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アメ

作者:トワイラ

※残酷描写が含まれます。閲覧の際はご注意ください。

 その日、ラムネ瓶のように青く透き通った空からアメが降ってきた。

 

 雨でも飴でもなく、アメ。

 

 アメは、青くて半分透明で、プルプルしていて、それなのに硬くて、ふよふよと羽のように空から降ってくる。大半は地面に落ちて、パキンと砕けて太陽の熱でドロリと溶ける。溶けたそれは、片付けないといつまでもそこに残ってつるつる滑る原因になるから、専用のヘラでがりがり削って、燃やしてしまわなければいけない。


 とにかくその日。アメは、世界の三分の二を覆いつくした。

 

 ♢ ♢ ♢

 

 嵌めた軍手で汗をぬぐう。手についたそれは、多分舐めたらしょっぱいのだろう。上を見れば、ぎらぎらと輝く太陽の光が目にまぶしかった。

「リク!」

 見上げたままぼうっとしていると、聞き覚えのある声がした。声の方向へ振り返ると、見覚えのある人間が手を振っている。

「アンドレア」

 名前を呼べば、声の主である彼女はうんざりしたような顔で近づいてくる。

「もう、サイアク!」

 開口一番に飛び出した言葉はなんだかとても物騒だ。

「何が?」

「何が? ……じゃないわヨ! 見てこれ!」

 ずいっ、と僕に突き出されたのは、赤いものがたくさん入ったビニール袋だ。それには見覚えがある。というより、僕が持っているものと同じもの。

「アメだ」

「アメだ、じゃないってノ!」

「わっ、と」

 危なくビニール袋でたたかれることだった。袋の中身はがりがり削った大量のアメだ。アメは地面から削り取ると青色からだんだんピンクになって、どんどん赤くなっていく。それに、削り取ったアメは削った瞬間から硬くなる。結構硬くなる。つまり、当たると痛い。結構痛い。

痛いのはごめんだ、と慌ててよければ、ビニールは空をきった。危ない。ちょっと頬に風を感じた。

「アメがどうしたの?」

「どうしたもこうしたも、こんなニ熱い中がりがりガりがリやんなきゃいけないのハそいつのせいでシょうが!」

フン、と鼻を鳴らしてビニール袋を嫌そうに睨みつける。

「でも、太陽がないと、」

「わかってるわヨ!」

 またビニール袋が飛んできたので、さっとよける。再びからぶった袋を握りなおして、アンドレアは「あー!」とイライラしたように前髪をかき上げた。彼女の髪は綺麗な金色だ。瞳はいつかの空のような綺麗なラムネ色。懐かしくなって思わず見詰めてしまう。見つめて、見つめ続けて、見惚れていて、

「リク?」

 声をかけられて、びくっと肩がはねた。ラムネ色が、こちらをのぞき込んでいる。

「どうしたノ、ぼうっとして。暑さにやらレた?」

「い、いや」

 まさか瞳に見惚れていたとは言えず、かぶりを振る。怪訝そうな顔でアンドレアは首を傾げ、ほら、と僕が持ったビニール袋を指さした。

「早くソレ、処理しなサいよ」

 言われてみれば、いつの間にかビニール袋を捨てるための場所に来ていた。俗にいう暖炉のような、ごみ処理場のような、そんなイメージの“アメ捨て場”が目の前にある。重たい鉄の扉は、アンドレアがすでに捨てたからか開いていて、青色にごうごうと燃える火がよく見えた。

「あ、あぁ、そうだね……」

 手にしたビニール袋をぽいっと炎の中に放り込む。投げ入れたところがぼわっと広がって、赤が詰まったそれはあっという間に青に沈んでいった。それを見届けて、首に下げたカードキーをカードリーダにピッとかざす。ヴォン、と音を立てて鉄扉は閉じた。

 さて、と切り替えるように言ってアンドレアが大きく伸びをする。

「よーシ、今日ノ作業終わリ! 太陽が沈ム前ニ早く帰ロ!」

 言われて初めて日が傾きかけていることに気が付く。アメが降ってきてから、ずいぶんと日が短くなった。時期的に今は夏だから日は長いはずなんだけど、今はもう世界に季節はない。降ってきたアメが重なって高く積みあがって壁になって、何とかという風や雲の動きを止めてしまったからだ。

 ちなみに、現在アメはエベレストよりも高く積みあがって、世界を四つに分断している。落ちて硬くなったアメは光沢を帯びて、つるつる滑るから、登って超えることは誰にもできない。かといって飛行機やトンネルを掘る機械はもう使えない。アメによってガチガチに固められてしまったからだ。

 そんなわけで分断された世界には国境とか国の観念とかがなくなって、今人類は人種とか種族とか関係なしに暮らしている。助け合わなきゃ生きられないし、分断されているから大半の人間とは出会えない。世界は狭くなったが、その代わりに戦争は消えた。皮肉なことに、人間に脅威を与えるアメが人間に脅威を与える争いを消したのだ。

