兄のような存在とその他
初めて真面目に話す時に何だが、俺は今非常事態なのである。それはそもそも俺の兄の佐藤 隆児のせい。ていうかそもそも、何故この話しに一切関係のなさそうな兄の名前を浮かべるのかを聞かれたら、まぁ分かるだろう。バレるのだ、もうすぐ。この脳に存在する神の事が。
「……おい、隆史。最近いつも誰と喋ってんだよ」
兄勘付いて、この一言から俺の戦いは始まる。
俺はバレるまでの時間を延ばす。少しでも奇跡があるのならば、きっと、バレずにこのまま始業式にたどり着けるのではないかと。ただ知っていれば、この世に偶然等と言う物も必然と言う物も奇跡等も、人間の想像を遥かに超える程あるのだと思う。
この何兆億という時の中で人間の創造してきた物は、無意味な物も含まれているのかもしれない。人間の創造と言えば、小説、漫画、アニメ。これが一番人に近いのだと思う。一番神に近いのが、聖書や、予言の書。これは創造を遥かに超えている。言わば神の領域。
「は、はは。何言ってんだよ」
話しがそれてしまったので強制的に戻るが、兄は感が鋭い。将来は刑事とか、正義に匹敵する職業がいいんじゃないかと思うくらいに鋭い。本人いわく、将来は普通にサラリーマンで良いらしいそうだ。確かに、兄なら窓際族などにはならず、次長・課長などとどんどん昇進していけそう気がする。
そんな普通なサラリーマンを望む兄が何故俺の脳の中の神に気づきそうなのかは、すべてメリーのせいなのである。順を追って説明すれば、メリーのせいで兄が勘付く。兄が勘付いたせいで俺が言い訳をしなければいけないのだ。言い訳をせず、このまま兄にメリーを晒すと言う事は、兄の中にある俺へのイメージが、変体変人の最低人間と塗り替えられてしまう可能性が大。それに、もしそうならくても、メリーが俺を殺して、別の人間の脳に移ってしまうかもしれない。
人間交流が苦手で友達がいないけど、俺は死ぬのが怖いし、四六時中異性と話せるこの状況を、俺はなくしたくない。横文字がわからない俺だからこそ、この状況を『ハレム』と呼ぶのだろう。
この考えを否定する奴に言っておくのだが、全くと言っていいほど、意味は全然わからない。
「だから、お前誰と喋ってる?」
「誰となんて……兄…しってるだろ? 俺友達なんていねぇもん」
俺は兄を『兄』と呼ぶ事に、何の抵抗も無い。
オールオーケー。どんと来いだ。
「知ってんだぞ俺、お前、クリスマスイブ明けた日から何かと喋ってるだろ…おら、全部話せ。あれか? お前の好きなオカルトか?」
「ちっげぇよ!」
兄が俺を見る時には、3つの法則がある。1つは全く目の瞬きをしない時。これは喜ぶ時や嬉しい時、楽しい時である。2つ目は、下唇を噛む事。これは興味、苛立ち、怒りを表す。3つ目は特に何も無い時。これは普通の状態を表す。
今の兄は、3つの法則の中で2を表している。そこで分かるのだ。兄は知りたがっている。知りたがって知られなくて、苛ついている。
「ほら、喋ろ!」
手で頬をぐにっとつかみ、顔を近づけてくる兄に、俺はぎょっとなる。
兄は何に関しても、何かを得る為には手段を問わないのだ。
殺される。話さなきゃ、殺される。
でも、喋りたくない。絶対に話さない。
「何も無いって! ほら、あれだよ! 頭狂ってんだよ。友達いなさすぎてさ!」
「頭狂ってる奴がそんな事言うかよばーか」
そんな事言われたら挫けるよ……。
あ、……。
俺挫けた。
「と、にかく! 俺は何も隠してないから!」
俺は戦うとか言っちゃってるけど……駄目だ。
逃げる。これはもう負けるのが決まっている。
「あ、逃げちゃうの」
ふと、脳の中から耳を伝って女の声が聞こえた。メリーだ。
頼むから声をかけないでくれ! ついでも、口で声を出してしまいそうで怖い。声に出さなくても泣きそうだー!
