3. 未熟な術者
クラウドの声と、キュルキュルと魔素が集まる音。本来ならば小さな魔素の音がはっきりときこえた。
「扉を、開けるように……」
迫りくる合成獣の鉤爪よりも何よりも、魔法が使えないクラウドの、未知の魔法が恐ろしかった。
「《黄魔法展開》」
ぶわり、とクラウドの魔力が解放されたのがわかった。目の前の《盾》が軋むのも、合成獣の鉤爪せいだけではないだろう。
「《稲妻》」
まって、それはまずい。
「《青魔法》《防御魔法》《王の盾》!」
クラウドが馬鹿みたいな出力で魔法を展開するのと、僕が最大の出力で作り出した盾の魔法を展開するのはほぼ同時だった。荒れ狂う雷が、白い光を纏って合成獣と僕らを襲う。魔力を注ぎ続けてもなお壊れそうなほど甲高い音を立てる《王の盾》。凄まじい悲鳴を上げて暴れ狂う合成獣。盾の外では呆然と結果を眺めているクラウドと、合成獣を何度も焼き尽くす稲妻が見えた。ルルドも僕に魔力を渡してくれているのが背中の掌越しに伝わる。魔力を放出している指先がビリビリと響く。僕の周りの魔素がクラウドに吸い込まれるように寄って行くのも怖い。合成獣がぴくりとも動かなくなり、再生しなくなってもクラウドの魔法は静かになることを知らない。
「“扉”を閉めろ!魔法を解除しろ!」
荒い口調でクラウドに命令を出す。このままでは盾も壊れて僕らも危ないし、術者であるクラウドも巻き込まれる。ヒビの入った《王の盾》を見て恐ろしくなる。集中力を切らしたら僕もルルドもあの合成獣と同じように黒焦げだ。
眩い光の稲妻が僕らの方からクラウドの方へ向かっていく。言葉を失い、驚き立ちすくむ彼は冷静に魔法の解除は出来ない。
「クラウド!今すぐ魔法を解くんだ!危ない!」
「え、あ、っ!?ど、やって……!?」
出力の仕方は分かっても停止の仕方は分からないのだろう。クラウドはパニックに陥り、恐怖からか目を瞑ったのがわかった。ルルドも身体に力が入り、知り合いが死ぬのを見たくないと言わんばかりに顔を伏せた。
「《――魔法》《強制解除》」
ありったけの魔力を使って魔法に干渉する魔法をかける。クラウドに牙を剥こうとした稲妻が散り散りになりガラスの割れるような音を建てて消える。
目の前の恐怖が消え去り、クラウドはその場にへたり込んだのが見えた。
心臓がバクバクとうるさい。どっと汗が噴き出し、石煉瓦の床が飲み込んでいく。目の前がぐるぐると動き回り、吐き気がする。座ってすら居られずに崩れ落ちるようにうずくまる。
「ロイド!?大丈夫!?」
「っは、っは、っは、だ、じょば、なぃ……」
魔力切れだった。心臓を抑えて息切れを起こすとルルドが簡易的な治癒魔法をかけてくれる。魔力切れも体力もそれでは治らないのだが、気分的に少し良くなった気がする。彼の魔力も枯渇状態なのにありがたい。ルルドの顔色は青く、唇も紫色だった。おそらく自分もそうなのだろう。
「大丈夫か!?」
バタバタと三人の先生がくる。グラディアス先生なんてパジャマだった。魔力切れを起こしている僕やルルドを見てコートをかけてくれる。異常な寒気が治らない。時刻を聞くと、どうやら最速で駆けつけてくれたらしい。緊急信号を発してから十分ほどしか経っていなかった。これほど長い十分は後にも先にもないと願いたい。
「一体何があったんだ?君たちは二層のプランのはずだが……」
「実は…」
ルルドの説明を聞いた先生が辺りを見渡すと、酷くボロボロの魔法で焦げた天井や壁、大量の血溜まりと黒く焼け焦げた合成獣があった。先生が合成獣を見て息を飲む。
「呪印付きの合成獣だ……」
「じゅいん、つき……?」
それは一体何なのだろうと声を上げるとグラディアス先生が優しく教えてくれる。
「呪詛を受けて死んだ生き物を呪印付きと呼ぶんだ。禁じられた魔法だよ。呪印付きは禍々しい魔素を纏い、意志のない殺戮兵器と化す。体に黒い模様が浮かび上がっているのが証拠だ。……稀にあるんだ、呪印付きの動物が生き物を襲うことは」
