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王都から離れたのどかな景色が広がる田舎の村に、セシルの喜びの声が響いた。
「やったー!受かった!」
畑が広がる一本道の奥に建っている大きなお屋敷がセシルの住まいだ。
誰もリビングに来る様子が無いのでセシルはもう一度大きな声で喜びを叫んだ。
「お母さん!兄さん!見て!受かったのよ!合格したの!」
広大な領地を持っているものの小さな村が一つあるだけの貧乏貴族がセシルの実家だ。
父は数年前に他界し、副産物が特にない領土をセシルの兄が引き継いでいる。
男爵という名だけ貴族で、広大な土地に対する税を国に収めるだけで精いっぱい、赤字にはならないがセシルの家の経済状況は良くはない。
セシルは薬師だった祖母の影響から薬草や薬を猛勉強し将来は家の家計の為になればと薬師の資格を取得した。
そんなセシルの就職希望先は給料が別格に良い王都の城の薬師だ。
先月、城の薬師募集が出ていることを知り書類を送っていた。
王都の城で働くことは、かなり難しく、毎年募集が出る侍女や騎士とは違い薬師は数年に一度しか出ることは無い。
募集が出たとしても、かなりの応募が来ると言う噂で、実務経験やスキルを考慮しての書類審査。狭き門であるため、とりあえず応募だけでもしてみようと薄い希望で出した書類だった。
その合格発表の結果が郵便で届いたのだ。
封筒を開けて喜び叫んだセシルの元に兄が走ってやって来た。
「本当に受かったのか?倍率が凄いんだろう?何かの間違いではないのか?」
茶色の髪の毛に、薄い茶色い瞳はセシルとよく似ている。
温厚な顔をしているセシルの兄、ビルニークは合否の通知の紙を奪い取るとじっくりと読み始めた。
「ほら、ここに合格って書いてあるわよ」
兄の脇から手を出して合格と書いてある文字を指で指す。
セシル自身何度も読み返したので間違であるはずがない。
ビルニークは信じられないのか何度も合格という文字を読み返して掠れた声を出した。
「本当だ。城の薬師なんて実務経験がある人が行く所だろう。セシルには経験不足だ、辞退した方がいいと思う。一流の場所でやっていけるほど甘くない職業だろう」
心配している兄の気持ちはわかる。
王都から離れた田舎の領地で過ごしているセシルには想像できないキツイ仕事だろう。
70歳近い村の薬師に師事しているとはいえ、城でやっていけるだろうかとセシルでさえ不安だ。
しかしチャンスは逃したくない。
城で鍛えられれば田舎に帰ってきたときに一人でも村人を助けることができるかもしれない。
セシルは不安な気持ちを出さないように兄に微笑んで見せた。
「大丈夫よ。きっとうまくやれるわ。城で勉強して帰ってくるわよ。それにウチに仕送りできるわ」
「ウチはそんなお金に困っているわけじゃないよ。セシルが働きに出なくても十分やっていける」
兄の言葉にセシルは肩をすくめる。
「確かにそうだろうけれど、私がいつまでも家に居たら兄さんにいいお嫁さんが来ないじゃない。それに、仕事もそうだけれど王都に行けば私もいい結婚相手が見つかるかもしれないわ」
セシルの言葉にビルニークは言葉に詰まった。
「確かになぁ。こんな田舎に居たら相手は見つからないな」
ビルニークが諦めたように天井を仰いでいると濡れた手をエプロンで拭きながらセシルたちの母、クリスタがやって来た。
「何を騒いでいるの?」
「城の薬師に受かったのよ!」
兄の手から合否の手紙を奪い取ると母親に渡した。
渡された手紙を見てクリスタは目を見開いて驚いた。
「あらぁ、良かったわね!おめでとう」
「ありがとう」
おっとりしているクリスタにビルニークは首を振った。
「母さん、王都なんか危ないと思わないか?可愛いセシルが心配だから辞退した方がいいと思うんだけれど」
「私を可愛いなんて兄さん今まで言ったことあった?初耳よ」
二人の間に入ってセシルはビルニークを睨みつける。
「可愛いと思っているよ。妹なんだし。僕は心配なんだよ。王都なんてきっと良くないよ。でもなぁ、結婚相手を探すとなると王都に行かせた方がいいのか……」
一人で悩み始めた兄をほおっておいてセシルはクリスタに向き直った。
「ねぇ、行ってもいいでしょう?凄いチャンスなのよ。王都のそれも城の薬師になれば最先端の技術が学べるわ。辛かったらすぐに帰ってくるから」
懇願するように見上げてくる娘にクリスタは頷いた。
「いいわよ、行ってらっしゃい。城の中で働くのならそんなに危ないことも無いだろうし。いいお友達もできるだろうし、経験もできるしいと思うわよ」
母親の許しが出てセシルは飛び上がって喜んだ。
「ありがとう!お母さん!」
ビルニークは諦めたようにがっくりと項垂れる。
そんな兄の背中を慰めるように叩いた。
「私が王都に行ったらお母さんと二人きりになって寂しいだろうけれど、兄さんにいい人が居たら紹介するからね」
「お前には頼りたくはないよ」
ポツリと言った兄の背中をセシルはもう一度強く叩いた。
「どっちが先にいい人を見つけるか競争ね。……って言っても私は勉強しにいくのだけれどね」
セシルの言葉にクリスタは頷く。
「そうよ。しっかり勉強しなさい。セシルは、母から学んだ薬師の知識があるから受かったのかしらねぇ。漢方は珍しいもの」
「そうかもね。おばあちゃんに感謝だわ。書類には漢方が得意なことを書いたから間違いなくそれで受かったのね」
「貴女が居なくなったら誰に薬を頼めばいいのかしら」
セシルの祖母は漢方に精通しており、東洋の薬はかなり珍しい。
参考書もほとんど無いため、漢方に精通している医師や薬師から学ぶほかはなかった。
季節の変わり目や雨が降る前日などに頭が痛くなるクリスタは漢方がかなり効いておりすっかりセシルに頼りっきりだった。
漢方のおかげで、頭痛で寝込むことが無くなった母親のボヤキを聞きながらセシルは頷く。
「大丈夫。偏頭痛に効く漢方は王都から送るから安心して」
「そう?こんな田舎にちゃんと届くかしら」
心配そうな母親から手紙を奪い取るとセシルはもう一度手紙を読み返した。
何度見ても間違い無く合格と書かれている文字を見て喜びをかみしめる。
(本当に受かったんだ。来月から王都で暮らすことになるなんて夢ようだわ)
頑張って勉強してよかったとセシルは手紙を抱きしめた。