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琥珀色の形見

作者: 坂口正之

彼は、思っていた。

今の妻に文句がある訳ではない。十分自分に尽くしてくれていると思っているし、正直、自分にとっては不釣り合いなくらい良くできた妻だと思っている。

でも、やはり、どこかなじめないものがある。なぜかは、漠然と自分でも分かっていた。

しかし、それはどうしようもないことなのだろう。全ては自分に責任があるのだから…。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


彼は一年前に再婚していた。

前の妻は病気で亡くなっていた。それは、突然のことだった。

前の妻が亡くなる直前には二人の仲が良かったか、と問われれば、決してそうですと断言できる状況ではなかった。

口を開けば喧嘩ばかりしていたし、そもそもあまり話し合ったり、一緒に旅行に行こうとか、そういった状況になることもほとんどなく、互いにどことなく無視していたのかもしれない。

そういう意味では、冷めた夫婦だったのだろう。

もちろん、最初からそうではなく、新婚当時はとても仲が良かったし、人も羨むような大恋愛をして結婚したのであった。

いつから何が原因でそうなったのか、彼には考えても分からなかった。人に問われても、ただ自然にいつの間にかそうなってしまっていたということしか、彼には言えなかった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


今の妻とは、お見合いサービス会社の紹介で知り合った。

「まだ五十代になったばかりでしけこむ歳でもない、まだまだ、人生上を向いて進もうじゃないか」

と、社長に言われたことも原因だったのかもしれない。

とにかく若返ったつもりでお見合いサービス会社に入会し、紹介を受けたのだった。

お見合いサービス会社からは、彼の条件にあったと思われる適当な女性のプロフィール、写真などが、毎週送られてきた。

そこで分かったのだが、結構女性にも自分と同じような境遇で、新たな出会いを求めている人が少なからずいるということだった。

そのうち何度かお見合いをするうちに、どことなく一緒にいてもいいのかな、できればこのような人と一緒にいたいな、という気持ちになる女性に出会うことができ、今の妻と再婚したのだった。

しかし、今の妻と再婚してから不思議なことに、より前の妻のことを思い出すようになってしまった。

今の妻には申し訳ないのだか、どうしても前の妻のことを思い出し、比較してしまう。

生き別れの再婚は良いのだが、死に別れの再婚は避けるべきと言う人もいるが、まったく、その通りだったのかもしれない。

前の妻だったら、こういう時に気が利いてこうしてくれたのに、今の妻はまったく気が利かないとか、時々思ってしまう。

実際には自分が誤解しているだけで、その逆もあって、決して今の妻より前の妻がいいとは限らないだろう、ということも彼自身分かっているのだが…。

彼がそう思おうとしても、正直なぜか心底そう思うことができないのであった。

彼にとって一番耐えられなくなるのは、家の中がどんどん今の妻の趣味で変えられていくことであり、無性に悲しい思いがしていた。

前の妻が使っていた洋服やコーヒーカップなどが直ちに捨てられてしまったのは仕方ないと思うのだが、例えば、前の妻と二人で選んだカーテンは、「暗いわ」とか言われ派手な柄のものに変えられてしまったし、玄関の花瓶なども…。

純粋に考えてみれば、これは当たり前のことであって、いつまでもこの家の中に前の妻の残像が残っているのは、彼女にとっても耐えられないだろうし、彼の記憶から、早く消えてほしいと願うのは、仕方ないこととは思うのだが…。

今の妻が、自分に尽くしてくれればくれるほど、なぜか前の妻のことを思い出してしまう。本当に今の妻には申し訳ないのだが、自分でもどうしようもないのであった。

こんなことなら、再婚などしなければ良かったと、正直思うことも少なくなかった。

そんな時、彼はあるものを見つけたのである。それは、今の妻が外出している時に偶然見つけたのであった。

台所に設置した床下収納スペースの中から、前の妻が作った梅酒を見つけたのであった。

今の妻が来るときに台所を模様替えした際、米びつをたまたま収納スペースの上に置いてしまい、収納スペースの中はそれ以来見ることはなかった。

「そうか、思い出したよ。あいつは毎年梅酒を漬けていたんだ。あいつが病気になったドタバタで忘れていたが、確かに漬けていたんだ…」

彼には嬉しかった。前の妻の形見のように思われた。梅酒ビンの蓋には、××年六月七日と書いた紙が張り付けてある。

ちょうど前の妻が亡くなる三か月ほど前で、もう三年近く経っていた。

彼にとって宝物のようなこの琥珀色の液体は、静かにずっと、彼に見つけられる日を待っていたのかもしれない。

その日から彼は、時々、今の妻に見つからないよう妻が寝静まったあと、そっと布団を抜け出し、その宝物を少しずつ、少しずつ、飲むようになったのである。

その宝物を飲んでいると、ますます前の妻のことを思い出すようになるのであった。それも恋愛中や新婚当時の楽しかった、なつかしい思い出ばかりであった。

それが彼には、嬉しかった。

もちろん、貴重な梅酒は無駄にはできないから、他の酒を飲んでほろ酔い気分になったところで、その宝物に切り替えるのだが、どう言ったら良いのだろうか、本当に涙が出るくらい嬉しかった。

