22
今か今かとマーガレット王妃の登場を待っていると、緊張のピークに達している村長が壇上へと再度上がって来た。
「えー、只今よりヤギ祭りを開催いたします。本日はマーガレット王妃が開会式のご挨拶にいらしていただきましたのでよろしくお願いします」
ガチガチに緊張している村長が手に持った紙を見ながら震えた声で告げると会場に居た見物人が一斉に手を叩いた。
セシル達も手を叩く。
「もうすぐ、フィリップ達が出てくるわ!」
先ほども会ったのにセリーヌは夫の雄姿を見るのが楽しみだと大きな音を立てて拍手をしている。
セシルも壇上にアルフレッドが居たらじっくり姿を見ることができるのだとワクワクしながら手を叩いた。
「どこから来るのかしら」
崖の下に設置された小さな舞台には待機するような場所もなさそうで集まった見物人は手を叩きながら辺りを見回した。
「あら、歩いていらしたわ」
ハンナも拍手をしながら放牧されているヤギの群れをかき分けながら歩いてくる護衛騎士達を見てセシルに囁く。
「ちょっと滑稽で微笑ましいわね」
大きな体をしたフィリップがヤギをかき分けてマーガレット王妃が歩きやすいようにしているのが見えた。
マーガレット王妃は手を振りながらにこやかに歩いているがその後ろを不愉快な顔をしているアルフレッドが歩いているのが見えてセシルは笑いそうになる。
「アルフレッド様とても嫌そうな顔をしているわ」
「本当ね。あの微笑みの王子様って言われていた頃が懐かしいわ」
思い出すように言うセリーヌにセシルは首を傾げる。
「何度も言いますけれど、本当に微笑みの王子だったのですか?何かの間違いじゃなく?」
一度も微笑んでいるのを見たことが無いセシルは彼が微笑みの王子などと呼ばれているのは納得ができない。
前世のアルだった頃だって微笑んで過ごしていたことなどあっただろうか。
「本当なのよ。でも今思うと、無理して笑っていたのかしらね」
「意味が解りませんねぇ」
フィリップを先頭にマーガレット王妃は壇上に上がると上品な笑みを浮かべて集まっている見物人達に手を振っている。
アルフレッドは壇上には上がらずに舞台の横で立ち止まり見物人を興味無さそうに見ながら警護し始めた。
(壇上に上がらないとアルフレッド様が良く見えないわ)
前に座る人々の頭が邪魔をしてアルフレッドの姿が良く見えずセシルは仕方なく壇上に視線を戻した。
壇上では村長に紹介されたマーガレット王妃がにこやかに挨拶をし始めている。
王妃を守るようにフィリップ隊長がにこやかに笑みを称えて後ろに立っているのが見えた。
すると、ポツリとセシルの頭に一粒の水滴が落ちた。
「あ、雨だわ」
隣に座っていたハンナも水滴に気づいて空を見上げた。
釣られてセシルも空を見上げると、いつの間にか青空は無くなりどんよりとした黒い雲に覆われている。
ポツポツと落ちてくる雨の量が増えてきてセシル達は羽織っていた雨具のフードを頭にかぶった。
「凄い雨ね」
あっという間に雨は土砂降りになり、座っていた観客たちも立ち上がって屋根がある場所へと避難を始めた。
壇上の上の王妃たちは天蓋があり雨は防げているようだが、これ以上式典を続けるのは無理だと判断したようで困ったように立っているのが見えた。
土砂降りの中でセシル達も席を立つ。
「凄い雨だからどこかに避難しましょう」
「そうですね」
山に近いからがバケツをひっくり返したような雨の勢いにセシルも雨具のフードをしっかりと被った。
立ち上がって歩こうとした時に、パラパラと小石が舞台の裏の崖から落ちてくるのが見えた。
避難しようとしていた観客も壇上に居たフィリップ達も落ちてくる小石に気づいて背後の崖を見上げている。
何気なく見つめていると、壇上に居たフィリップが叫んだ。
「崖崩れが起きる恐れがある!崖から離れろ!」
フィリップの叫びに集まっていた観客が一斉に舞台から離れようと走り出した。
