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「セシルちゃん、そろそろ漢方を患者さんに処方してみない?」
アルフレッドに痛み止めを持って行った日から数週間が経過していたある日、上機嫌のセリーヌが言ってきた。
「はい」
とうとうこの日がやって来たと内心喜びながらセシルは頷く。
漢方は医師の処方が無くても薬師が患者の病状を聞いて処方することができる。
医師を挟むことなく自分で処方ができることが嬉しい。
セリーヌは薬師専用のカルテをセシルの前に置いた。
「これは今回受け持ってもらう患者さんのデータよ。一応、城の中では処方する前に医師に内容を確認することになっているから。そこだけは気を付けてね」
「はい」
セリーヌが漢方を処方しているのを見てやり方はわかっているつもりだ。
セシルは頷いてカルテを手に持った。
書かれている患者の名前を見て目を見開く。
「こ、これ、患者さんの名前がマーガレット王妃になっていますけれど!」
驚いているセシルにセリーヌは苦笑しながら隣に座った。
「そうよ。長年偏頭痛に悩まされているの。漢方で改善しつつあるけれど、これは治る病気じゃないからね。セシルもお母さまに漢方を処方しているでしょ。受け持つには良い患者さんだと思うわよ」
「で、でも王妃様に漢方を処方するなんて!私で大丈夫なんでしょうか、恐れ多いいです」
王妃や王様など雲の上の人だと思っていた。
城で働いていても姿を見たことも無い。
雲の上の様な存在の人を受け持つなんて、実力不足ではないかと手が震えているセシルにセリーヌはカルテから漢方の処方箋を抜き出して机の上に置く。
「大丈夫よ。ほとんど処方内容は変わっていないし。偏頭痛の漢方薬なんて長年おなじものだし、この通り処方していれば大丈夫。マーガレット王妃からセシルちゃんご指名なの」
「あぁ。そうですか」
喜びから一気に気分が下がり、セシルは頷いた。
間違いなくマーガレット王妃はセシルとアルフレッドのことを聞きたいのだろう。
漢方を処方するためには長めに時間をかけて症状を聞き取る必要がある。
すっかり落ち込んでしまったセシルの背中をセリーヌは励ますように叩いた。
「まぁ、仕方ないわよ。あなた達全く進展がないから王妃様もご心配なさっているのよ」
「進展って……。私たちはなんともならないですよ」
自分で言っていて悲しくなってくるが、何もないのだから仕方がない。
密かにアルフレッドの事が気になっていることはまだ、誰にも知られていないはずだ。
あれだけアルフレッドから冷たくあしらわれていてセシルが好きだと知られたら結局“顔”だったのだと思われたらたまったものでもない。
「とにかく、今日の午後に王妃様と面会予定よ。初日だから一緒に行きましょうね」
「ありがとうございます」
釈然としない思いのままセシルは頭を下げた。
午後になりセリーヌと王妃と面会する部屋へと向かう。
普段出入りするような侍女の控室や騎士達の詰め所とは階が違う。
王妃様が生活をする部屋に近づいていくと様子が変わってきて、不審者が来ないように見張りに立っている騎士達が目に付くようになった。
廊下を歩いている侍女達も気品があるように見えてセシルは背を正す。
「空気がキラキラしている気がしますね」
前を歩いているセリーヌに囁くとセリーヌは肩をすくめた。
「そうでしょうね。実際、王族がいるような場所で働いている侍女の方々は身分も高いし、美を磨いているような女性達よ。私たちとは違うわよ」
セシルから見ればセリーヌも美しい色気のある女性に見えるが、すれ違う女性達はそれ以上に輝いて見えた。
化粧水を両手ではたいただけで肌のケアをしているようなセシルとは全く違う美しい女性達にたじろぎながら長い廊下を歩く。
真っ白な大きなドアの前に騎士が立っているのが見えた。
遠目からでも均整の取れた体と金色の髪の毛にアルフレッドだとわかりセシルの胸はときめく。
たまに見かけることはあったが、頭痛薬を渡した日から直接会って会話はしていない。
頭痛も一時的なもので元気になって良かったと思いながらセシルとセリーヌはアルフレッド達が立っているドアへと向かった。
「お疲れ様。王妃様と面会の約束をしている薬師セリーヌとセシルよ」
セリーヌが懐から資格証を出してドアの前に立っていたアルフレッドに見せた。
