首吊りは醜い
起きると、既に二十二時になっていた。窓の外には、砕けた氷のような月が佇んでいる。
事情聴取が終わり、そこからアパートに帰ってきたのが十八時だから、四時間ほど寝ていた事になる。
それにしても中々に刺激的な夢だった。
僕が蛾として、自動販売機に群がっている夢だ。
一体全体、あれは何を暗示しているのだろうか?
はたまた僕の深層心理が表面化したのだろうか?
だとするなら、僕の自罰意識にはほとほと呆れたものだ。
「おそよう」
起き上がる。関節が錆びたように軋む。喉も砂を飲んだように乾燥していた。
視線を上げると、見慣れた景色が広がっていた。
六畳一間、畳敷き。それだけで完結してしまうほどに簡素な部屋だった。テレビもベッドもクローゼットもない。取調室と大差ないほどに温かみのない部屋だ。唯一、生活感を思い出させてくれるのは、部屋の端に寄せられたド派手なピンク色の椅子だけだろう。ただそれもこの部屋にあるせいか人間椅子のような不気味さが醸し出されてしまっている。
布団を押し入れにしまい、再び畳に腰を下ろす。ひんやりとした感触が、寝起きで錆びついた体には心地いい。
さて、どうしたものか。
中途半端な時間に起きたせいか、することがない。
空腹を感じてはいるが、食べ物がない。それなら買いに行けばいい話なのだが、そこまでするほどに空腹を感じてはいなかった。
結局もうひと眠りしようかと、もう一度布団を出そうとするが、そこでやるべきことを思い出した。
いや、正確に言えば、思い出さなければいけないことを思い出したと言うべきか。
それは言うまでもなく、久美静香由宇の事件に関してだ。
本当なら夢の中で記憶の整理をつけたかったが、僕の深層心理は僕ほどに感傷的ではないようだ。
だから仕方なしに、こうして意識的に由宇ちゃんが死んだ時のことを思い出す必要があった。
昨日の僕は、いつものように学校が終わると生徒会活動に励み、真っすぐ帰宅をし、常ならば畳の上でボーとして過ごすのだが、昨日は個人的な用事があったため外出し、それから一度帰宅してから斐川神社へ向かった。既に陽も更けていたせいか、外は真っ暗だったが、幸いと言っていいのか、そこまで遅い時間ではなかったため、問題なく斐川神社へ到達することは出来た。
斐川神社は、当然ながら人っ子一人いなかった。昼間でさえ訪れる人間はいないため、夜はこの世界から断絶されたような独特の空気が満ちていた。当然灯りもなく、僕は何かに躓き転びかけながらも階段を一段一段登った。
そしてその先で見つけてしまったのだ。
久美静香由宇の死体を。
元々の由宇ちゃんはとても美しい顔をしていた。
少しだけ垂れた二重瞼。
存在感のない鼻。
ちょこんと申し訳程度についた口。
個々で見たら決して整っているわけではなかった。
でも、全体で見た時にバランスが絶妙で、不思議と安心と温かみを感じる、そんな顔立ちをしていた。
でも、その日の由宇ちゃんは違った。
目は大きく見開かれ。
鼻は興奮した中年のように膨れ。
口は痴呆のようにあぶくを垂らし。
とても醜いものだった。
あれほどまでに醜い死体を、僕は未だかつて寡聞にして知らない。
と、そんなふうに回想をしている最中のことだった。
ドアがノックされた。いや、そんな生易しいものではなかった。うちのアパートにはインターホンなんて上等なものがないため、ドアを叩くのは仕方ないのだが、だとしてももっと優しくあるべきではないだろうか。
しかし、それにしてもこんな時間に一体全体何の用で、誰だろうか。既に時刻は二十二時を過ぎている。人の家を尋ねるには非常識極まりない時間帯だ。
警察?
なにか自体が急変して、早急に僕に会う必要があるならわからなくもないが、心当たりがない。
お隣さんだろうか?
それもないな。お隣さんは、売れないロックバンドのボーカルを務める顔面タトゥー塗れのファンクなお姉さんだが、見た目とは違いとても常識的で心優しい人物だ。こんな時間に、それもあんな乱暴なノックをするわけがない。
考えていてもらちが明かないな。
僕は立ち上がり少しの警戒と共に鍵を開ける。
「はいはい」
そしてそんなやる気のない声を挙げながらドアを開ける。しかし開けたドアは二つの理由で半分もしないうちに止まってしまった。一つは向こうにいた人物によってドアの間に足が挟まれたから。もう一つは、僕にとってあまり好ましい人物ではなかったからだ。
「死んでください」
だから僕は思わずドアの向こうにいた人物に向かって反射的に本心を口にした。