「そうだね」

 僕はそう言ってうなずいた。ひとたび太陽が沈めば、空から降ってきたアメはどんな状態だろうと―たとえそれまで赤くなって硬くなって地面にへばりついていたとしても―急に元気になって、“獲物”を探し始める。夜に外へ行くのは半分自殺みたいなものだ。だから、人間は夜が近づいてくると地下のシェルターにこもって過ごすことになる。そして、僕が暮らしているシェルターはまぁまぁここから近い。

「アンドレア、今日は僕のとこのシェルターに泊まる?」

「そのつもリじゃなけれバ、ワタシはもっと軽装だったでしょうネ」

 なるほど、だからそんなに大きいリュックを背負っていたのか。

「……ちなみに、その中には何が入ってるの?」

「オトメの鞄の中身を尋ねるなんテ無粋―ト言いたイところだけド、特別に教えてアげる」

 アンドレアは身長の半分以上を占める大きなリュックをちらりと見て、答えを口にする。


「ピーナッツバター」


 いたって真剣な表情だった。


♢ ♢ ♢


 シェルターの中はとてもシンプルだ。椅子が一脚とテーブルが一つ。本棚(に僕はしている備え付けの棚)が一つ、クローゼット一つ―が、3メートル四方の立方体に収まっている。狭い部屋にそれだけあれば、さらに狭いのは間違いない。けれど、僕は今の時代にしては多分、とてつもなくいい暮らしをしている。一般の人が住むシェルターだと、一人部屋のほうが珍しいらしいし、人が多すぎて廊下で暮らしている人もざらにいるらしい。

 動きやすいTシャツと半ズボン姿になった僕は、いつもの習慣でついゴロンとベッドに寝転がる。固いマットレスと薄い毛布、ぺたんこの枕に慣れきってしまったのはいつだっただろうか。昔の僕は眠りに真剣で、誕生日にふかふかの羽毛布団を頼んだり(高すぎて却下された)一番いい枕になる教科書はどれかっていう自由研究をしたりして家族にあきれられていた。夜更かしが苦手で、早起きも苦手な僕をたたき起こすのが大変だと母さんは笑っていたっけ。

 ……家族のことを思い出すのが辛くなくなったのはいつだったろうか。

「そんな日ハ来ないわヨ。永遠に」

 ふいに響いた声に飛び起きれば、手にピーナッツバターの瓶とパンを持ったアンドレアが扉を開けて入ってきたところだった。口には何やらスプーンが咥えられている。その状態で喋ってたのか。

 彼女は僕が寝転ぶベッドに向けて無造作に瓶とパンを放った。慌ててキャッチする。手にしたのはよく見る硬いパンと、一般的にはあまり見ないだろうけど僕はよく見ているピーナッツバターの瓶。黄色と水色で塗り分けられた背景に、白い縁取りの赤い文字で“ピーナッツバター”と書かれている。

「品質はサイアクだけどネ。もう、それしカないのヨ」

 そう言って咥えていたスプーンで新たに取り出したピーナッツバターを掬い取る。口に入れて、渋い顔をする。

「嫌いなんだっけ」

「大嫌イ。まったく、忌々しいったラ」

 でも食べなきゃ生きてけないし、と彼女はボスっと僕の横に座った。遠慮容赦なく座られたので、一瞬体が宙に浮いた。

「それヨリ!」

 ふいに声を荒げて彼女が近づいてきた。ラムネ色が、触れられそうな距離にあって驚いてしまう。

「は、はい」

「思い出すのが辛くなくなることなんテ、一生来ないわヨ!」

「あー……声に出てた?」

 出てタ、と不機嫌そうに言って、彼女は再び大嫌いなはずのピーナッツバターをやけくそのようにほおばる。

「ワタシは、ワタシの家族を悼むことを忘れたりしない。例エ、この狂った世界では無意味なことだったとシテも」

 アンドレアの家族はアメに殺された。僕の家族も同じだ。

 あの日。

 空から落ちてきて、上手に着地したアメは、人間を食べた。

 青い半透明の体をガパリと大きく開いて、頭を丸ごと飲み込んで、溶かして、頭蓋骨だけにしてからズルズルと脳みそをすする。すすって、吸い込んで、咀嚼して、食べ尽くす。“食事”を終えると、脳みそ色に染まったアメは、頭部だけ頭蓋骨になった死体を残してどこかへ去っていくのだ。

 上から突然降ってきて飛びついてくる“狩り”が上手なアメもいるが、大半のアメは食事を夜に行う。奴らにとっての天敵は、太陽。太陽の光にさらされると、アメは力が弱くなり、動きも鈍くなる。その性質を利用して、僕たちは地面に落ちたアメを削りとっている。