顔を知っているだろうにと思いつつセシルも薬師の資格証を出して見せる。
アルフレッドは険しい顔をしてセシルを見ると、身分証をちらりと見て頷いた。
「どうぞ、王妃様がお待ちです」
「ありがとうございます」
セリーヌとセシルはお礼を言って開けられた大きなドアから部屋へと入る。
(アルフレッド様、元気そうで良かったわ)
顔色もよさそうで、今日は睨まれることもなかった。
広い部屋に入るとマーガレット王妃が大きな机の奥に座っていた。
金色の長い髪の毛を綺麗に纏めて、濃い目の化粧をしているが美しい人だ。
マーガレットはセシルの姿を見るとニッコリと笑った。
「お会いしたかったわ」
「はじめてお目にかかります。薬師のセシルです」
セシルが挨拶をすると、マーガレットは手を左右に振った。
「固い挨拶は無し。とにかく私、頭痛が酷くて漢方に助けられているのよ。セリーヌ以外に漢方を出せる人が居ると心強いわ。よろしくね」
「はい、精いっぱい頑張ります」
気さくな雰囲気をだしてニッコリと微笑むマーガレットにセシルはホッとする。
村に居た近所の奥様のような話しやすさだ。
「マーガレット王妃はとても気さくな人だから、心配しないでも普段通りしていれば大丈夫よ」
セリーヌもそう言ってセシルと並んで座る。
王妃と向かい合う状態になりながらセシルは緊張しながらカルテを開いた。
マーガレット王妃の偏頭痛の聞き取りも終わり、前回と変わらない漢方を処方することが決まった。
ホッとしながらカルテを閉じると侍女が冷めた紅茶を下げて新しいお茶が運ばれてきた。
「で、どうなのかしら?アルフレッドとの仲は進展したかしら?」
新しい紅茶を飲みながらマーガレットは身を乗り出すようにしてセシルに問いかけた。
すっかり忘れていたがマーガレットはセシルとアルフレッドの仲がどうなるか賭けをしている首謀者である。
セシルは唇がとがりそうになるのを堪えて首を振った。
「どうもこうもありません。顔を合わせることも会話をすることもほとんどありません」
ただの知り合い程度ですと言うような顔をして言うセシルにマーガレットは意味ありげに微笑んでいる。
「そうかしらぁ。アルフレッドはセシルにだけ厳しかったのよ。いつも微笑んでいる彼が。これは初恋を知った男の子の症状なのよ。好きな子には冷たく接してしまうっていうあれね」
「思春期の男子じゃあるまいし。そんなことは考えられません」
そう言うセシルにマーガレットは人差し指を出して左右に振った。
「ノンノン。男っていつまでたっても子供なのよ。私の夫もバカみたいに子供なの。アルフレッドが恋した子に恥ずかしくて冷たくしているなんて。完璧だと思っていたあの子もまだまだ子供よねぇ。それでね、アルフレッドがいつか頭痛で早退した日があったじゃない。あの日からちょっと様子がおかしいのよね。誰にでも微笑んでいた子がいつも真顔でいるのよ」
「そうなんですか」
微笑んでいる姿など一回も見たことが無いセシルは、微笑まず真顔になっているアルフレッドは逆に普通なのではないかと思ってしまう。
ニコニコと誰にでも微笑んでいる方が人間としてどうかとさえ思っているセシルにマーガレットはまた身を乗り出してきた。
「だから、あの日何があったのか知りたいの。絶対にアルフレッドと何かあったでしょう?」
薬を届けた日はアルフレッドに不意に手を握られただけだ。
思い出すと顔が赤くなりそうだが何とか平静を保ちセシルは首を傾げる。
「何もありませんよ。普通に薬をお渡しして帰りました。酷い頭痛があったようですが」
「おかしいわね。何もなかったら、彼が微笑まなくなった理由は何かしら?」
マーガレットも首を傾げて眉をひそめて心配そうにドアの外を警備しているアルフレッドが居る方向へと視線を向けた。
「まさか、あの頭痛はただの頭痛ではなくて性格が変わるぐらい酷い症状だったとか」
低い声で言うマーガレットにセリーヌとセシルは同時に首を振る。
「お元気そうでしたけれど」
「そうよねぇ。笑みを失ってしまったアルフレッドはちょっと怖いのよね。まぁ仕事してくれればいいけれど」
マーガレットはため息がちに言うと紅茶を一口飲んだ。
そういえば今日は睨まれなかったとセシルは思い出す。
「確かに心配ですね」
「そうでしょー。元に戻るといいけれど。セシルもアルフレッドのこと気にかけてあげてね」
嫌われているからあまり近づけないですけれど、という言葉を飲み込んでセシルは頷いた。