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【コミカライズ】蜂蜜姫の甘い恋

作者: 長月 おと

 

「私、きちんと美しく見えるかしら?」

「もちろんでございます。フィオナお嬢様はいつだって可愛いらしくいらっしゃいます」

「可愛いでは駄目なのよ。もうすぐ成人なのだから、美しくなりたいの」



 私が侍女に不満げに言うと、身なりを整えてくれた侍女のアリーは困ったように微笑んだ。


 私の名はフィオナ。メルティナ侯爵家の長女で第三子の末っ子。まもなく成人と認められる十八歳を迎えようとしているのに、鏡台に映る私はまだ立派な大人には見えない。



 童顔な父譲りの琥珀色の瞳は大きく、妖艶な母譲りのハニーブロンドの髪は緩やかに波打ち背中で広がっている。鼻や口は小さく、輪郭は卵のように丸い。

 家族はビスクドールのようだと愛でてくれるが、つまるところ子供っぽく見えている。



 顔立ちは化粧である程度変えることができるけれど、この甘い蜂蜜色の瞳と髪だけはどうにもならない。この色のためか「蜂蜜姫」と呼ばれることもあるくらい、私といえばこの色だ。

 大人っぽくなりたいという私の言葉に、侍女が困惑するのも仕方ないのかもしれないわ。



「フィオナお嬢様、約束のお時間の前ですが、アルフレッド様がお着きのようです」

「まぁ、急いでお迎えに参りますわ」



 肩を落としている場合ではない。私は一週間前から選んでいたドレスのスカートを摘み、令嬢のマナーとして許される限りの速さでエントランスに向かった。

 そこには馬車から降り、手土産を使用人に預ける青年――――マグレガー公爵家の跡取り、アルフレッド様がいた。


 王弟を父に持つ彼の髪は王族の血を色濃く引く銀糸のような輝きを持ち、瞳は海のように深い青。手足が長くスラリとした長身で、六つ年上の私の婚約者。



「アルフレッド様、お迎えが間に合わず申し訳ございません」

「いえ。僕の都合で早く着てしまっただけなので、謝るのはこちらの方です。フィオナ嬢を急がせてしまったようで申し訳ない……早くお会いしたかったものですから」


 アルフレッド様は自然に私の手を掬い、指先にキスを落とした。

 容姿だと冷たい色をお持ちなのに、アルフレッド様の微笑みは温かさを集めたように柔らかい。

 私の指先と胸の奥は、発火したように熱くなる。



 アルフレッド様との婚約は、貴族の派閥の力関係を調整するために、王より命ぜられた政略的なもの。私が十二歳のとき、アルフレッド様が十八歳のときに結ばれた。


 政略結婚に愛を望んではいけない――と周りのお友達は心配して言うけれど、私はアルフレッド様に恋をしてしまった。



 落ち着き払った態度に、どんなときも穏やかな微笑みを絶やさず、優しく接せられた私が恋に落ちるのは必然だった。簡単に大人の余裕に魅せられてしまった。



 勝手に恋して、愛の見返りを求めるなんて――と王命に従わざるを得なかった彼には呆れられてしまうかもしれないわ。

 でも数年たった今も、私の恋い焦がれる想いは止まらずにいる。




「フィオナ嬢? 僕の顔に何がついていますか?」

「いえ。久しぶりにアルフレッド様のお顔が見られたものですから」



 私は恥ずかしくなり、俯いてしまう。

 これではアルフレッド様のことが大好きと言っているようなものだわ。毎回のことだから手遅れかもしれないけれど。



「そうですか。僕もあなたの元気そうな顔が見られて良かった」



 アルフレッド様がふわりと顔を綻ばせた。まるでカサブランカが花開いたような笑顔に、私の胸は益々締め付けられる。