「無意味なことじゃないよ。そうしている人は、たくさんいる」

 そういえば、彼女は不満そうな顔を崩さないままラムネ色を隠した。

「……そうネ。それに、リクだってそうでしょう」

「……どうなんだろう」

「そうに決まってル。だって、あなた、家族の話をするとき、泣きそうな顔してる」

「僕が?」

「リクが」

「そっか」

「そうよ」

 それだけ言うと、アンドレアは立ち上がって、廊下へ続くドアへと足を進める。機械音を立てて、ドアが開いた。

「これ、もらっていいの?」

「一人デ食べるつもりだったら、ワタシはもっと軽装だったでしょうネ」

 声を残して、扉が閉じる。


♢ ♢ ♢


 その日、ラムネ瓶のように青く透き通った空からアメが降ってきた。

 

 雨でも飴でもなく、アメ。


 アメは、青くて半分透明で、プルプルしていて、それなのに硬くて、ふよふよと羽のように空から降ってくる。大半は地面に落ちて、パキンと砕けて太陽の熱でドロリと溶ける。溶けたそれは、片付けないといつまでもそこに残ってつるつる滑る原因になるから、専用のヘラでがりがり削って、燃やしてしまわなければいけない。


 とにかくその日。アメは世界の三分の二を覆いつくした。

 

 世界を覆ったアメは、世界から季節をなくし、地面を自分たちの赤にして、人間を―正確にいうと、人間の脳みそを食い散らかした。アメはどんどんどんどん降ってくるから、当然どんどんどんどん人が犠牲になっていく。


 そんな状態だったのに、大人たちはまるでアメなんて見えていないようだった。子供たちがいくら言っても、アメを信じようとはしなかった。そして、次々とアメに脳みそを食べられていった。世界からは、ほとんど大人がいなくなってしまった。―アメは、子供にしか見えない存在だったのだ。


 いよいよ異変に気付いた大人たちが行動し始めた時には、世界の半分以上がアメになっていた。大人たちは、生き残るために地下にシェルターを作ってその中に閉じこもっている。けれど、ずっとそうしていてはアメは増え続けるばかりだ。だから、大人たちはアメが見える子供をその除去に使うことにした。それが、僕やアンドレアのような、アメによって家族を失った子供たち―通称、CCCキャンディクラッシャーチルドレン。アメと“飴”、それから家族を失った子供たちの涙の『雨』をかけた名称だ。誰が言い出したか、反吐が出る。


 だけど、よりどころを失った僕たちはその仕事にすがるしかない。確かに、CCCはどこの地域に行っても手厚くもてなされるし、待遇だって悪くない。それは事実だ。けど、もちろんアメの除去には危険が伴う。前に僕とコンビを組んでいたイルビスはアメが発する洗脳電波―大人たちを最後まで行動させなかった原因だ―をまともに食らって今を夢の世界で生きているし、その前にコンビを組んでいた神楽はうっかり夜に外に出て、アメに捕まって脳みそを食べられてしまった。今僕と一緒に行動しているアンドレア。彼女は一度アメに食べられそうになったことがきっかけで、脳みそに少し攻撃を食らってしまった。そのおかげで本来英語が母国語だったのに歪な日本語を話し、大嫌いなピーナッツバターを食べ続けなければ生きられない体になってしまったのだという。ピーナッツバターを一日でも食べなければ頭が溶けてしまうので、ピーナッツバターの供給が止まった時が彼女の命の最後だ。ちなみに、崩壊した世界に今なお可動しているピーナッツバターの工場はないし、材料だってない。彼女にもらったこのパッケージの会社の跡地から在庫がなくなれば、それがアンドレアの最期だ。でも、彼女は在庫の量を問い合わせたことはないらしい。わかってしまったら、きっと何もできなくなってしまうから、というのが理由だった。

 かくいう僕も、アメによっておかしくなっている。僕の場合は、それが感情に現れた。妹が目の前でアメに喰われたとき、僕は、あの子を助けようとしてアメに頭をつかまれた。脳みそが溶ける前にCCCの関係者に助け出されたのは、果たして幸運なことだったのか―それを考えることはない。けれど、とにかくその日から、僕の感情の三分の二は消えてしまった。コンビを組んだ子が死んでしまっても、狂ってしまっても、これから死んでしまっても、何も感じなくなってしまった。僕は、感情が壊れてしまったのだ。

 でも、そんなのアメの除去には関係ない。むしろ、恐怖を感じないということは好都合でさえある。荒廃した世界にも、変わり果てた景色にも、アメにも、来るかわからない明日にも、自分自身のことだって、何にも怖くないのだから。

 アンドレアにもらったピーナッツバターをパンにつけて一口食べる。このピーナッツバターはなかなかユニークな味だ。アンドレアが大嫌いという理由もわかる。ぐちょぐちょしていて、生臭い鉄のような、甘ったるくて濃厚で、ドロドロ溶けたチョコレートのような、不思議で、でも僕はこの味が―嫌いではない。

 

 「ごちそうさまでした」

 ピーナッツバター(比喩表現)

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