24. 東町の異変
沈黙が落ちる。僕も、トーイも、誰も彼もみんな無言だった。約束の見晴し台に登ることもせず、ただただ無言で立っていた。
「……部長、は……もしかして心配でついてきちゃったんですか?」
トーイが普段通りに笑おうとして、下手くそな笑みを浮かべる。先輩は「はじめてのおつかい、だったから」と気遣うような声色だ。トーイと僕の目線は合わない。
「あの、もう、寒いので……今日はお開きにしませんか?」
「そうだね」
カティアさんがそっと僕を伺う。相当ひどい顔をしているのだろうか。未だに胃が掻き混ぜられたように気持ちが悪い。魔力切れに近い感覚だが、僕は魔法を使っていない。
「ロイドくん、ゆっくり息を吸って……吐いて」
「え?」
「魔力暴走を起こしかけてる……気がするの」
僕が?確かに、魔力の扱いが上手く出来ない子供は魔力暴走を起こす。僕も幼い頃は頻繁に起こしていた。それを、この年で?相当感情が高揚していたのか。
カティアさんに背中を撫でられながら、息を吸う。確かに、魔力暴走を起こすのはまずいだろう。
刹那。ふわり、風が僕らの頬を撫でた。
「ロイドッ!」
「!?《青、ッ」
後ろから黄色い閃光が走り抜ける。気付いた時には光は目の前に有り、魔法の展開が間に合わない。カティアさんだけでも守ろうと咄嗟に抱きしめる。衝撃も痛みもなく、バキンッ、と硬い音が響いた。
目を開けても暗闇で、“黒”の魔法が自動で発動したことがわかった。そうだ。今の時間は夕暮れ時で、“黒”が強くなってくる時間だ。自動魔法に救われたな……。
“黒”はふわりと僕の周りを漂うと、パッと黒い靄になって《黒の盾》を解こうとした。
「え?」
僕の“黒”の魔法が地面に吸われていく。石が黒く染まり、魔法陣が浮かび上がる。
「ッ!《黒魔法》《強制解除》!」
《強制解除》を行ったにも関わらず、どんどん魔法は吸い込まれていく。魔法だけじゃない、僕も……!僕自身の魔力も吸っている!
魔法陣から少しでも遠ざかろうと後ずさるとカティアさんに腕を引かれ、《紫魔法》《供給切断》と魔法が展開される。彼女の魔法で外界からシャットアウトされ、“僕”という魔力供給が途絶えたに関わらず、魔法陣は完成していく。この、術式は花畑や祠の呪印に酷く似ていた。
「嵌められたッ!」
すぐに気が付いた。あの呪印は完成間近で、残る鍵は“黒”の魔法だけだった。僕が“黒”だと知っている誰かが、僕に攻撃を仕掛けて強制的に“黒”の魔法を使わせた。“黒”が夜は自動で発動することを知っていたんだ!
「ロイド、逃げるぞ!」
「ロイドくんっ!大丈夫かい!」
トーイに支えられ、走る。真後ろでカッと呪印が光るのがわかる。
「《黒魔法》《魔法遮断》!」
「《紫魔法》《魔法障壁》!」
僕とカティアさんが魔法を展開したのと呪印が発動したのは同時だった。ビリビリと指先が痺れて“黒”の障壁が揺れる。隣でカティアさんも障壁を貼り続けてくれる。どちらか片方でも破られたら諸共呪印に呑まれる!気を抜けない状況でトーイとハーディ先輩が魔力をくれたから何とか耐えられたけれど、1人だったらきっと僕も呪印に呑まれていた。
辺りが静かになったので障壁を解く。バクバクと心臓がうるさくて冷や汗が流れる。魔力切れだ。“黒”の魔法は反動が大きいとはいえ、全ての魔力を一つの魔法に注ぎ込むなんて!