 あぁ、好き。本当に好き。



 アルフレッド様の優しさは、大人が子供を可愛がる類だと思うの。だって彼はとても大人っぽくて、私は笑顔を向けられたくらいで喜んでしまう子供なのだから。


 どうしたらアルフレッド様は、私のことをひとりのレディとして見てくれるのかしら。できれば同じような愛を向けて欲しい――と傲慢にも思っている。



 私はアルフレッド様をメルティナ家自慢の温室に案内し、月に一度のお茶会をはじめた。

 社交シーズンの今、週に一度は夜会で顔を合わせられるので、お茶会の頻度は低め。

 けれども唯一アルフレッド様と二人きりでお話できる大切な機会なので、私の気合は夜会以上だ。


 自ら選んだ薬草でハーブティーを用意する。ハーブを入れたポットにお湯をたっぷりと注ぎ、紅茶よりも長めにじっくりと蒸らしていく。

 その間にアルフレッド様が持ってきてくれた菓子を眺めて楽しみ、流行りについて少し言葉を交わした。


「今、ハーブティーをお出ししますね」


 ティーカップに注ぎ、しっかりと色味と香りが出ていることを確認し、ひと匙の蜂蜜を混ぜてアルフレッド様にお出しした。


 彼は香りを楽しんだあと、ゆっくりとハーブティーを口に含み、肩の力を抜いて吐息を漏らした。

 殿方なのに、なんて色っぽいのかしら。

 思わず見つめてしまっていると、アルフレッド様と視線がぶつかった。



「ハーブティーに蜂蜜を入れるなんて、珍しいですね。これはどうして?」

「少しお声が枯れていらっしゃったので、喉を痛めているかと思いましたの。蜂蜜は喉にとてもいいのですよ」

「気付いてくれていたんですね」

「はい。季節の変わり目ですし、何よりアルフレッド様の事ですから」



 ハーブティーに蜂蜜を混ぜてアルフレッド様にお出しするのは、今回が初めてのことだった。受け入れてもらえるか心配だったけれど、彼が美味しそうに飲みすすめる姿から杞憂のようだわ。

 将来のアルフレッド様の妻として、夫となる方の体調はきちんと支えていきたい。そんな想いが伝わるように、二杯目を淹れていく。



 好きになって欲しい。両思いになりたい。媚薬があれば蜂蜜の代わりに入れてしまいたいくらい。



「フィオナ嬢には隠し事はできませんね。本当に美味しい。喉に優しいだけでなく、蜂蜜がこんなにもハーブティーを美味しくするとは」

「ハーブの癖のある香りが丸くなりますからね。蜂蜜、お好きですか?」

「えぇ、とても」



 やっぱり媚薬でなくて、蜂蜜にするわ。

 だって私の代名詞である蜂蜜を好きと言われると、まるで自分のことを好きと言われているような気持ちになるんだもの。

 先程まで気を落としていた原因である甘い色も好きになってしまうから、彼の言葉の影響力は計り知れない。



 好き。誰よりも好き。



 既にこれ以上ないくらい彼を好きでいるのに、想いは大きくなるばかりで困るわ。


 でも私は大人になるのよ。年上のアルフレッド様に似合うような余裕のある淑女になり、好きになってもらうの。

 私は愛を叫びたい気持ちを押さえ込み、家庭教師が絶賛した微笑みを顔に貼り付けた。



「約束のお茶会だからと、ご無理なさってませんか? もしお疲れなら私のことは良いですから、お帰りになった方がよろしいかもしれませんわ」



 もっと一緒にいたい。月に一度の貴重な時間だから、たくさんアルフレッド様のお話をお聞きしたい。

 でも、私の我儘のせいで彼が体調を崩してしまってはいけない。とてもお忙しい中、このお茶会の時間を作ってくれているのを知っている。その時間が悪い思い出になって、嫌われたくないわ。