まどろみの中で、必ず前の妻が出てきて、お酌もしてくれたし、話しもしてくれた。

「お父さんごめんね。先に逝ちゃったりして、ご苦労かけるわよね。でも頑張ってね…」

「ああ、お母さん、いつまでもずっと一緒だから、だいじょうぶだよ…」

必ず、そう言って二人は話をしていた。

彼にとっては、そういった時間は何事にも変えられなかったし、この梅酒がいつまでも無くなることがないように願っていた。

彼はどことなく、いずれこの宝物が無くなる時は自分も前の妻の元へ旅立つことになるような気がしていたのであった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


それから半年後、彼の漠然とした予想どおり収納スペースの梅酒が無くなってあまり時が経たないうちに彼は、亡くなってしまった。

死因は肝臓がんだった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


彼の遺産を引き継いだ今の妻は、床下の収納スペースを開けると隣の男に言った。

「さあ、証拠の品を早く片づけましょう。これが見つかって、分析でもされたら大変よ…」

「だいじょうぶだよ、病院でも普通のがんとして扱われていて、誰も疑っていないのだから」

「万が一、分析されて発がん物質が入っていることが分かったら、私たち死刑かもよ。あなたも、発がん物質を私に渡したということで同罪なのよ!」

「ああ、分かった、分かった…」

そう言うと男は、床下から底にいくつかの梅だけが残ったビンを取り上げた。

「でも、今回はうまくいったよな。遺産はどのくらいあるんだ?」

「家と土地で約五億円…、まあそんなところかしら。あと彼の生命保険金も一億円ほど入るわ…。前の奥さんの保険金も残っているようだし…」

「うまいもうけだよな…」

「なに言っているの、変なジジイと二年近くもつきあわされたこっちの身にもなってよ。二十億円でも安いくらいよ!」

「しかし、うまく考えたものだよな、少しずつ時間をかけてジジイのコーヒーやみそ汁に混ぜるんじゃ大変だし、なかなか飲んだり食べたりしてくれなかったりして、こんなにうまくはいかないよ…」

「このアイデアは、また使えるわ…」

女は男の方に振り返って、薄気味悪くほほ笑んだ。

「でも、なにも前の奥さんの梅酒でなくても…。いつも飲んでいる焼酎やウイスキーに混ぜても良かったんじゃないか?」

「前の奥さんの形見だからいいのよ…。ちょっと変な味がしたり、舌がしびれたりしても、それを誰かに言うと思う? 言わないわよ! 秘密の宝物なのだもの…。でも、私が用意した酒だったら、変な味がしたら疑うでしょう…? それに、もし病院で病状がおかしいと感づかれて警察に通報されても、誰がこんなところに証拠の品があると思って?」

「じゃ、彼がこの梅酒を見つけてくれなかったらどうするつもりだったんだ?」

「だいじょうぶよ、米びつを動かしたりすれば直ぐに見つけるわよ。それでもダメだったら、この上に牛乳でもこぼして、外出するつもりだったわ…。それなら目立つでしょう?」

「さすがだね、悪女は…。ところで、この梅酒はどうしたんだ。本当に前の奥さんが漬けたのかよ?」

男は、梅酒ビンを揺すって見せた。

「前の奥さんが漬けたのじゃないわ。その時はもう弱っていて、とてもそんな状況じゃなかったみたいよ」

「じゃ…」

「そうよ、三年ものを買ってきたのよ」

「もし、梅酒を漬けない奥さんだったらどうしたんだよ?」

「バカね、お見合いの時にお酒のことを聞いて、ついでに梅酒は好きですかって、聞いたにきまっているじゃないの…。そしたら悲しそうに、これまで亡くなった妻が毎年漬けていたので飲んでいたけど、もう今は飲んでいないって答えていたわ…」

「じゃ、彼にしてみれば、本当に宝物を見つけたようなものだ」

「そうね、宝物ととともに幸せに死ねたのだから、いいんじゃないの…」

「今頃は、前の奥さんと仲良くしているって訳だ、手に手を取って天国で…」

「そういうことね…」

男はうなずくと、手に持ったビンを傾けて残った梅を一気にゴミ袋にあけた。

(おわり)

以前、妻のジャムに発がん物質を混ぜて食べさせ殺してしまったという有名な事件がドイツでありました。犯人は発がん物質に詳しい大学教授で、本人は食べずに妻にジャムを食べるよう頻繁に勧めたことから不審に思った妻が死去する前に関係者に話し、その後の捜査で犯行が明らかになったものです。

この事件を元に、「どうすれば発がん物質を自ら積極的に、また、他人に話すことなく摂取してもらえるか?」ということを考えてみました。

その結果が今回の小説なのです。

では、「ああ、なるほど単に完全犯罪を考えたのですか?」と言われると、実はそれだけでなく考えてほしいのですが、実は、ここで登場する殺された男は決して不幸ではなかったのです。彼は自分が騙されていることに気付かず、最後まで幸せに死んでいったのです。

また、騙した女も男の遺産を手にして幸せになりました。

何か、すっきりはしないのですが、誰も不幸にはなっていない。でも、どことなくこの小説には満足できない。そういった不安定な感覚の小説を書いてみたかったのです。

ちなみに、ドイツで明らかになった殺人ですが、「使われた発がん物質はどのような物質で、また、どこで入手可能なのか?」については、ここでは書かないことにいたします。

本作品は、2004年(平成14年)12月1日に作成したものです。

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