「ロイドくん!大丈夫!?」
「は、はぁ、ぅ、……反動、が」
カティアさんが背中を撫でて、少し魔力を送ってくれる。普段他の生き物にもしてもらっていることなのに、随分と楽になる。彼女の魔力は僕と相性が良いらしい。
「な、」
「嘘だ……」
ハーディ先輩とトーイが呆然とつぶやく。チカチカと点滅し、歪んだ視界で顔を上げれば、東の町が石化しているのが見えた。
ひゅ、と息を呑む。草木も、生き物も、東の町が石化していた。もし、僕が魔法遮断の障壁を張れなかったら、僕らも石化していただろうか。
——違う。もし僕が“黒”の魔法を使わなければ呪印は完成しなかった。
ふら、と立ち上がって進む。世間話をしていたそのままに石化した獣人族のおばちゃん。美味しいイカの丸焼きを売ってくれた妖精族のおじさん。腕を上げたら買って欲しいと話していた、同郷のルヴィとルート。
みんな、石になって動かない。
「僕が、“黒”を……使った、から」
僕が、呪印を発動させてしまった。
「僕の、せいだ」
ぐるん、と視界が暗転する。
「ロイド!」「ロイドくん!」と後ろで声がする。
僕のせいだ。僕のせいで、東の町が。
◆
目が覚めた時、そこには先生達が眠った僕を囲むように座っていた。
「ロイドくん」
ぼぅっと天井を見つめて、あれは夢だったのかと思う。悪い、夢だ。そうだったらいいのに。
「東の……石化の件なんだけど」
夢じゃ、ない。胃から何かが込み上げて吐きそうだ。うぇ、とえずけば先生がボウルを差し出して背中をさすってくれる。げぇげぇと胃の中のものを吐き出せば幾分か楽になった。
「せん、せ……ひがしのまちは……本当に、石化、したんですか」
先生は顔を見合わせて、頷く。
「呪印が、発動してね。それで、ロイドくんにも、話を……」
「僕の、せいです」
じわじわと涙が滲み出る。あの惨状は、石化は、僕のせいだ。
「僕が、“黒”を、使ったから呪印が発動したんです」
黄色い閃光。黒の魔法。完成していく呪印。全てが記憶に新しい。ぐしゃりと前髪を握る。笑顔で話していた同郷の二人が石になって動かない光景が、頭にこびりついて離れない。木も、草も、生き物も全てが石になっていたのを鮮明に覚えている。
「ロイドくん。自分を責めるんじゃない。あれは君のせいじゃない。元はと言えば呪印を刻んだ生き物が悪いんだ。君は悪くない。君は攻撃されて、自動発動の“黒”の特性を利用されたんだろう?」
「でもっ……!」
グラディアス先生に肩をつかまれる。先生の目に映る僕は顔面蒼白で、酷い顔をしていた。
「……確かに、ロイドくんにも落ち度はあった」
「ハーバリー先生!」
グラディアス先生が咎めるようにハーバリー先生の名前を呼ぶ。
「ロイドくん、君が“黒”を隠していたのは賢い選択だった。だが、噴水の前でヴィンセントくんの魔力制御の練習に付き合っていた時、“青”や“紫”の魔法石を作ると同時に…………“黒”の魔法石も作っていただろう」
何の話なのか、理解するのに少しだけ時間を要した。確かに僕は魔法石を作ってはそのまま捨てていた。
「……あの質のいい魔法石を見て、“紫”と“青”そして“黒”の魔法石を作った生物は同一生物だと察することは、できる」
ハーバリー先生がポケットから取り出したのは僕の作った魔法石。“青”と“紫”、最後に取り出したのは“黒”。
トーイも言っていた。「隠しているなら“黒”の魔法石は回収した方がいいぜ」と。
犯人は僕が“黒”を使えると知っていた。それはきっと僕が捨てていた魔法石から推測されたとハーバリー先生は言う。
「君たちが魔法の練習をしていた噴水前は、生物通りが少ないとはいえ、ゼロではないし、毎日の事だったなら……目撃者は居ただろう」
この学園でも“黒”や“白”を隠している生徒はいる。僕やクラウドがそうだ。そして禁じられた魔法には殆ど全て、最後の仕上げに“黒”や“白”の魔法が使われる。この学園を賑わせている事件もそうだ。
「今回の件で、ほぼ全ての生徒が君が“黒”の使い手であることがわかった。だから君には……しばらく、監視をつけさせてもらう」
「そう、ですね」
「……犯人はあの現場に居たことはわかってるんだ。だから、また呪印を発動させるために君の魔力を使う可能性は高い」