「フィオナ嬢が言うなら、そうしましょう。もしこれが風邪の引き始めで、あなたにうつしてしまったら、僕は後悔するでしょうしね。気遣ってくれてありがとう」




 アルフレッド様はどこか寂しそうに微笑んで見えるのは、私の自惚れかしら。彼が私との時間を惜しんでいてくれているのだとしたら、この上なく嬉しい。




「当たり前のことですわ。だって私はアルフレッド様の婚約者ですもの。しょ、将来の夫の体調を思うことは当然です」



 大胆にも言ってしまったわ。将来の夫と――

 これで気遣える将来の妻だと、少しは前より好きになってくれたかしら。大人の女性として意識してくれたかしら。



「僕の婚約者がフィオナ嬢で良かった」

「――っ」



 アルフレッド様はそれはそれは幸せそうに言った。やはり我慢して身を引くのが正解だったのね。



 でもどうしましょう。大人っぽく余裕を見せなければならないのに、私の頬には熱が集まってしまっている。

 好きになってもらうつもりが、私のほうがもっと好きになってしまったわ。はしたなく、想いのままアルフレッド様の胸に飛び込んでしまいたい。


 だ、駄目よ! まだ婚約の段階なのに、私ったらなんて破廉恥な欲を抱いてしまったのかしら。

 煩悩を振り払うように、頭の中で教本の一文を暗唱し、落ち着きを取り戻す。



「エントランスまでお見送りさせてください」



 その日は何とか理性を総動員させ冷静を装い、アルフレッド様とのお茶会を終わらせた。





 数日後、次の大人計画について考えていると侍女アリーが綺麗な箱を運んできた。箱は銀の刺繍が入った青いリボンで飾られている。



「マグレガー公爵家の使者が、先ほどフィオナお嬢様にと」



 テーブルに箱を置いてもらい、リボンを撫でる。銀の刺繍に青いリボンはアルフレッド様からの贈り物の印。毎回違う模様の刺繍なので、その模様を楽しむ。

 丁寧に解き、専用の保存箱にしまうようアリーに手渡した。明日の夜会で髪を結ぶときに使い、「私はアルフレッド様のもの」と周囲へのアピールに活用する。

 そう、私は彼だけのものよ。



 箱を開けるとまずメッセージカードが目に入った。カードにはアルフレッド様の文字でこう綴られていた。



『昨日はフィオナ嬢の気遣いのおかげで、すっかり喉の痛みはなくなりました。ティーセットは、貴重な時間だというのに早く帰ってしまったお詫びです。今度はこのティーセットであなたの淹れるお茶を飲みながら、ゆっくりと過ごせたらと思います――アルフレッド・M』



 私は手紙を読み終え、緩衝材の包として使われている絹の布を開いた。中には人気のガラス製のティーセットが入っていた。熱に弱いガラスを耐熱性にできる技術はできたばかりで生産が難しく、入手困難な物だった。



「まぁ、フィオナお嬢様がずっと前から欲しいと仰っていたものではございませんか? 国外からの輸入品だから、なかなか買えないと仰っていた」

「でも私はアルフレッド様にお伝えしたことないわ」

「さすがマグレガー様ですね。フィオナお嬢様が喜ぶものをご存知で、以前から用意していたのでしょう」

「えぇ、嬉しすぎて困るわ」



 本当に困る。アルフレッド様が私のことを考えてくれている。まるで夢を見ているような心地だわ。



「アリー、ティーセットを洗ってくれるかしら。アルフレッド様をおもてなしするときの為に、事前に一度使っておきたいの」

「かしこまりました」



 本当は使わずに大切にショーケースに飾っておきたい。アルフレッド様から貰ったプレゼントは私にとって全て宝物。

 けれど彼がこのティーセットでのお茶会を望んでいるから、楽しんでもらえるよう予めティーカップに合うお茶を調べる必要があった。




 翌日の夜、私は王家の夜会に出席することになっていた。お父様とお母様と共に登城し、ホールの前まで行くと、約束していたアルフレッド様が先に待っていた。

 早く屋敷を出ているつもりだけれど、毎回彼が先に待っている。「どうして?」と聞いたことはあったが、そのときも「早く会いたかったから」と言った。

 好きすぎて死ぬかと思ったわ。



「アルフレッド様、お待たせしました」

「フィオナ嬢、そんなことありません。今日もリボンを使ってくれているのですね」

「はい。もちろんです。それに素敵なティーセットもありがとうございます。ハーブティーにピッタリの品でしたわ」



 私はアルフレッド様にホールへとエスコートされながら、試した感想を伝えた。


 ハーブティーは紅茶と比べると色味が薄いものが多い。ハーブの種類にもよるが一般的な白磁のものを使うと、白色が集める光で色味が飛び、更に色味が薄くなってしまう。そうすると美味しそうに見えなくなってしまうこともあった。


 しかしガラス製を使うとハーブ本来の色が楽しめ、光に透けることでお湯の揺らめきが美しくソーサーに映ったのだった。

 そのことにとても感動し、私は興奮気味にアルフレッド様にお伝えしてしまった。



「こんなにも喜んでもらえるとは、僕も嬉しくなります。今度のお茶会が益々楽しみで仕方ありません」

「はい。待ち遠しくてたまりませんわ。美味しい茶葉を用意しておきますね」




 はしゃいでしまった私を「淑女らしくない」と咎めることなく、アルフレッド様は私の話を微笑みながら聞いてくれた。これが大人の余裕と大きな器の証なのね。未熟な自分が恥ずかしい。

 二人で一通り顔見知りに挨拶を済ませると、私とアルフレッド様は一旦別行動に移る。殿方は殿方の、淑女には淑女のビジネスの話をするのだ。



「フィオナ様、以前に商会をご紹介してくれたおかげで、領地の花がよく売れるようになったわ。あの素朴な花が注目されるようになったのはフィオナ様のおかげよ」

「それは良かったですわ。ノルマー夫人が熱心に花の魅力を教えてくださり、私も皆さんに知って欲しかっただけですわ」

「また相談させてね」

「えぇ、私で良ければ。ではまた」



 ノルマー伯爵家は奥様が領地の新たな特産物として花の栽培に力を入れていた。その花は白い小さな花でなかなか人気が出なかった。可愛らしいのにもったいないと感じていた。

 そこで王都で花の売上停滞に悩む商会を思い出し、その店を営む貴族の夫人に話を持っていった。すると白い花は赤いバラを引き立たせるのにぴったりで、そのブーケが大人気になった。その白い花は主役になれなくても、人気の花になったのだ。

