N7154GI
ミンミンと蝉の声。
高架下の影でできた道を軽いステップを刻んで進む。
燃え滾る熱気。日照りの下には人の姿が全く見えない。通り過ぎる車と熱気で揺らぐ蜃気楼が風景を彩っていた。
無人駅では蝉の歌声による音楽が流れている。
午前九時四十五分。
その時刻で到着し出発する普通電車は四両編成だ。私は一番後ろの四両目に乗り込む。通勤、通学時間でもなく、特急や準急でもない。九時の普通電車は穏やかな空間に満ちている。
通院のため毎週金曜日はいつもこの時間に電車に乗る。最初は面倒で気が重かった通院が、今では嬉しみに変わり足腰が軽くなっている。なぜなら、この時間の四両目に乗るとそこには私のかけがえない親友がいるからだ。
由紀:おはよー。結衣ちゃん
優しく手を振って私を呼ぶ。挨拶を返して私達はいつものルーティンに入る。他愛ない雑談を繰り返す。相変わらずくだらない日常。私にとって大切な時間だった。
いつもの雑談の中。最近では必ずと言う程ある事故の話をする。それは一ヶ月前に起きた事故。
由紀:ねぇ、六月の電車の事故憶えているよね
結衣:また、その話なの。飽きないの
由紀:飽きないから話しているの
彼女はその事故に囚われている。
停泊した電車。向こう岸のレーンでは物凄い速さで特急電車が駆け抜けた。その際にできた風がここまでやってきた。
由紀:あれはちょうど一ヶ月前の出来事。朝のピークを過ぎて落ち着いてきた頃に、その電車の最後尾は脱線して転落した。死者は十名。負傷者は三十五名。そして、その電車が事故した時刻は……
扉が閉じる。
密閉されたその空間に紫色と黒色の混じった不穏な空気が流れ込んだ。
結衣:《十時三十五分》だったんでしょ。何回聞いたと思ってんのよ
由紀:そう、十時三十五分
駅員の声が電車の中を駆け巡る。病院前。その駅に着くアナウンスだ。私は病院に通うためにここで降りる。
スマホを取り出して時間を見る。十時十分を示していた。
エナメルバッグを肩にかけ直す。
結衣:ごめん。もうそろそろ降りなきゃ
由紀:お願い。お願いだから一緒にいて欲しい。今日こそは最後まで話をしたいの
そうだ。いつもその話はこの駅のせいで途切れる。最後まで聞いたことがなかった。しかし、私は病院に行かなければならない。しかし、由紀の切実な願いを断るのも辛い。その二つに挟まれて苛まれた。
由紀:運賃は払うから。今日こそは一緒に
結衣:そこまで言うのなら。分かったよ
由紀:ありがとう
病院前の駅を通り過ぎる。私は病院よりも親友の方を取ってしまったのだ。
電車に揺れに私は身を委ねる。
由紀:それでね。その十時三十五分に、ふと人がいなくなるの。なぜだと思う
結衣:えっ、何それ
由紀:その事故で亡くなった人達は成仏できなかった。成仏するためには生身の人間を生贄にしないといけなかった。その事故の翌日から。午前十時三十五分に、電車にいた人々が消えていった……
外の景色が一瞬深夜となった。
さっきまで朝日の登る戌の世界だったのに、いつの間にか月夜の丑の刻に変わっている気がする。その変化と由紀の言葉が重なって、私の心臓は震え出した。
由紀:っていう怪談話。最後まで聞いてくれてありがとう
真夜中は幻覚だった。射し込む日差しが私達を照らす。
ゾッとしたのはそれが怪談話のオチだったからだろう。
降りようとしてから約二十分が経っていた。
結衣:初めて最後まで話を聞けたけど、怖くて面白かったよ
由紀:ありがとう。もうそろそろ落りる時間。今日でお別れだね。今までも、今日もありがとうね
結衣:どういうこと
スマホの電源をつけた。今の時刻は十時三十四分を示していた。四の数字が次の文字へと変わる。
十時三十五分────
景色が真夜中に戻った。電車の中は不穏な空気につつまれている。その空気の中、息を吸うのが苦しい。
由紀:私の成仏のために死んでくれてありがとう
すぐに楽になった。
エナメルが落ちるとともに由紀はいなくなっていた。
窓ガラスに映っていた私の姿。今はなぜか映らなくなっていた。
◆
透子:どう。ネットにあったやつだけど
麗:まあ、それが真夜中での怪談だったらいいんだけど、さすがに今じゃねぇ
明るい太陽が登っている。
透子と麗、ホタルの三人は駄べりながら高架下の影を歩く。この女子高生三人は今日この日、学校を休んで遊びに行こうと電車に乗ろうとしていた。
ホタル:ちょっと、電車来ちゃったよ
電車の音がする。時刻を見ると、電車に乗る時間だ。しかし、未だに駅へとはたどり着いていない。急いで駆けるも無情にもその電車は行ってしまった。
ホタル:最悪。特急が行っちゃったよ。もう
麗:次の電車は九時四十五分の電車だって
ホタル:じゃあ、ここに居ても暑いだけだしさ。乗っちゃおう
透子:そうだね
七月の熱気は洒落にならない。涼しい場所を求め、三人は電車に乗った。
電車に揺られて何分か経った。
三人に向かって声が掛けられる。振り向くと、そこには女の子が立っていた。
結衣:何か珍しいね。学校とかあるんじゃないの
話しかけてきた女の子。いつの間にか三人は意気投合して喋り倒していた。
それから何分か経った。癖を利用してホタルは左腕につけた腕時計で時間を見る。
時計は十時三十五分を示していた────