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ギャルを誘拐した。そして監禁した。  作者: 樫村ゆうか
第二章 電波少女が首を吊った。そして探偵が現れた。
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首吊りは、やめておいたほうが良い。

 久しぶりの娑婆の空気は、とてもまずかった。口に入り、肺に到達するころには泥に変化しており、吐き気がする。これなら最初から泥を舐めていた方がましなぐらいだ。

 

 続いて空を見上げる。晴れていた。空の上でお祭りでもしているかのように。きっと一人の人間の死なんて、この世界にとってはどうでもいいことなんだろう。所詮人間なんてはいて捨てるほどいるのだから。誰かにとって特別な一人でも、その誰かもまた特別ではない。つまるところ、特別な人間なんていないし、特別だと思っている人間は、その時点で特別ではないという事なのかもしれない。


「あっ」

 

 そんなことを考えながら歩いていると、二つほど記憶が脳内に蘇った。

 一つは、幼少期に事情聴取を受けた時のことだ。あの時も、今回同様に趣のない問答が繰り返されたが、机の上にはかつ丼があった。それなのに今回はなかった。僕も大人になったという事なのだろう。まさかこんなところで年齢を意識させられるとは思わなかった。


 もう一つは、由宇ちゃんとの会話だ。

 あれは確か一年の三学期の終わりに差し掛かったころだったか。何故その話題に至ったのか覚えていないが、僕と由宇ちゃんは自殺とは何かという議論を放課後の教室で交わしていた。まあ、由宇ちゃんとの会話は電波的な内容が多かったので、あの時も自殺って言葉は曖昧じゃない? みたいな流れだったのだろう。


 とりあえず僕らは、自殺に関して議論をしていたのだ。

 議論は、まず自殺って言葉の定義から始まった。辞書によると自殺とは、自分の生命を自発的、あるいは意図的に奪う行為と記されていた。

 ただ意図的にという言葉は、酷く曖昧だ。例えばAさんという人間がいたとしよう。そしてAさんは自殺した。自分の命を意図的に奪ったのだから、言葉の定義としての自殺には当てはまるだろう。しかし意図的かと言えば、そうではないはずだ。


 意図的という言葉は、目的を持っての行動を定義している。

 だが、Aさんに自殺の目的はあったと言えるのだろうか。

 もちろん最終的にAさんは、自殺を目的としていた。だが、Aさんが自殺を遂げる過程には何かがあったはずなのだ。それさえなければ考えもしなかったはずだ。


 つまりゼロから一を作ったのは、Aさんではないと言える。

 果たしてそれでAさんの意図的行動は、Aさん自身の意図が含まれていたと定義できるのだろうか。

 いや、そもそもとして自発的であるかすらも疑わしい。

 自発的とは、外からの働きかけではなく自分の意思で行動を起こすことだ。


 しかしこの世の中に完全な自由意志など存在しない。

 世の中の人間は往々にして他人からの影響を強く受けている。思考は誰かの意見で、意思は誰かの模倣。自分で選んだつもりでも、そこには必ず他人の影響が色濃く反映されてしまっているのだ。


 そんな風に僕がべらべらと喋ると、由宇ちゃんは『あー君らしい考えだね』と笑った。


 関係ない話だが、彼女は僕をあー君と呼ぶ。その理由は、『あー君』と言う音の響きが好きだからだそうだ。意味が解らない。

 

 それ以降も無駄な議論は続いた。最終的には、由宇ちゃんはノストラダムスの大予言に紐づく集団自殺に辿り着き、『自殺は正しい』というネットで炎上間違いなしの発言に着地をした。当然僕は訊き返したわけだ。


「自殺が正しい?」

「そうだよ。そうなんだよ! 自殺は正しい! 凄いよね! びっくりだよね! 面白いよね! あははははは」

 

 相変わらずテンションがおかしいし、何が面白いのかさっぱりわからなかった。


「なんで自殺は正しいの?」

 

 僕はもう一度質問をした。由宇ちゃん相手にするときは、根気強くいることが大切だ。


「あー君は、人間の限界って何だと思う?」

 

 質問に質問で返されてしまった。しかもよくわからない質問だった。仕方なしに僕は考えるふりをしてから、適当に答えた。


「あれじゃないかな」

「あれ?」

「そう、あれだよ」

「あれ?」

 

 まるで老人の会話みたいだった。普通の人間なら、僕のいい加減さに嫌気がさして怒るなりしてくれるのに、由宇ちゃんはしてくれない。一緒になって楽しもうとしているのか、あるいは言葉の意味を探っているのか、いつもこうなのだ。


「法だよ」

「法?」

「僕たちは社会に生かされているだろ? そしてその社会は法なくして成り立たない。人間が人間であろうとすることは、法を順守することなんじゃないかな」

 

 僕は思っていないことを口にした。案の定、由宇ちゃんにそれを見破られる。


「なんかあー君らしくない考えだね」

「そうかな?」

「そうだよ。だってそれって法を護らない人間は、人間じゃないってことでしょ? あー君らしくないよ。あー君なら、法を護らない人間こそが、人間って言うはずだもん。人間の本質は悪だから悪をなす人間こそが人間。正義を成す人間は、それだけで迷惑だから人間じゃないって言うに決まってるよ」

「由宇ちゃんの中で僕はどんな人間なんだよ」

「人間じゃないけど、人間らしい人間」

 

 頓知がきかない一休さんみたいな答えだった。


「それよりも、由宇ちゃんの考えを聞かせてよ。由宇ちゃんは人間の限界って何だと思うの?」

 