 ちなみにバラは、マグレガー公爵家の領地の特産品でもある。



 こうやって得た情報を使い、人と人を繋ぎ信用を得て、遠回しにマグレガー家の利益を増やしていく。


 令嬢として当たり前の礼儀作法やダンスだけではなく、歴史や気候も学んで教養を養ってきた。

 そうして各領地の動きを把握し、特産品になりそうな物を見つけ、国の経済が良くなるよう気を配る。

 そんな苦労もアルフレッド様のためになると思えば、いくらでも頑張れる。城勤めで忙しい彼が公爵家でする仕事が少しでも楽になるように、支えていきたいから。

 アルフレッド様が自慢したくなるような公爵夫人になりたいから。


 だから陰で色々と言われても、私は傷つかない。



「ほら、蜂蜜姫がまた儲け話をしているわよ」

「まるで()の間を飛び交う蜂ね。刺したりもするのかしら」

「でも確かに彼女が集める蜜は魅力的ですけれど、花になって吸われるのだけは嫌だわ」



 蜂蜜姫の名前の由来は、瞳や髪の色が由来だけではない。私のそばにいれば金色の甘い汁――お金(蜂蜜)が集まるという噂が広がっているためだ。

 否定はしない。情報(花粉)を運んで、()を集めて、私はマグレガー家(愛の巣)に帰っていくのだから。

 でも陰口を囁く人たちは、蜂のお陰で花が味方(種子)を成すことを忘れているらしい。

 ご安心なさって。蜜のない、香りの悪い花には寄りませんから。あら、いつか蜂蜜姫ではなく、女王蜂と呼ばれるかもしれないわ。



「フィオナ嬢、大丈夫ですか?」



 果実水で喉を潤していると、殿方の雑談を終えたアルフレッド様が私の元に戻ってきてくれた。どうやら陰口を耳にし、心配してくれたらしい。

 優しさが心に染みる。


 好き。優しいあなたが大好き。



「問題ありませんわ」



 ニッコリと微笑みを向ければ、アルフレッド様も顔を緩ませてくれた。

 でもふと見ると、彼の目元には疲れが見えた。同じく城勤めのお父様や兄様から、最近アルフレッド様の部署がお忙しいと聞いていた。

 彼は宰相の補佐官として元から多くの仕事を任されている。今年は隣国から姫が我が国の王太子に嫁いでくることもあり、するべきことが増えたのだろう。

 きっとお疲れの中、私のエスコートをしてくださっているんだわ。



「アルフレッド様はこの後どなたかとお約束はございますか?」

「いえ、仕事の話はもう済みました。あとは自由に過ごすだけですが」



 アルフレッド様は青い瞳に期待を乗せて、私を見つめ返した。

 大丈夫です。あなたの婚約者フィオナは分かっております。



「本日は帰りましょう。社交シーズンは長いですから、ときに休みも必要ですわ」

「そう……ですね。ではマグレガーの馬車でメルティナ家の屋敷までお送りします」

「いいえ、ご迷惑をおかけできませんわ。気になさらないでくださいませ」



 アルフレッド様には休息が必要。彼が早く帰宅してできるだけ休めるよう、私は送ってほしい気持ちを我慢して答えた。



「そうですか」



 アルフレッド様は悲しげに微笑み、肩を落した。前回にはなかった罪悪感の針がチクリと胸を刺す。どうして気遣ったのに、前回とは違うのかしら。



「また来週お会いしましょう?」

「えぇ、フィオナ嬢。どうかお気をつけて」



 私は違和感を抱きながら、家族より一足先に屋敷へと帰った。



 次の夜会でもアルフレッド様のお顔には疲れが見えた。先週より疲れの色は濃い。前回と同様に早めの帰宅を提案し、解散した。

 その次の週も、また次の次の週もアルフレッド様のお顔には濃い疲れの色が見え、週を重ねるごとに目の下の隈が濃くなっていった。その度に私は夜会で早めの帰宅を提案するようになった。


 他に疲れを癒やしてあげる手段を思いつくことができないのがもどかしい。社交界では情報さえあれば、大抵のことは見通せるというのに。アルフレッド様のことになると、うまくいかない。



 このままではアルフレッド様は倒れてしまうわ。すでに貴族として必要な夜会の参加は最低限まで抑えてある。あと私にできることといったら――

 重く沈んだ気持ちに蓋をして、アルフレッド様に一通の手紙を出した。



 二日後、私は珍しくお父様に呼ばれた。久しぶりに執務室へ入るとお父様だけではなく、お母様、一番上のエドガー兄様と妻のルナ義姉様が待っており、王城の寄宿舎に住む二番目のルーク兄様まで揃っていた。

