美人は生者のための言葉なんだろうね
「それで、これから俺はどうすればいいの?」
田中君は清々しい表情で問いかけてくる。
「どうもこうも、田中君の好きにすればいいんじゃないの」
「……自首を促したりしないの?」
「言っただろ。僕は探偵じゃないし、正義の味方でもない。そんな面倒なことはしないよ」
「……本当に俺と話すことだけが目的なんだね」
「だからさっきっからずっとそう言ってるじゃん」
被害者がかわいそう。勧善懲悪ではない。そんなの知るか。被害者がどうなろうとも、僕には関係ないし、正義だ悪だとか心底どうでもいい。僕はただ、自分のやりたいようにやっただけなのだから。
「それなら雲隠れさせてもらおうかな」
田中君は肩を竦めながら呟いた。
「あてはあるの?」
警察だって馬鹿ではない。さすがにそろそろ本格的に容疑者を絞り込み始めているはずだ。
「週が開けたら引っ越すつもりなんだよ。遠くにね」
「最悪だね。人を殺しておいて」
「尤もな意見だけど、君にだけは言われたくないよ」
僕らは無言で空を見上げた。満天の星空がこちらを覗いている。それを見てこの世界が祝福してくれていると思うほどに僕らはお花畑ではなかった。ただそれでもこの世界にとって正義や悪だのは、どうでもいいことだけはわかった。結局人の数だけ正義があり、悪があり、それにこの世界は興味がないのだろう。
しばらくすると田中君は去っていこうとしたが、途中で足を止め、質問をしてきた。
「最後に一つだけ良い?」
「なに?」
「こうなることがわかっていてアリサを解放したの?」
「そんなわけないだろ。僕はちゃんと遠野さんに注意を促したさ」
「……なるほど。俺は君のことを誤解していたようだね」
田中君は僕を一瞥した後に、背を向けながら呟いた。
「君は危ない人間なんかじゃなくて、頭のおかしな人間だ」
ひどい言われようだ。そしてもっとひどいのは、僕に反論する機会を与えてくれなかったことだ。田中君は、まるで過去と決別したかのようにその場を去って行ってしまったのだから。未だに過去に囚われている僕では呼び止めることはできない。
「はー」
僕は全身の力が抜けたかのように近くの木に寄りかかる。それだけで田中君によって浸食されかけていた僕の世界が元に戻り、思考が正常に巻き戻り始める。
それにしても結局僕は何がしたかったんだろうか。
きっかけは手帳を拾ったことだった。そもそもとして事件自体に興味がなかった僕だったが、あれがきっかけで興味を持ったのだ。そして状況から田中君が犯人だと確信し、ターゲットの遠野さんを誘拐し、監禁した。
……改めて思い返してみたが、確かにおかしい。我ながらなぜ遠野さんを誘拐したかわからない。田中君と落ち着いた状況で二人っきりで話したいという欲求があったのは確かなのだ。しかしなぜ遠野さんを誘拐し、監禁したのかがわからない。あの時は、それが最善だと思っていたのだろうが、こうして落ち着いて考えるとそこに論理性がないことは明らかだった。もちろん当初の目的は果たせたため、全てが間違っていたとまではいわない。だけど、それによって何かを得たかといえば、否定しなければならない。他人の考えなんて理解出来ない、そんな安っぽい自己啓発本に書かれたような気付きしか僕は得ることが出来なかったのだから。結局、僕は初めから間違っていたのだろう。この事件に関わろうとしたことが間違いだったのだ。大人しく平平凡凡な生活をしていた方が、学びも多かったに違いない。
いや、今回の件で一つだけ学んだことはあるのか。
僕は頷くと共にゆっくりと視線を遠野さんへ向ける。
遠野さんは、僕の知る遠野さんの姿ではなかった。
学年でも評判の美貌は、嘘のように消え去っている。
そしてそれこそが、今回の一件で僕が学んだことなのだろう。
「美人でも、死に顔はとても醜い」