人ってなんなんだろうね
僕らはさっそくK山へ向かった。K山は、街の外れにある山だ。登山するには中途半端で、かと言ってハイキングには向いていない地形をしている。そのせいか、地元の人間が訪れることはなく、殺人にはうってつけの場所だ。
春の忙しない空気が肌を撫でる。既に深夜に近い時間帯のせいか、時々吹く夜風に鋭い空気が見え隠れしていた。
振り返ると、遠野さんは両腕を擦りながらもついてきていた。
正直、縄を解いた瞬間に逃げられることも想定していたが、杞憂だったようだ。遠野さんはおとなしく、僕に付き従ってくれている。
ただそれは僕を信頼してくれたというわけではないのだろう。遠野さんは、田中君が容疑者の一人と思われているのが我慢ならないだけだ。あるいは、他に何か意図があるのか。
「なあ」
歩いていると、遠野さんが話しかけてきた。
「なに?」
「お前はその手帳が本物だって思ってるんだよな?」
「そうだよ」
「だったらなんで警察に言わないんだよ。こんなことする必要はないだろ」
「僕は警察が嫌いなんだ」
僕が答えると、遠野さんは立ち止まった。僕も立ち止まり、振り返る。遠野さんは、僕をじっと見ていた。その視線からは、恐怖は感じられない。おそらく、この状況下なら、すぐにでも逃げ出せると考えているのだろう。実際、遠野さんが逃げ出せば、僕に捕まえることはできない。今の状況は、遠野さんに有利なのだ。
逃げられては困るので、僕は本心ではない納得できる答えを口にした。
「警察に手帳を持っていったら、困るのは遠野さんの方だよ」
「どういうことだよ?」
「手帳の持ち主の可能性があるのは五人って言ったのを覚えてる?」
遠野さんは頷いた。
「その五人は、田中君、山内君、植野さん」
僕は敢えてゆっくりとその先を告げた。
「女渕さん、渡会さん」
女渕さん、渡会さんの名前を聞いた瞬間に、遠野さんは表情を変化させた。
「もし僕が、警察に言ったら困るだろ?」
女渕さんと渡会さんは、遠野さんの親友だ。今までは五人のうち一人が、遠野さんの関係者だった。しかし今は五人のうち三人が関係者であると遠野さんは知ってしまった。半分以上の確率で、殺人鬼の可能性があるのだ。今までと同じ心境ではいられないだろう。
案の定、遠野さんは舌打ちをして歩き始めた。僕も歩き始める。
「……ここが犯行現場なんだよな?」
遠野さんの声は少しだけ震えていた。
「手帳にはそう書いてあったね。今日ここで水口裕子さんを殺すって」
そして遠野さんを殺す予定の場所でもあった。
「……もし嘘だってわかったら、あたしはすぐに警察に通報するからな」
「それでいいよ」
それから僕らは無言で歩き続けた。
夜の森は、夜の海とは違う恐ろしさがあった。森閑としていて、心臓の音だけがこだましている。自分だけがこの世界で生きているような孤独を強く感じさせられる。
しばらく歩き、僕らは見つけてしまった。
水口裕子を。
いや、かつて水口裕子だった者を。
ひと際背の高い木に、寄りかかるように背を預け座り込んでいる。両手両足も投げ出すようにだらんとしていた。衣服の乱れはなかった。丁寧にマフラーまで巻いている。
そのせいか一見すれば、ただ寝ているだけのように見えた。
しかし顔を見た瞬間に、死者だと悟ってしまった。
顔には皮膚がなかった。
全てのパーツが剥きだしだ。
血管や筋繊維が、悲痛な表情を作っていた。
まるで人体模型のようだった。
人の姿を保ちながらも、人ではなかった。
皮膚がないだけで、人が人ではなくなってしまっていた。
僕はゆっくりと、横を見た。
遠野さんは意識を失い、倒れていた。