 ルーク兄様はめったに屋敷に帰ってこないので珍しい。



「お父様、何事でございますか? 皆様までお集めになるだなんて」

「フィオナ、最近アルフレッド殿を避けているようだが、何かされたのか? 婚約の継続が難しい案件か?」

「避けてません! アルフレッド様はいつだってお優しいですわ」



 身に覚えのない質問に、私は反射的に強く否定した。



「何故そのような……話を?」

「最近は別の馬車を呼んでアルフレッド殿と別れて私達より先に屋敷に戻っているようだし、先日はいつも楽しみにしていた茶会も取りやめたそうだな」

「はい。アルフレッド様はとてもお疲れのようですので、お休みいただこうかと。お茶会もあの方の負担になりたくなかったので、こちらからお断りをしました」

「なるほど。彼が嫌になったという事ではないんだな」

「当たり前ですわ! だって私はあの方を……」



 家族の前で恥ずかしくなり、最後のほうは言葉にならなかった。私が政略婚約以上にアルフレッド様を慕っていることは、家族は知っている。

 けれど改めて言葉にするのは難しい。

 するとお父様は、過去にも聞いたことのないほどの深いため息をついた。




「フィオナは、アルフレッド殿に会いたくはないのか?」

「もちろん会いたいですわ。もっとたくさんの時間を一緒に過ごしたいと――せ、切望しております」

「なら明日、アルフレッド殿の仕事場に行きなさい」

「いけませんわ。お仕事の邪魔をするなんて……私はアルフレッド様に似合う、我慢のできる余裕のある淑女でなければなりませんのに」



 まもなく成人。その半年後には公爵家へと嫁ぐ身だ。なのにアルフレッド様に愛されるような立派な淑女には程遠い。

 そんな未熟者が仕事を妨げるわけにはいかない。



「いいから行け。愛想を尽かされる前に」



 私が考えをあぐねいていると、エドガーお兄様から忠告をもらった。



「どういうことですの? 私はアルフレッド様のためを思って」

「これは俺が隣国に留学していた学園での話なんだがな……」



 エドガー兄様の口から語られた話は、なんとも物語のようだった。

 高位貴族の令息には同格の婚約者がいた。婚約者は淑女の鏡として地位を築いていた令嬢だった。


 しかし令息は婚約者がいても、天真爛漫な下位貴族の令嬢にうつつを抜かした。それから婚約者の令嬢は嫉妬のあまり悪事を重ね、罪を問われて婚約破棄を言い渡された後に修道院送りになったという。

 そして高位の令息と下位の令嬢はめでたく結ばれた――とエドガー兄様は渋みきった表情で語った。



「そんな……信じられませんわ。」

「だが事実だ。その令息は勘当されたが、それでも良いから完璧な態度や微笑みよりも、ありのままの笑顔と自然体を見せてくれた女性が良かったらしい。駆け落ちして、学園からも国からも消えたよ」



 もしアルフレッド様が他の令嬢と――想像しただけで体中の血が沸騰するかのように、熱くなり巡った。

 地位を捨てるくらい愛されるなんて……私以外の人が愛されるなんて許せない。胸の中には黒い蛇がとぐろを巻き、その牙を持って喉を食いちぎり、毒で蝕み、長い胴で締めて息の根を――――そこで思考が弾けた。



「――っ」



 私の中にあまりにも恐ろしい感情を持っていることに驚き、奥で感情が暴れている胸を両手で押さえた。その手は冷たく震えていた。


 なんて醜く、激しいのか。


 しかし、ここ一ヶ月ほどの私の態度は「私の素直なもの」では無かった。

 聡明なアルフレッド様はお見通しで、それで失望したのではと怖くなった。



「ど、どうしたら……っ」

「とにかく明日、アルフレッド殿の職場に行くんだ。父上が職場のある西棟の入館許可を既にとってくれている。入り口でルークに待機させるから、あとは指示に従え。良いな?」