と、同時に大きな地響きのような大きな音と共に舞台の背後の崖が崩れ落ちた。
ガラガラと音を立てて水と大きな岩があっという間にセシル達の前へと押し寄せる。
土埃と茶色い水しぶきが辺りに立ち込め、前が良く見えないが舞台が土に飲み込まれたのは見えた。
驚いて身動き一つできず立ち尽くしていると、セリーヌが手を引っ張ってきた。
「セシルちゃん!大丈夫?」
セシル達の一歩前まで押し寄せた土と岩を見て足が震える。
あともう少しで自分達が崖崩れに飲み込まれていたと思うと恐怖で声が上手く出せないながらもセシルは頷いた。
「は、はい。ハンナは?」
すぐ横で腰が抜けたように座っていたハンナが震えながらセシルの腕を掴みながら立ち上がった。
「大丈夫」
ハンナが震えながら立ち上がって言うのを確認してセシルは周り見回した。
観客のほとんどは雨が降り出したこととフィリップの避難しろという掛け声のおかげでケガ人はいないようだった。
「フィリップは?マーガレット王妃は!?」
青い顔をして叫ぶセリーヌにセシルもはっとして舞台を見つめた。
舞台があったことすら分からないほど土砂で埋め尽くされているのを見てセリーヌは悲鳴を上げて座り込んだ。
「フ、フィリップが居ない……」
目を見開いたまま座り込んでしまったセリーヌを置いてセシルは土砂に埋まっている舞台へと走った。
無事だった騎士達も集まってきて土砂を掘り返す。
「マーガレット王妃が埋まっている!早く助け出せ!」
「フィリップ隊長も姿が見えない!あと何人埋まっている!?」
騎士達の叫びを聞きながらセシルも土砂に埋まっている人を探した。
すると、グイっと腕を掴まれた。
「あんたは危ないから離れていろ」
雨で全身びしょ濡れのアルフレッドがセシルの腕を掴んで睨みつけている。
無事だったのかと安堵したが、彼の左腕から血が出ているのが見えた。
腕から流れる血が滴って地面に落ちている。
「手、怪我しているわよ!」
アルフレッドはセシルの手を掴んだまま睨みつける。
「俺の事はどうでもいい。アンタは怪我していないのか?」
「大丈夫だった」
セシルは頷きながらアルフレッドの左腕を掴んだ。
“アルフレッド様の手を治す”
心の奥底で祈ると、胸の奥が熱くなり両手の平が痺れたような感覚になり、パァッとセシルの手が光った。
一瞬の光だったために誰もセシル達の事に気づいた人は居ない。
必死に土の中に埋まっているマーガレット王妃達を掘り起こしていて誰もセシル達を見ている人は居なかった。
「お前、力を使ったな」
恐ろしいぐらい睨まれたがセシルは当たり前だと頷いた。
「このために力があるのよ。どう?ちゃんと治った?」
セシルに聞かれてアルフレッドは怪我をしていた手を確かめるように動かした。
「治っているが……体に異変は?」
心配してくるアルフレッドにセシルは首を振った。
「何も、疲労感も無いわ」
不思議なほどセシルの体に異変は感じられない。
舞台があった場所へ視線を向けると土砂を避けてマーガレット王妃が掘り起こされた。
「息はしている!」
土砂から出されたマーガレット王妃は頭や腕や足から血を流している。
ぐったりと横たわっているマーガレット王妃の意識は無く顔は青白い。
誰が見ても生命を維持しているのがやっとという状態だ。
近づこうとするセシルの肩をアルフレッドが掴んだ。
「行くな」
「でも、王妃様が死んでしまうかもしれない!」
睨みつけるアルフレッドの腕をセシルは掴んだ。
「お願い。行かせて。きっと大丈夫だから」
願いを込めてセシルが言うと、アルフレッドは顔を歪ませた。
「ダメだ。前もお前はそう言ってケガ人を治した……前?」
頭が痛いのかアルフレッドは額に手を置いた。
掴んでいたアルフレッド手が緩みセシルは手を振りほどいてマーガレット王妃の元へと走り出した。
土砂降りの雨に降られながらアルフレッドは駆けだしたセシルの背中を見つめる。
「前もこんなことが……」
頭痛に顔を歪ませながらアルフレッドは呟いた。