あの場にいたのは僕とトーイ、カティアさんとハーディ先輩。使われていた呪印は恐らく、あの呪われた手帳に書かれていたもの。魔法色はカティアさんは紫と赤、ハーディ先輩は赤と橙、トーイは黄だ。
あそこは木や茂みが多い。誰かが隠れていて、僕を襲った。そうに決まっている。絶対にそう。そうじゃないとダメだ。
「バーバリー先生。前に……呪いの手帳を渡しましたよね。あの中に……石化の魔法はありましたか?」
バーバリー先生の眉間に皺がよる。その顔には合った、とありありと書かれていた。合成獣や魔導植物の造り方もあの呪いの手帳に書かれていたのを思い出す。
あんな呪いの塊、読める生き物はそんなに居ない。製作者か、序列の高い生き物、あとは製作者より余程魔法に優れている生き物だけだ。先生達ならまだしも、生徒で読める生き物はあまりいないだろう。
製作者は精霊族の少女だったというから、読めるのは精霊族以上の高序列。竜族か精霊族の二種族に絞られる。
思い出せ。全ての事件に残っていた魔力の残痕は、全て“黄”の魔力だった。
ああ、頭が痛い。くらくらする。絶対に違う。そんなことはありえない。嫌な予感から目を逸らす。何も考えたくない。
そんなことより、石化の呪印。あれを解呪しないと。一瞬見えた術式を思い出せ。僕が、責任を持って解呪する。解呪、しないと。
「すごい熱だ!ロイドくん、安静にして!」
「兎に角寝よう。今は何も考えないように!《緑》《睡魔》」
頭が、いたい。
気絶するように、僕は意識を手放した。
◆
高熱の影響か、事件のショックか、頭の中はずっとぼんやりとしている。ぼぅっとベッドの上から外を眺める。窓の外……東の町を。あれから3日。未だに彼らは石のままだ。東の町の惨劇は瞬く間に学園都市中の生物が知ることになった。
また、僕が“黒”の魔法が使えることも、殆どの生徒が知っている。
「ロイド、何度も言うけど、東の町の件はロイドのせいじゃないよ。……だから、その、元気だして。俺は学園に行くけど……授業とか、わからないことがあったら聞いてね」
「ありがとう、ルルド」
うまく笑えなかったことはルルドの表情でわかった。ルルドが学園へ向かってからしばらくして、僕も制服に着替えて学園に向かう。とっくに一限目は開始されている時間だ。でも僕の目的は教室じゃ無い。
まっすぐに図書室へ向かう。何か無いだろうか。あの石化を解く魔法は。呪印関係の本、メデューサの本、石化する雨の伝承、片っ端から読んでいく。
「おい。何してんだよ、お前」
今は授業中の筈で生き物の気配がするのはおかしい。サボりでは無い限り。顔を上げればクラウドが立っていた。今は二限の途中だ。
「なぁに。クラウド」
「やっと熱が下がったって聞いた。授業サボって何してんだよ」
クラウドはじっと僕の読んでいた本を見る。そして痛々しげに顔を歪めた。
「又聞きにしか聞いてねぇけど、石化の事件は……自動魔法を利用されたんだろ。お前のせいじゃ」
「僕のせいだよ」
僕は言い切る。確かに、アレは僕に攻撃してきた誰かが悪い。それはわかる。でも、東の町の石化の被害を悪化させたのは紛れもなく僕のせいだ。
「ねぇ。クラウド。もし僕の魔力量が少なかったら、あの時“黒”の魔法を僕が使わなければ、あの町の被害は最小限だったんだよ」
「はぁ?」
一体なんのことだ、と首を傾げるクラウドに告げる。昨日確認した事実を。
「昨日の夜、襲われた現場と、発動拠点を見に行ったんだけど」
「お前本当に何してんだ!?昨日の夜まで高熱が続いてたんじゃなかったのか!」
「そんなの魔法で誤魔化せばある程度動けるようになるよ」
青魔法で体温を冷やせば良いだけだ。
「じゃあ今もまだ熱があるんだろ!早く寮に戻って寝ろ!」
「話が脱線したけど。発動拠点は東の町の噴水広場。範囲は周辺3番街のみ指定されてた。術者が注ぎ込んだ魔力量が大きければ大きいほど、範囲は広くなる」
僕はあの時、呪印に呑まれると怯え、最大火力で魔法を使った。僕の膨大な魔力を、魔力切れを起こすほど魔法にそそぎこんだ。その魔力が全ての東の町を覆ったのだ。
「見晴し台に刻まれた呪印は、術者に危害を与えるものじゃなかった」
あの呪印の圧は副作用。光は目眩しの術式が刻まれていたけれど。僕を襲ったあの黄色の閃光も、そんなに高い威力は無かっただろう。イタズラに使われるような軽いものだ。