合成獣も、呪印付きも、どちらも禁じられた魔法だと言う。呪印を無作為につける魔法具の遺物や、呪詛をバラまく遺物が、世界中に散らばっているらしい。教会も撤去しようと探しているようだが探索妨害の魔法がかかっており、なかなか見つからないのだそうだ。
「一体どこから迷い込んだんだ……?古城はきちんと調べているし、夏も問題は無かったはずなのに……」
ブツブツと考察をする先生を横目に、立ち上がる。魔力切れも大分落ち着いたから。フラフラしながらクラウドに近寄る。この三人の中では一番顔色が良い。それはそうだ。何もできなかったんだから。
「アーチャー……」
ぱぁん、と乾いた音が響く。ギョッとしたように先生やルルドが僕らを見たのがわかった。じんじんと痛む自分の右手も、呆然と僕を見るクラウドの目も苛立ちを募らせる。
「魔法を、使うなって言ったよね。それとも、僕たち諸共殺すつもりだった?未熟な術者は自分だけじゃなく周りも殺すんだよ!!」
あの酷い稲妻も合成獣を焼き尽くした後は術者であるクラウドに牙を剥いた。制御の出来ない魔法は凶器でしか無いのだ。僕が魔法に干渉することができる魔法が使えたから良かったものの、あのままだとクラウドは死んでいた。
「魔法が本当に使えないなら使うな!この身の程知らず!」
「……っ」
ギッとクラウドを睨み付けるとルルドに支えられる。「ロイド、今日は休んだ方がいいよ。帰ろう」と。冷静になれないのはまずいよ、頭を冷やして。と言外に言われた気がした。
「クラウド、ごめん。俺もロイドに同意かな……。次の魔法実技授業まで魔法は使わないでほしい」
困ったような声色で、眉をハの字にしてお願いな、と言うルルド。ちらりと見たクラウドは俯き、表情は見えなかった。
◆
「ヴィンセントくん、何があったかは詳しくはわからないけど……気にしすぎないようにね?」
ロイドくん、ちょっと歯に衣着せずにいうから……と困ったように笑う先生。
「俺、は……」
アーチャーの言うことは事実だった。魔法の制御のできない自分は、二人を殺し掛け、ヴィンセントの身も危険に晒した。俯いたまま、拳を強く握りしめる。
「……強く、なりたい」
その呟きは先生に拾われ、「強くなりたいって意志が有れば十分だよ」と優しい声色で言われた。目蓋を閉じて浮かぶのは、自分が腰を抜かして立てなかった時、勇敢に魔法を使いこなして戦う二人の姿。
稲妻を暴走させ、死を覚悟した時、アーチャーの使った魔法。“何か”に身体中を弄られる様な嫌な感覚。“何か”によって無理矢理魔力の扉を閉められた息苦しい感覚。その“何か”によって稲妻はヴィンセントに当たる前に空気中に霧散したのだが。
「先生、……あの、魔法に……魔法使いに干渉する魔法って、ありますか?」
何を言われると思ったのか、ポカンとした顔をした先生は魔力色の説明をしてくれる。
「明日の授業でもやるけど、魔法色には得意なものがあってねぇ。
“赤”は攻撃、“青”は防御。“橙”が物質効果向上で“黄”が身体能力向上。“紫”が解呪で“緑”が治癒」
「白と黒は?」
二人の説明では白しか聞けなかった。アーチャーが打ち切ったようにも思えたあの会話。
「その、“白”と“黒”が唯一、他の魔法に干渉出来る色だよ」
“白”は祝福で“黒”が呪詛。“白”は閉じた回路を解放させるのを得意とし、“黒”は開いた回路を閉鎖させるのを得意とする。
黙って考えているのを、さっきの呪印付きの話を思い出しているのでは無いかと気遣いを回した先生はなんでも無いように付け加える。「まぁ、“黒”の魔法使いで呪詛系の魔法を使いたがる人は少ないよ。自分の寿命を縮めるからねぇ」と。だから大丈夫だよぉ。と明るい声で言われた。
先生の言葉を少し聞き流しながら、扉を無理矢理閉められたような、あの感覚を思い出していた。