 その質問に待ってましたとばかりに由宇ちゃんはニヤリと笑う。


「よくぞ聞いてくれたね。聞きたい? 訊きたい? 聞きたいよね。うん。私に任せて。私が宇宙からの電波を受信して得た考えを啓蒙してあげるよ。人間の限界はね、この世界の限界だと思うんだよ」

 

 由宇ちゃんは、演説でもするかのように椅子の上に乗り両手を広げた。


「言語の限界が世界の限界。確かウィドゲンシュタインの言葉だったよね? それと同じで人間の限界は世界の限界なんだよ。だって社会って突き詰めれば、この世界そのものでしょ。そしてこの世界で生きることこそが人間の限界。じゃあ、世界の限界って何? それは倫理観。生理的嫌悪ってあのぞわぞわと肌に虫がたかって来るみたいな感覚がわかりやすい例だね。法的には許されていても、許せないことがたくさんあるでしょ? でも何故許せないかって聞かれたら答えられない。私たちの遺伝子に刻み込まれているから。有史以来の記憶と共に」


 由宇はそう言って自分の頭をトントンと叩いた。まるで宇宙と交信しているようで、宇宙空間にいるような感じがする。


「……法だけでは不十分という事? でも、それと自殺を肯定することがどう関係しているの? 無関係に思えるんだけど」

「倫理を超越するには、人間の限界を超えなきゃいけない。でも、私たちがこの世界にいる限り、人間の限界は越えられない。だからこそ自殺するしかないんだよ。自分の意思で、自発的に意図的に命を絶つしかない。たぶん集団自殺した人たちもそうなんじゃないかな。自分の意思で、この世界を飛び立つ。それが救いだと信じていた。そうして初めて世界の限界を超えて、人は人から解放されるんだよ」

 

 いつも通りよくわからない話だった。なんで自殺することが人間の限界を超えるのか、少しも理解できなかった。ただ今日はいつにもまして電波的で狂気的で哲学的な話だと思った。もしかしたら由宇ちゃんは本当に宇宙からの電波を受け取っているのかと考えてしまうほどに。


「よくわからないけど、自殺するなら首吊りはやめたほうが良いよ」

 

 僕は母親のような口調で忠告をした。すると由宇ちゃんは少し驚いたように目を見開き、くすりと笑った。


「今の話を聞いて、そんな感想を抱くの、あー君らしいね」

「そうかな?」

「そうだよ。普通の人ならドン引きの話だもん」

「ドン引いてるよ。でも、僕には関係ないからね。それに話としては面白かったし」

「あー君のそう言うところいいよね。私は大好きだよ」

 

 そう言って抱き着いてくる由宇ちゃんに、僕はされるがままになる。人は自分にない物を持っている人間に憧れを抱く傾向があるなんて言うけど、僕が由宇ちゃんに憧れてしまうのはこういうところなのだろう。僕はこんな風に素直に好意をつたえることが出来ないのだから。

 しばらくすると満足したのか、由宇ちゃんは椅子に座りなおした。


「でもさ、なんで首吊りはやめたほうが良いの?」

「首吊りは醜いんだよ」

「そうなの? 簡単に死ねるって聞いたことあるけど」

「それは間違った知識だね。僕が昔読んだ『完全自殺』って本では、首吊りは、苦しいって書かれてたんだよ」

「……おっかないタイトルの本だね」

「題名ほどは物騒じゃないよ。自殺の方法が記されているけど、ちゃんと最後には自殺は良くないって言葉で結ばれているからね」

「DV男みたいな本ってことか」

「そのたとえはよくわからないけど、まあ、あれだよ。ほら、知らないことは怖がりようがないだろ? だからこそ正しい知識を得て、正しく怖がろうってことなんだと思うよ」

 

 由宇ちゃんは首を傾げながら、その細い首に自分の手でふれる。


「由宇ちゃんがさっき言ってたように世間一般では首吊りって、メジャーな自殺の方法の一つだろ? なにせ必要なのは縄一本と希望だけ。お手軽に気軽に死ぬことが出来る。でも、どうやらそうではないらしいんだ。確かに上手くいけば楽に死ねる。だけど、人一人をこの世から消すことが、そんな楽なことがあってはいけないって神様は思っているんだろうね。あるいは神様の傲慢か。まあ、ともかく大抵は失敗するそうなんだよ。で、失敗したら大変だ。上手く意識が落ちなければ苦痛を味わうし、何より死体は醜くなる」

 

 僕は脳内で『完全自殺』を開き、ページを捲る。


「目は零れ落ちるかのように開かれ、口からはあほのようにベロを出している。まるでこの世の醜さを表情で表しているかのようにね。これ以上ないほどに醜い死に方だ。もっとも死んだ後のことなんて関係ないって言えば、それまでなんだけど、僕らだって女子の端くれ。せめて死んだあとぐらいは美しくありたいものだろ? それに失敗した場合は、脳死の可能性も高い。いたくない世界に意識だけを置き去りにされるなんて生き地獄さ」

 

 由宇ちゃんは、グロ映画でも見た直後のように顔を青白くさせていた。そして顔をひきつらせたまま、絞り出すような声で言った。


「……わかった。首吊りやめとくね」

「うん。そうした方がいいよ」

 

 確かこんな会話だったはずだ。

 そしてだからこそ改めて思うのだ。

 由宇ちゃんが、ただの自殺ではないと。


 だって久美静香由宇は、首を吊っていたのだから。


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