。採取される側の不幸で補っているだけなんだよ。それって良くないじゃん」
「良くないか、良くないかで言えば、良くないね」
なんだか知り合いの探偵に似た考えだったため、僕はつい適当に返してしまう。
「でしょ? あ、でもそう考えたら、桜の下には死体が埋まってるんじゃなくて、人の不幸が埋まっているのかもね」
少女はそう言って笑った。何が面白いのかわからないし、やっぱり言っていることの意味がわからなかった。会話を始めてから、一度も少女とは会話が噛み合わない。それに目もあっているようであっていない。少女はずっと、僕を見ているようで見ていないのだ。
「それならどうして桜を見てたの? 桜が嫌いなら見なければいいじゃん」
「え? べつに桜は嫌いじゃないよ。私嫌いって言ったっけ?」
「言ってはいないよ」
確かに少女は嫌いとは言っていない。だけど、汚いと表現していたのだから、言っているようなものだろう。
「良かったー。汚いけど、惹かれるってあるじゃん。あれだよ。私は桜を汚いって思ってるけど、嫌いではないんだ」
僕とは真逆だ。僕は綺麗だと思っているけど、嫌いだから。
「それにね、桜を見てたのは別の理由があるんだよ」
「別の理由?」
「うん。お願い事をしてたんだよ」
予想していなかった理由に、僕は思わず気の抜けた返事を返してしまう。
「……そうなんだ」
「反応が薄い! もっと驚いてよ」
「そう言われても……お願い事をするなら、そこにすればいいじゃん。ここは神社なんだから」
僕は近くにあった拝殿を指さす。すると少女は、意外な言葉を聞いたかのように目を見開き、取り繕うように早口で言葉を発する。
「……もちろん知ってたよ。うん。知ってるに決まってるじゃん。ここが神社だなんて、生まれる前から知ってたよ。私はこう見えて、この街には詳しいからね。知らないわけがないじゃん。でも、ほら、神様は忙しいじゃん? 毎日いろんな人のお願い事をかなえていて、休む暇もないでしょ? だから私は桜にお願い事をしてたんだよ」
口を開けば開くほどに、胡散臭さが増していた。
「でねでね、私が何をお願いしてたか知りたいよね? 知りたいでしょ?」
「知りたいか、知りたくないかで言えば、知りたくないこともないこともないかな」
「知りたくないこともないこともない?」
少女は自分の頭に人差し指を当てて、首を傾げる。それから唸るような声を上げ、頭を左右に振った。
「……知りたくないった事じゃん!」
「端的に言うとそうだね」
「ひどい! もっと興味を持ってよ! 知りたがってよ」
「そう言われても……」
他人の不幸話と願い事ほど興味のない事柄はない、と言おうと思ったのだが、小動物のような悲しそうな瞳を向けられると、さすがの僕でも毒気を抜かれてしまう。
「なにを願ってたの?」
少女は嬉しそうに破顔する。
「知りたい、知りたい?」
「うん。とても知りたいな」
「仕方ないな。友達記念に特別に教えてあげるね」
どうやら僕らは友達になってしまったようだ。入学初日に友達が出来るなんて幸先が悪いことこの上ないな。
「私はね」
少女はまるで世界全てに届けるように、空を見上げながら言った。
「お兄ちゃんに会えますようにって、お願いしたんだよ」