「はい、エドガー兄様」

「あとは母上とルナの助言をよく聞くことだ。健闘を祈る!」



 そうして私は言われたとおりお母様とルナ義姉様から、先輩妻としての助言を受け翌日に備えた。

 当日、指定された時間に登城し西棟に行くと、約束通りルーク兄様が待っていてくれた。



「準備は万端か?」

「はい、ルーク兄様。この通り」



 私はお母様に渡されたバスケットを胸の高さまで上げた。

 ルーク兄様は大きく頷いた。



「よし、コッチだ」



 ルーク兄様はいくつも曲がり角がある廊下を慣れた足取りで進んでいく。部署は違うけれど、ルーク兄様も西棟でお勤め中なのだ。

 宰相が常駐する棟とあって、ピリッとした緊張感のある重い空気が漂っている。すれ違う人たちの多くが、私を見て期待の眼差しを送ってくる。



「ルーク兄様、皆様のご様子が……」

「いいかフィオナ、今日はフィオナに西棟の命運がかかっているんだ。今朝、宰相にフィオナの来訪をお伝えしたところ、アルフレッド様を二時間拘束する許可を得た」

「そんなにも大事なのですか?」

「それは入ればわかる」



 ルーク兄様は質問に答えることなく、重厚な扉をノックした。ここがアルフレッド様の職場らしい。



「ルーク・メルティナです! 宰相筆頭補佐官アルフレッド・マグレガー様にお客様をお連れしました。お目通り願います!」



 屋敷だとアルフレッド様とは気安い仲なのに、畏まったルーク兄様の言葉に私も背筋が伸びた。

 ゆっくりと扉が開くと、部屋にいる多くの文官の視線がこちらに向いた。

 その視線に逆らうように部屋の一番奥を見れば、机に広げられた書類に視線を落とすアルフレッド様の姿があった。


 顔を上げることなく、ペンをひたすら走らせている。見慣れた穏やかな表情はそこにはなかった。代わりに生気が感じられずどこか虚ろな青い瞳と、完全に「無」の状態のお顔。



「来客の予定は聞いていない。今は手が離せないため、後日にして欲しいと言っておいてくれないか」



 数拍おいた返事の声は低く、覇気が全く感じられなかった。いつも誰にだって丁寧だった口調も崩れ、様子がおかしい。明らかに衰弱していた。

 皆が私に期待の視線を寄せている理由を察した。



「アルフレッド様」

「――え?」



 私が声をかけたことでようやくアルフレッド様は顔をあげた。視線がようやく合ったと思ったら、彼はすぐに指で眉間を揉み始めた。



「幻覚が……せっかく思い出さないようにしているというのに……くっ」



 もう思い出したくないほどに、疎まれてしまったのかしら。可愛いとすら思ってくれないのかしら。心の奥底が冷たくなっていく。



「しっかりしろ。お前は可愛い」



 ルーク兄様が私の不安は見通したとばかりに背中を軽く叩き、喝を入れてくれた。

 そうね。何も話さずに諦めるのは早すぎるわ。信頼する家族が来訪を勧めてくれたということは、まだ間に合うはず。

 私はアルフレッド様に駆け寄り、空いている彼の手を握った。



「フィオナでございます。ほら、幻などではありませんわ。私はここにおります」

「フィー? 僕のフィオナなのかい?」

「はい。アルフレッド様の婚約者フィオナですわ」



 アルフレッド様は瞠目し、虚ろだった青い瞳に輝きが戻った。彼は立ち上がり、ふらりとした足取りでそばにきた。そして一度ほどかれた私の手を握り直し、親指で撫で存在を確認した。



