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セシルが城の薬師に就任してから数日が経過した。
初日にセリーヌが言っていた通り、痛み止めと胃薬とシップの処方がほとんどで複雑な処方は上司の二人が行ってくれているので困ることなく仕事を行うことができた。
仕事にもだいぶ慣れ、いつものように籠に入っている本日の医師の処方箋を一枚とる。
医師の指示は痛み止めと胃薬のセットだ。
「また痛み止めよ」
忙しそうに動いている同僚のハンナに言うと、ハンナも頷いて薬が入っている棚から引き出しを開けた。
「私も、痛み止め。量も一緒ね」
セシルの処方箋を覗き込んで書かれている内容を確認すると、痛み止めの薬を取り出して渡してくれた。
薬を持ち作業スペースでもある自分の机に戻る。
「騎士だから訓練中にケガをするのね」
「大変な仕事ね」
お互い話しながら処方箋通りに薬を用意して袋に入れる。
処方箋に書かれている名前と袋に書かれている名前を確認してセシルは顔をしかめた。
「この薬アルフレッド様のだわ」
あの日以来避けるように過ごしてきたセシルだったが、処方箋に書かれている名前を見て一気に嫌な気分が蘇ってくる。
「セシルの運命の人ね」
薬を袋に詰めながら言うハンナにセシルはますます顔をしかめた。
「何それ?運命の人ですって?酷いことを言われたのに」
「だって、運命の人同士だって有名よ。あなた達」
「何が!どうして!そうなったの!」
有名とはどういう事だと怒りの顔をして迫ってくるセシルからハンナは距離を取った。
「誰にでも優しくニコニコ笑っている微笑みの王子が、初めて会ったのにセシルにだけ冷たく接したのは一目惚れに違いないって。微笑みの王子もとうとう運命の相手を見つけたのねって城の中では有名よ」
ハンナの言葉にセシルは目を見開いて悲鳴を上げた。
「ありえない!確かにちょっとカッコいいなとは思ったけれど!顔を見ると胸がドキドキして息が上手く吸えないけれど!運命の人同士っていい方は無いわよ!私はちっとも興味ないんだから!」
興奮しているセシルにハンナはしたり顔をする。
「それを人は恋をしていると言うのよ」
「あれだけ綺麗な人を見たら誰だって胸がときめくでしょう?」
綺麗すぎるアルフレッドの顔を思い出して少しだけ顔を赤らめるセシルをハンナはちらりと見て作業を開始する。
「確かに綺麗だとは思うけれど、私は興味ないわ。どっちかというとフィリップ様みたいな筋肉質の方が好みだわ」
「嘘でしょ!」
ハンナの異性の好みが自分とは違うことにセシルは驚く。
「それに、城の騎士になったころのアルフレッド様はそりゃ人気だったらしいけれど、ただニコニコ微笑んで何を言ってものらりくらりって感じでそのうちただの鑑賞物になったらしいわよ。セシルのライバルは居ないみたいだから安心してアピールしたら?」
「どうしてそんなに詳しいの?」
同じ日に城で働き始めたハンナの情報の多さにまたセシルは驚く。
「ただ薬だけを配っているセシルとは違うのよ。私は情報収集もしているから」
偉そうに言うハンナにセシルは指をさした。
「わかった!ハンナは噂話好きね。田舎にも居たわ、そういう年配の主婦の方々」
「女性はだいたい噂好きよ。ちなみに、セリーヌさんとフィリップ様もあんた達に注目しているわよ」
「それは知っているわ」
毎日の様にアルフレッドに会ったかとセリーヌに聞かれているセシルはうんざりして答えた。
「言っておくけれど、あんなに失礼なこと言われた人とはどうにもならないんだから」
「ふーん。ま、私はセシルとアルフレッド様が半年後には付き合っているっていうのに賭けているからあんまり早く付き合わないでね」
「賭けるって何?」
目を見開いて驚いているセシルにハンナはニッコリと笑った。
「噂好きの王妃様が発案人よ。王妃様は誰がいくら賭けたかの表を持っているから見せてもらったら?」
「信じられない。私、王妃様なんて会ったことも無いわ!」
王妃と言ったらセシルが住んでいる国の一番偉い人の妻だ。
会うことなど一生無いと思うほど位高い人が、自分を賭け事の対象にされているなどありえないとセシルは唇を尖らせる。
「セシルが思っているほど、王様が住んでいる城っていうのは私たちの田舎と変わらないってことよ。私は賭けに参加するために王妃様にお会いしたけれどとても素敵な方だったわよ。ただ、他人の恋愛に敏感で噂好きなだけなのよ」
「なんだか、ガッカリだわ」
憧れの王都での生活だったがとんでもない噂話に巻き込まれてしまったとセシルはため息をついた。
アルフレッド・ジャルビスと名前が書かれた袋に痛み止めの薬を入れて長いため息をついた。
「この薬を持って行くのは嫌だなぁ」
医師の指示で出された処方箋から薬を用意し、名前と中身の確認を二人で行った後夕方の業務終了時間までに本人に配るまでが薬師の仕事だ。
部署ごとにまとめて用意しているが、今までアルフレッドが所属している王妃専属護衛騎士の処方は用意したことが無かった。
縋るような目でハンナを見るが首を振って断られてしまった。
「自分で用意した薬は、責任を持って本人に渡すのが仕事でしょう」
「……そうよね」
プライドを持って薬師として働いている以上、渡しに行くのが嫌だと言っても居られない。
セシルは諦めてアルフレッドの薬を詰め始めた。
処方箋通り薬を詰め終わり、大きな籠に個別に入った薬を入れ終わると持ち手を持ってまた大きなため息をついた。
「行ってきます」
「はーい。頑張って!帰ってきたら様子を聞かせてね」
これから護衛騎士の詰め所まで薬を届けに行くことを知っているセリーヌがニッコリと笑って手を振った。
セリーヌの机の上に置かれた複雑な薬の処方箋を見て、付いて来ることは無いと安心して部屋を出る。
アルフレッドに会うのは嫌だが、それでもなぜか彼の事が気になり会いたくないと思いつつ会えることに喜びを感じてしまう。
(これが恋ってやつなのかしら?)