「んじゃあ! 俺これから雑誌買いに行くから! エロ雑誌!」
苦笑いを浮かべ、俺はゆっくりと後ろを向く。そして、兄に肩を掴まれる感覚を味わう約0.5秒前。 全力ダッシュ。
「あ、おいコラ! 逃げんじゃねぇ! お前、脚以外に興味ねぇの知ってんだぞ!」
なんで知ってんだよ兄! 誰にも教えた覚えねぇぞ! しかもそんな系統の雑誌だってちゃんと隠してあるはずだし! 布団の下に隠すっていうのは、凄くベタ過ぎたか……?
最悪だぁー!!
*
すぐさまダウンジャケットと黒いマフラーをまとい、家をでた。
そのまま少し全力疾走をして曲がり角を曲がった所で俺は走りを緩めた。
「ドッと疲れた」
「隆児は隆史と違ってカッコいい所があるな。どっきんってしたぞ」
「あー……そーですか」
毒舌メリー。
「ところで、隆史。あの子はどうして隆史に対してはああも感情的になってるのかな?」
「あぁ、俺虐められてたんだよ。幼稚園の頃な。もう引っ越したからその時の奴等は近くにいないんだけどさ。それでじゃないかな? 俺、友達いないし、虐められてないかって思って、放って置けないんだろ。兄優しいし」
思う限り、こんな年になってまで俺等ほど仲の良い兄弟はいないだろう。
俺は兄を慕い、兄は俺を信頼している。こんなに仲が良くて性格も違いすぎて、理想的なのか、その逆なのか、不思議になる。
親も親で、なんやかんやでオシドリ夫婦。俺はそんな父や母が苦手だが、兄はそうではないらしい。だから、親とは兄を通じて、普通の親子だ。だから俺の家は、兄を中心として時計が回っている。兄がいなければ、親とも上手くいかないし、きっと人間とも話せず鬱状態になっている。
兄歳々だ。
「本当、好きなんだね。『お兄ちゃん』」
「うん」
俺は今、兄の立派さに浸っている。
…の筈だ。
なのに何だろうか、この違和感。誰かにこの会話を聞かれているような。
どこだ? 誰が聞いてる? 兄? いや、違う。……知らない人。唯の他人?
――メリー…。
俺は咄嗟に心の中でメリーと会話をする。
「なに? どうかした?」
――後ろに誰かいる。
「何言ってる? 誰もいないじゃない」
――いる、誰かいる。
雪を踏む音も、息の音も、何もないけど。
確かにいるじゃないか。誰か……。
いる、いるじゃん。後ろに、ああ、違う。すぐ横に。
誰、じゃない。メリーのように、人間ではない物。疫病神、死神、貧乏神、幽霊、お化け。…ようするに化け物と呼ばれる種。
――ああ、もう、横にいる。
「……」
メリーは驚いた。
静かに冷静に驚いた。
だから俺は静かに聞いた。
――逃げる?
メリーは何も話さなかった。
メリーが喋らないから、俺は何がなんでも横を見ようとしない。見ない。ちらっとも、じーっとも、見たら喰われる。そう思うほかなかった。硬い決意なのだ。
だって、充血した目をぎょろっとこっちへ向けて、大きな口をあけてヨダレを垂らしているのが伺えるから。横を振り向かなくてもわかる。
大いに顔が近すぎる。
そいつは俺の頬に鼻息と、口からでる息を遠慮もせずにかけているから。……怖い、気持ち悪い。
「あ……」
「…え?」
メリーが何かに気づいた模様だった。
「なんだって?」と聞こうとして、やってしまった。
瞬間にみっしりとした鈍痛が響く。いや、鈍痛なんて字で表せるようなものなんかじゃない。
肉が裂けて骨にひびが入り、もしかしたら折れているかもしれない。
殴られた。グーかパーか…もしくはチョキかもわからない。酷い一瞬だった。
左側の顔の感覚がない。痛すぎて涙がでている。それに鼻水と鼻血の混じった謎の体液が鼻から溢れ出る。尋常なもんじゃない。
あ、痙攣してる。
多分、メリーは懸命に俺に話しかけ、俺の神経を引っ張り俺を呼び戻そうとしているはずなのだが。
もう駄目だ。意識が飛んじゃう。
MI5。マジで意識飛ぶ5秒前。……ていうか駄目だ。意識飛ばないように略語とか思いついたけど、駄目だ。何が駄目だって? 5秒も待ってられないって事。
意識が薄れて行くなかで俺が最後に目にしたのは、舌を垂らして汚い顔で笑っている、その化け物だった。