「あぁ、本物だ。しかし、どうして職場(ここ)にいるんだい?」



 近くで見ると分かる彼のやつれ具合に胸が痛む。



「アルフレッド様に会いたくて……あなた様の体調が優れないことがとても心配で……不躾を承知でお顔を見に」 

「僕を避けていたのでは?」



 お父様が懸念されていた通り、アルフレッド様は誤解なさっていたのね。私ったらなんて申し訳ないことを。気遣いができると得意げになって、逆に彼を傷つけていただなんて。

 情けなさのあまり、私の頬には涙が伝った。




「この私がアルフレッド様を避けるだなんて、できるはずがありませんわ。こんなにもお慕いしている方を避けるだなんて……っ」




 人前で涙を流すなんて、高位貴族の令嬢として、淑女としても失格だわ。お願い、嫌いにならないで。そう願ってアルフレッド様を見上げた。



「――誰も見るな!」



 アルフレッド様は強めの口調で周囲にそう言うやいなや、私の体が宙に浮いた。

 レディ憧れのお姫様抱っこというものだわ。ドレスの重さも含めたら軽くはないはずなのに、細身の彼はしっかりと私を抱きかかえた。



「アルフレッド様!?」

「しっかり掴まって」



 私は驚きすぎて抵抗もできず、言われるがままにアルフレッド様の首に手を回した。

 彼の腕の中に収まるのも、香水が強くわかるほど顔を近づけたことも初めてで、私の心臓は痛いほど強く鼓動している。



 文官はすぐに壁際へと動き、アルフレッド様の行く手を阻まないよう道を開けた。

 アルフレッド様は仕事部屋を出ると廊下を挟んで、正面向かい側の部屋へと入った。ソファやローテーブルが置いてあり、応接室のようだ。

 彼はソファに座り、私を膝に乗せて抱きしめた。意図せず二人きりになり、結婚間近のため問題はないし、誰も見てはいないけれど――



「アルフレッド様、恥ずかしいですわ」

「質問があります。なぜ慕っているというのに僕を遠ざけていたのですか」

「だって……アルフレッド様に元気でいて欲しいから。とてもお疲れの様子なのに、一緒にいたいという私の我儘でご負担をおかけしたくなかったから」

「だから早く夜会から帰ったり、茶会を中止したりしたんですね」



 私はコクリと頷いた。



「でもどうして急に」

「成人を目前にして焦ってしまったのです。アルフレッド様に愛して欲しいと、年上のあなた様に似合う淑女になりたいと……余裕のある大人に見えるよう痩我慢をしていたのです。政略であると分かっていながら、卑しくもアルフレッド様のお心が欲しいと願ってしまったのですわ」

「…………」



 ついに言ってしまったわ。アルフレッド様はなぜか無言になってしまい、沈黙がとても息苦しい。

 いえ、この息苦しさは精神的なものでは無いわ。アルフレッド様の腕に力が込められ、私の体を締め上げているわ!

 死んじゃう。幸せで死んでしまうのはやぶさかではないけれど、このような形ではないわ。



「あ…っ、アル、フレッド……さまぁっ」



 苦しさのあまり名前を呼ぶ声が途切れしまう。

 必死に声を出したというのに、アルフレッド様の腕の力は緩まるどころか、益々強くなってしまった。ど、どうして? 目眩がしてきてもう抵抗できないわ。勝手に体の力が抜けていく。



「すまない! 思わず」

「はぁ……はぁ……正気にお戻りになったのですね」



 アルフレッド様はとても申し訳なさそうなお顔で、腕を解いてくれた。



「情けない僕の姿に幻滅しただろう」

「情けないとは?」

「フィオナ嬢と過ごす時間が少な過ぎて、寂しくてどうにかなりそうで、仕事で紛らわし、心配をかけてしまう僕のことですよ」

「そんなに寂しく思ってくださったのですか?」



 彼は静かに頷いた。

 何ということでしょう。悪因は私だというのに、嬉しいと思ってしまうだなんて。悪女になってしまったわ。



「幻滅などしませんわ。寂しく思ってくれていたなんて想像もしてなくて、驚いてしまいましたが」

「なんで驚くの? 僕はこんなにもフィオナ嬢の魅力に惹かれ、愛しいと思っているというのに。僕の愛が伝わっていなかったのは残念です」

「アルフレッド様が私をあ、愛……!? 子供や妹のような存在ではなくて?」

「初めは妹のような家族愛だったことは否定しません。ですが、ただでさえ可愛らしく思っていたあなたに純粋な愛を向けられれば、どう抵抗ができましょうか」



 アルフレッド様の手が私の頬に添えられた。



「僕の後ろにある富や権力に目もくれず、僕自身を求めて愛を与えてくれるのはフィオナ嬢だけです。小さな妖精だと思っていたら、いつの間にか美しい女神になってしまって……僕をどれだけ悩ませているか知っていますか?」

「――っ、いいえ」

「甘い蜜を横取りされないよう、本当は片時も離さず僕のそばに置いておきたいくらいなんですよ」



 青い瞳に私の顔が映り込んでいる。私の顔は瞳越しでもわかるほど赤く熟れていた。



「愛しています。僕だけの蜂蜜姫」



 互いにゆっくりと瞳を閉じると、アルフレッド様の唇が私の唇に重ねられた。香水ではない彼の香り、温もり、そして愛が伝わってくる。

 触れ合っている一点から幸せな気持ちが溢れ出し、全身を甘く痺れさせていった。



 これが愛し合っているということなのね。



 甘い時間に身を任せていると、ゆっくりと顔が離れていく。幸せまで離れていってしまいそうで、名残惜しくなった私はアルフレッド様の唇を追いかけ、一度だけ(ついば)んだ。

