Scene05: フル・グラビティ
「はぁ……なんとか落ちずに済んだ」
俺は張り出し屋根の瀬戸際で、しぶとく持ちこたえていた。
屋根の縁付近から出ている〝突起〟。
つぶれた凸形をしているこの突起は、たしか〝雪止め〟として設けられているものだったはずだ。
数十センチ間隔で横一列に並んでいるそのうちのひとつが、俺を受け止めてくれ、緊急避難の足場となったのである。
積雪がある地域の家で助かった。
……いや、そもそも霜が降りるような寒い地域だからこんなことになっているのではないだろうか。
ともあれ、生じてしまったことを悔いてもしかたがない。
「どうすんだよ、この状況……」
東北の自然が仕掛けてきた致命的なトラップ。
まさか屋根が殺しにかかってくることになるとは思はなんだ。
ひとまずは大事にいたることなく済んだが、さながら崖っぷちで万事休したありさまだった。
足場になっている突起は、屋根にのしかかる大量の雪を支えるだけあって、頑丈そうではあるけれど、長さも幅も15センチ定規ほどしかない。
だから今は、うつ伏せで股をぴったりくっつけ、足の指だけが辛うじてかかっている紙一重の状態。
かかとはまるまる宙に浮いてしまっている。
かじかんでいる指先が限界を迎えて外れでもすれば一巻の終わりだ。
体力が底をつく前に脱しなければならない。
俺は屋根の上に這わせていた両腕の位置をやや上方にズラす。
バンザイをしているような格好で、手をふたたび屋根に押し当てた。
力を込め、試しに体を持ち上げてみる。
ズズッ
ときたので、すぐにやめた。
「こんなに滑るとか、嘘だろ……?」
ガチガチに凍結しているわけではない。
霜氷が薄く敷かれているだけである。
ぬぐえば簡単に取り除ける。
でも屋根には水気が残るし、衣服も湿ってしまう。
その水分と屋根の傾斜、そして重力が仇だった。
ダウンジャケットのつるつるした生地もよくないのだろう。
それでもやるしかない。
よじ登らなければならない。
「俺はカエルだ、アマガエルなんだ」
と自分に言い聞かせ、手袋を脱いだ素手を屋根に貼りつけてみた。
手は乾いていたのでイケると思ったが、接地面の屋根が濡れているため、手のひらの皮膚はすぐに湿り気を帯び、前進しようとするとやっぱり滑ってしまう。
ならば靴下も脱いでみようかと思ったが、足を使おうにも、ジーンズのうえ、その下にはスウェットズボンまで穿いている。可動範囲が狭く、満足に動かすことができずに持ち上げられない。たとえできたとしても、片足の指だけで体を支えて脱ぐのは厳しい。
カエル作戦、あえなく失敗。
寒さに耐えかねて手袋をはめもどす。
この手袋が、黄色いブツブツの滑り止めが付いた軍手だったら、と悔やまれる。
うちは兼業農家なので、作業に使うため、家の中にはしこたま買い置きがあるのだ。
万が一に備えて滑り止めの付いたものを選んでいればよかった。
それが、よりによってニット素材。
後悔先に立たずである。
俺は顎をめいっぱい上げて自室の窓を見やった。
距離はせいぜい1メートルほど。
窓の向こう側には、暖房が利いたぽかぽかの楽園がある。
しかしたった1メートルなのに、這い上がることができないもどかしさ。
「これってマジでヤバいんじゃねぇ……?」
つぶやいた声で思いのほか危機的状況にひんしていると自覚する。
窓が、ぐぐ~ん、と奥のほうへ遠ざかっていくように感じた。