未だ感じたことのない複雑な気持ちにセシルは高鳴る胸を落ち着かせようと深く深呼吸をした。
当たり障りない侍女達から薬を配り、最後に籠の中に残っているのはアルフレッドの薬だけだ。
侍女の詰め所から王妃専属護衛騎士の詰め所までは少しだけ遠い。
薬を配るために城の中を毎日歩き回っているおかげで、地図が無くても道に迷うこともなくたどり着くことができるようになっていた。
初夏の風を感じながら廊下を歩く。
(もうすぐ夏が来るのね)
薬師として城で働き始めたころは春だったのに時が流れるのは早いものだと現実逃避をしているとあっという間に護衛騎士の詰め所のドアの前までたどり着いていた。
アルフレッドに会いたいような、会いたくないような複雑な気分を抱えながらドアをノックする。
「はい」
直ぐに若い騎士がドアを開けてくれ薬が入っている籠を持って立っているセシルを見て笑みを浮かべて中へと入れてくれる。
「お疲れ様です。薬師の方ですね、お待ちしておりました」
お待ちしていたと言う含みのある言葉に引っかかりを覚えたがセシルは愛想笑いをうかべて軽く頭を下げた。
「失礼します。お薬をお届けに来ました」
「我々の部署はあまり怪我する人が居ないからセシルさんが来るのは初めてですね」
ニコニコと笑っている若い騎士は騎士になりたてだろうかというぐらい初々しい。
まだ15歳ぐらいだろうかとセシルは思いながら案内されるまま室内の中央へと向かう。
室内には机が並べられており、書類が乱雑に置かれていた。
「月末で書類が溜まっているので散らかっておりますがどうぞ、おかけください」
あどけない表情が残っている騎士に勧められてソファーへと腰かけた。
居心地が悪くそわそわしながら座わりながら室内を見回す。
机に座り書類を書いていた騎士達がセシルを見て微かに笑って頭を下げた。
「今日薬を頼んだ人―!来てください。薬師さんがいらしていますよ」
若い騎士の呼びかけに騎士達は顔を見合わせる。
「誰だ?」
「アルフレッドじゃないか?今日の朝稽古で足首を捻ったとか言っていただろう」
騎士達の会話に、セシルは心が落ち着かなくなる。
あの綺麗な人で怖い人がもうすぐ来るのだ。
複雑な気分で籠の中に一つだけ残っている薬の袋を取り出した。
最後の一つはアルフレッドの名前が書かれている。
護衛騎士の部署の中では一人だけ薬が処方されているのを見て若い騎士が頷いた。
「確かに、アルフレッド先輩だけですね。あ、ちょうど戻ってきましたね」
若い騎士がドアに向かって軽く手を振ったのを見てセシルも振り返った。
少し足を引きずりながら室内に入って来たアルフレッドは誰よりも輝いて見えセシルは思わずじっと見つめてしまう。
初めて城に来た日以来のアルフレッドの姿を見ると胸がドキドキして息が上手く吸えない感覚に陥ってしまう。
懐かしさと悲しさが入り混じったような不思議な気持ちになって目を逸らしたいが、本能的に見つめてしまい、アルフレッドの青い瞳と目が合った。
アルフレッドは驚いたようにソファーに座っているセシルを見ると驚いて目を見開いた。
優しく笑みを浮かべていたであろうアルフレッドの口元は一瞬で一文字に結ばれて、眉をひそめるとセシルを睨みつける。
「薬を持ってきのたは君だったのか。最悪だな」
冷たく言われてセシルは下唇をぎゅっと噛んで泣きたい気持ちを堪えた。