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セリーヌと採取した薬草を籠に入れてぬかるんだ道を歩いて薬剤室へと戻る。
「おかえりなさい」
袋に入れた薬を籠に入れながらハンナが迎えてくれた。
籠いっぱいに入った薬草を見て眉を上げる。
「ずいぶんいっぱい採ってきたわね」
「これも乾かしてたり、細かくして薬にするから量があるように見えても多分少ないと思う」
籠を作業机の上に置いてセシルは足元の泥を落とした。
部屋が汚れると顔をしかめながらハンナは薬の入った籠を持ち上げる。
「大変ね。私もいつか漢方を習いたいです」
「そのうちハンナちゃんにも教えてあげるわ」
裏庭を歩いて疲れた様子のセリーヌが椅子に座って軽くあくびをしながら言った。
「ありがとうございます。今日は調剤が少なかったのよ。ちょっと配ってきます」
薬の入った籠を持ちながら部屋を出て行くハンナを見送ってセシルは籠いっぱいの薬草をどうしたらいいかとセリーヌを振り返った。
セリーヌは軽く手を振って机にうつ伏す。
「明日にしましょう。今日は疲れたわ。ぬかるんだ道を歩いたから余計疲れた」
「確かに疲れましたね」
足元の悪い中歩いたからか、アルフレッドに冷たくされたのを目の当たりにされたせいかセシルも疲労感じて椅子に座った。
ドアをノックする音がして、セシルが返事をすると医師の助手が申し訳なさそうに処方箋を片手に入ってくる。
「すいませんー。緊急で薬が出た人がいるのでよろしくお願いします」
「はい。受け取りますね」
セシルが処方箋を受け取ると医師の助手は頭を下げて帰って行く。
「うわぁ、アルフレッド様の処方箋です」
先ほど会ったアルフレッドの名前を見てセシルは思わずのけぞってしまう。
頭痛に使われる鎮痛剤と睡眠薬が医師から指示されているのを見ながら机に戻った。
「診察を受けたのね。よかったわ」
顔だけを上げて動こうとしないセリーヌを見てセシルは仕方なく処方箋を見ながら薬が入っている棚へと向かう。
軽い痛み止めと、睡眠薬を数日分用意してセリーヌの机に置いた。
「再確認をお願いします」
薬が処方箋通りに揃っているか必ず二人で確認をしないといけない仕組みになっている。
セリーヌはノロノロと起き上がると処方箋とセシルが準備した薬指をさして確認をした。
「はい。間違いありませーん。どっちも頓服なのね。アルフレッド君は眠れないのかしら」
「そのようですね」
気になる相手なので心配ではあるが、実際会ったら睨まれるのは耐えられない。
睨まれるぐらいなら会いたくはない。
それでも薬を用意してしまったので、セシルは薬を小さな籠に入れて持ち手を持った。
「アルフレッド様に薬を届けてきます」
「あー……多分、寮に帰っていると思うから彼の部屋に直接行ってみたら?」
「アルフレッド様の部屋に行く?」
好きな人の部屋に行くなど考えるだけで心臓がドキドキしてしまう。
興奮しているセシルを見てセリーヌはにやりと笑った。
「やっぱり気になるんじゃない?アルフレッド君の事が」
「あれだけ綺麗な異性の部屋に行くとなれば誰だって緊張しますよ!」
「大丈夫よ。彼は具合が悪いのだから。ちなみに変な噂が立たないようにドアは開けっ放しにしておきなさいね」
変な噂と言いつつ心配している素振りが無いセリーヌの言葉に、セシルの顔が一気に曇る。
「あれだけ嫌われていたら何もないと思いますけれど。噂など立ちませんよ」
「いやー。どうかしらねぇ。アルフレッド君はセシルちゃんが気になっているから冷たくしている初恋男子だと私も含めてそう思っているから。まだ、付き合うのは早いと思うのよ。もっとじっくりとお互いを知ってからの方がいいわよ」
あれだけ恋だなんだと言っていたセリーヌにセシルは冷ややかな目を向けた。
「もしかして、王妃様の賭けに乗っています?」
「……何の事かしら」
疲れていると言ってうつ伏していたセリーヌは素早い動きでそっぽを向いた。
(絶対に賭けているわね)
「言っておきますけれど、あれは照れ隠しではなくて本当に私が嫌いなんだと思います。だから私たちはどうにもなりませんからね」
捲し立てるように言うと、セシルは薬剤室のドアを開けて廊下へと出た。
「行ってらっしゃい。アルフレッド君によろしく」
背中越しにセリーヌの声を聞きながらドアを力強く閉めた。
「どうして私たちが付き合うとか思うのか謎だわ」
一方的に嫌われているのに何をどう考えたらアルフレッドと付き合うという考えが浮かぶのかとセシルは唇を尖らせながら廊下を歩く。
男子寮の定かな場所を思い出せずにポケットから地図を取り出した。
セシルが住んでいる女子寮とは反対方向に男子寮があることがわかり頭の中で行き方を描きながら歩き出す。
会ったことも無いが王妃様も他人の色恋を楽しむようなことをして失礼な人だと思いながら裏庭を出て細い道を歩き出した。