 唇は離れても額を寄せたまま、アルフレッド様は私の口元を親指でなぞった。



「あなたは、なんて甘いんだ」



 蜜に溺れたように幸福感に絡められ、アルフレッド様に甘さを感じているのは私のほう。でもこれ以上は抜け出せなくなりそうで怖いわ。

 私はそっとアルフレッド様の胸を押した。彼も受け入れ、私をソファにおろしてくれた。



「僕は婚約者がフィオナ嬢で幸せです」

「私もです。もう寂しくはありませんか?」

「えぇ。僕はあなたに飽きられ、避けられたわけではないと知り、心底ほっとしました。心配をかけましたね」

「いいえ、私こそお気持ちを図れずに申し訳ありませんでしたわ」



 今になって先程の口付けを意識してしまい、アルフレッド様のお顔が見れない。

 でも穏やかな口調に柔らかな声色から、いつもの彼が戻ってきたことが分かった。



「フィオナ嬢は未来の公爵夫人。皆の前では凛と気高い姿を見せなければならない立場だということは理解しています。ですが、どうか――僕の前だけは可愛らしいそのままのフィオナ嬢でいてください」



 すぐに「はい」と答えたいところだけれど、私は一拍置いてから口を開いた。



「条件が二つございます」

「――、聞きましょう」

「ひとつは、敬語ではなく素のままの口調でお話してください。大切にされているのは理解していますが、時折距離を感じてしまうのです」

「分かったよ。敬語はやめよう」



 嬉しい。エドガー兄様やルーク兄様とのやり取りを聞いて、「どうして私だけ敬語なの?」と思っていたのよね。

 きっとアルフレッド様は私に対して「紳士」でいるために敬語を使ってたのだけれど、それが少し寂しかった。



「あとひとつは?」

「私の名を愛称で呼んでくださいませ」

「それは、蜂蜜姫?」

「違います。先ほど仕事場で私のことを“フィー”と」



 アルフレッド様は「しまった」というバツの悪そうなお顔をした。あのときは彼のやつれ具合に気を取られていたが、まだ私の耳には響きが甘く残っていた。

 こんな素敵なことを内緒にしていただなんて、許せませんわ。



「お願いです。アル様」

「――っ」



 ルナ義姉様の助言どおり、勝手ながらアルフレッド様の愛称を呼んだ。怒られるどころか彼は恥ずかしそうに、けれども嬉しそうに顔を緩ませた。



「フィー、君は自分の可愛さを自覚したほうが良い」

「ふふふ、私はアル様と呼んでも?」

「もちろんだ」



 ルナ義姉様ありがとうございます! アルフレッド様が可愛く照れていらっしゃいます。普段は落ち着かれてる年上の殿方の照れ顔――これがギャップ萌というものなのね。



 もっと見ていたい気持ちも山々だけれど、アルフレッド様の顔色は良いとは言えない。私はバスケットのフタを開け、薄めのクッションを膝の上に乗せた。このクッションには私がいつも使っているポプリの香りを移してある。



「さぁアル様、どうぞ横になってくださいませ。私のお膝を使ってくださると嬉しいですわ」

「しかし」



 アルフレッド様は壁にかけられた時計をチラリと見た。



「宰相よりお時間を頂いておりますわ。安心してお休み下さい。アル様が倒れられたら、西棟の業務が滞りますわ」

「僕は宰相にまで心配をかけてしまっていたんだね。素直に少しだけ寝かせてもらおうかな。でもフィー、そのクッションいる?」

「もちろんです。お母様によると膝にそのまま寝るより、クッションがある方が雑念に苛まれず、睡眠だけに集中しやすくなるのだとか」

「……さすがメルティナ夫人」



 どこかアルフレッド様の疲労度が増したように見えるけれど、寝れば回復するでしょう。

 私がクッションをポンポンと叩いて催促すると、アルフレッド様はコロンとソファに寝そべり、頭を私の膝の上に預けた。



「フィーの香りがするね。とても落ち着く」



 疲れが溜まっているのでしょう。アルフレッド様の瞳はすぐに眠たそうにとろんとさせた。

 ずっしりと頭の重みを感じるが、その重みが愛おしい。サラリと銀糸の髪が流れ、顔にかかっている。私は恐る恐る彼の銀糸の髪をそっと撫で、整えた。



「フィー、寝るまで撫でてくれる?」

「はい、アル様」



 これは膝をお貸ししたご褒美かしら? 私は喜んで撫でる。

 短い時間だけれど良い夢が見れますようにと、そっと優しく手を滑らせていく。すると、すぐ静かで規則正しい寝息が聞こえてきた。



「おやすみなさいませ、アル様」



 初めて見るアルフレッド様の寝顔はとても無防備で、守ってあげたくなるような気持ちが湧いてくる。信頼してくれているという事実が、この上なく嬉しい。

 結婚すれば、この寝顔が毎日見られる。その日が待ち遠しくて仕方ない。

 でも一番好きなのは、やはり彼の優しい微笑みで――



「愛しております、アル様。早く元気になってくださいね」



 私は内緒で彼のこめかみに、願いを込めてキスを落とした。





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