「被害を最小限に抑えることができた筈だった。普段の僕なら……」
見抜けたかもしれない。少なくとも、咄嗟に“黒”ではなく“青”を使っていただろう。あの時の僕は冷静ではなかった。親友にまで手をあげて。
鈍い痛みが胸の奥を貫く。魔力無のこと、親友のこと。でも今はそれに気を取られている暇は無い。僕は頭を振って考えないようにした。
「お前は、何も知らなかっただろ」
「知らなかったからって許されると思う?十やそこらの子供じゃないんだよ?」
だから、あの事件の責任は僕にもある。
「……何とかなる根拠があんのか?」
「無いよ。だから探してる」
パラ、とページを捲る。御伽話のようなものばかりだ。石化した生き物は“竜の涙”によって無事に元に戻りましたとさ。おしまい。
こんな風に、東の町の石化も解ければいいのに。
「“竜の涙”か?別名、賢者の石と呼ばれる何でも願いが叶う宝石のことだな」
「実在するものなの?」
「白の国にあるぞ」
何を当たり前の事を。と云うクラウドに詰め寄る。その話、もっと詳しく。
「宝石竜の伝説、知ってるだろ」
そんな当たり前のように話さないで欲しい。正直知らないけど頷いた。
「感情が全て宝石になったその竜が溢した宝石が“竜の涙”。その宝石には魔力が信じられないほど入ってるらしい。その宝石を握って、望みを言えば叶うくらいに強大な魔力だ」
「つまり、石化の呪いも解けるくらいの魔力があるってこと?」
「おそらくな」
そんな夢物語の様なこと、実在するのかと信じられない気持ちでいっぱいだ。
「“竜の涙”で不老不死になったとか、不治の病が治ったとか、呪いの塊になった化け物を浄化できたとか、逸話にはこと欠かない代物だぞ」
「随分と万能みたいだけど、そんなにその宝石、沢山あるんだ?」
唯一無二の宝石かと思った。呟けば、そんなことも知らないのか、と言わんばかりに見られた。一般常識が無くてすみませんね。
「白竜の谷にあるスノー城に住んでたんだ、その宝石竜。だから白の国の首都には“竜の涙”がゴロゴロ転がってる」
「待って!?そんな道端の石みたいに万能の宝石が落ちていて良いの!?」
「だから白の国は“竜の涙”の国外の持ち出しを禁止してる。特殊な許可を得れば許されるが……やはり窃盗も多いと聞く」
かたん、と席を立つ。論文の棚を見て“竜の涙”の情報を漁る。本当だ。実在するみたいだし、その強大な魔力は出来ないことも可能にする力を秘めている。呪いの無効化の効果もあると書かれていた。特殊な許可が取れるかどうかは怪しいが、当たる価値はある。最悪魔法箱に一個入れて持って帰ろう。捕まるかな。
僕はクラウドにお礼を言って寮へ戻る。クラウドも何故か付いてくるが、気にせずに旅支度を始める。魔法箱に着替えと財布を詰め込んだ。
「何処に行くんだ?」
「白竜の谷。“竜の涙”なら、呪いを解けるかもしれないからね」
ぎょっとクラウドは僕を見た。
「待てよ!授業はどうするんだ!」
「図書室でサボろうが旅しようが、僕の成績なら留年しない」
「クソ優等生」
「そのクソに負けてるのは誰かなぁ?」
ぐ、と息を詰めたクラウドを無視して、制服を脱ぎ、防寒の魔法が刻まれたローブを羽織る。
「待ってろ。動くなロイド!」
クラウドはそう言ってバタバタと部屋を出ていく。思わず固まってしまった。
「今、僕の名前呼んだよね」
問いかけても当の本人は居ない。ドタバタと外で音が聞こえた後、暫くして扉が開く。僕と同じく旅装束に身を包んだクラウドが「俺も行く」と言い切った。
「え!?なんで!?」
「言っただろ。“竜の涙”は特殊な許可が必要だって。俺の母さんなら、その許可がでる」
最悪盗んで帰るつもりだったけれど、正攻法で貰えるならそれに越したことは無いな。僕はとてもありがたいけど……。
「僕についてきたら授業をサボることになるけど」
「俺の成績なら多分、留年はしない」
「さっきの君の言葉、そっくりそのまま返してあげる。クソ優等生」
「お前ほどじゃない」
くすくす、笑い合う。共犯関係だ。
僕は魔法箱の中からポータルの通行証を取り出した。入学時に学園から支給された物をいざという時の為に取っておいたのだ。クラウドも同じようで、鞄から通行証を取り出した。
あとはポータルで白の国へ飛ぶだけだ。
「二人旅だ。よろしくね」
「ああ」