太陽は傾き始めて、暑い日差しもだいぶ収まっている。
心地よい夕方の風を感じながら男子寮へとたどり着いた。
入口で管理をしている年配の男性に声を掛ける。
「すいません。薬師の者ですが薬を届けに参りました」
管理人の白髪交じりの男性はセシルの制服を見て頷いた。
「アルフレッド君の薬ですね。お話は聞いています。彼、頭が痛いって早退していますよ。どうぞ3階の一番手前の部屋です」
「ありがとうございます」
アルフレッドの部屋に行くのかと緊張しながら寮の階段を登った。
セシルが住んでいる女子寮と造りは全く同じで道に迷うことは無さそうだ。
3階へと辿り着くと一番手前のドアのプレートにアルフレッドの名前が書いてあるのを確認する。
異性のそれも気になっている部屋に入るのに緊張して高鳴る鼓動を落ち着けようと大きく息を吸い込んだ。
緊張で震える手でアルフレッドの部屋のドアをノックした。
「お疲れ様です。薬師のセシルです。お薬をお届けに参りました」
元気よく声を掛けるとしばらくしてドアが開いた。
辛そうな表情をしたアルフレッドがセシルの姿を見て額に手を置いて長いため息をつく。
「あんたが来たのか」
嫌そうなアルフレッドに、やっぱり嫌われているのかとガッカリしながらもセシルは平静を装った。
「仕事ですから。お加減が悪いところ申し訳ないですが、薬の説明をさせて頂きますね」
「あんたの声を聞いていると頭痛が増す」
冗談でも嫌味でもなく本当に体調が悪くなっているようで、アルフレッドは今にも倒れそうだ。
立たせているのも悪いと思いセシルはドアを大きく開けて、アルフレッドの腕を押した。
「立っていると辛いでしょうから、どうぞ室内で簡単に説明しますね」
抵抗する力もないのかアルフレッドはヨロヨロとセシルに押されながら室内へと入る。
セシルの部屋と同じぐらいの大きさの狭すぎない室内は、ベッドと机とソファーと同じものが置かれていた。
アルフレッドをベッドに座らせてセシルは机の上に薬の袋を置いて中身を出した。
騎士服の上着を脱いで、シャツ姿のアルフレッドは新鮮に見えてセシルはじっと見つめてしまう。
美しい顔をしたアルフレッドは体調が悪いせいか色っぽく見える。
セシルの視線を感じてアルフレッドは力なくセシルを見上げた。
「早く説明をしてくれ」
「あ、すいません。頭が痛いときはこの薬を飲んでください。こっちは睡眠薬ですので寝る1時間ぐらい前に飲んでくださいね。夜、寝れないからと言って起きる4時間前とかに飲まないでくださいね。起きられないと困りますので。医師からの指示でどちらも頓服です」
ゆっくりと説明するセシルにアルフレッドは頷いた。
「頭痛いならすぐに飲んだ方がいいですね」
そう言ってセシルはコップに水を注いで頭痛薬と一緒にアルフレッドに手渡した。
顔をしかめながら薬を受け取ると薬を口に放り込んで水で一気に飲み干し、空になったコップを渡されてセシルは何となく懐かしい気持ちになる。
(前もこんなことがあったような?)
弱ったアルフレッドに薬を渡したのが初めてではないような、何かを思い出しそうな気がしてセシルは思い出そうと目を瞑る。
(何か思いだしそうな気がする……)
瞼の裏に昔の思い出が一瞬蘇ったように、アルフレッドによく似た男性が顔をしかめている映像が見えた。
“俺があんたと結婚するのか?ほかに結婚する人が居ないから俺を指名したのか?”
アルフレッドと同じ声で不機嫌に言う男性にセシルは胸が締め付けられるように苦しくなった。
記憶の糸を辿るように思い出そうとするが、あと一歩で思い出せず歯がゆい思いをしていると右手を力強く握られた。
驚いて目を開くと、手を握ってきたアルフレッドも驚いた顔をしている。
「あぁ、すまない」
驚きながら慌てて握っていたセシルの手を離した。
「いえ、ではお大事になさってください。何か体調に異変があれば早めに医師にかかってくださいね。薬でなにか疑問があればいつでもお知らせください」
薬を渡すときに必ず言っている営業トークを素早く言うとセシルはニッコリと笑った。
なぜセシルの手を握ったのかと不思議そうに自分の手を見つめていたアルフレッドはセシルを見上げて頷いた。
「どうも」
「ゆっくり休んでください。では失礼します」
アルフレッドに手を握られたことに驚いて心臓が飛び出るぐらいドキドキしていたが平静を装ってセシルは軽く頭を下げて部屋を出た。
ゆっくりとドアを閉めてからジタバタと身をよじらせた。
(手を握られちゃったわ!今日は頭痛のせいかいつもより睨まれなかった!)
嬉しくてスキップをしながら男子寮を出る。
空は茜色に染まっていてセシルはまた首を傾げた。
(昔もこんなうれしい気分で夕日を見上げたような気がするわ)
一瞬だけ思い出したような夢のようなアルフレッドとよく似た男性は一体なんだったのだろうかと首を傾げる。
不思議な懐かしさと覚えながら薬剤室へと戻った。