『ポンコツ狂い』
『ポンコツ狂い』
・・・君に言わせれば、ポンコツである自分が、如何に自分はポンコツかと言ったポンコツ度合を表している
㈠
所謂ポンコツである自分は、ポンコツであることを誰にも包み隠さず、ただ、あるがままのポンコツ状態を、文章にしてみたい。自分は、過去から現在に至るまで、自分をポンコツだと思ったことはなかったが、その意識こそが、自身のありのままのポンコツとしての在り様を示していたのだ。
ポンコツによる言葉、それはポンコツ的以外の何物でないのだが、こう言ってしまえば、とても楽になれる。自分は、一般よりも全てにおいてポンコツな人間で、期待されてもそれに沿えないし、見た目も中身もポンコツで、むやみやたらと小説のことばかり考えている、絶対的なポンコツです、と。
㈡
しかしまた、ポンコツとしての生きる権利を主張し、崇拝する対象に対しては、惜しみなく崇拝の念を表し、ポンコツ万歳と叫んで、まるでポンコツ帝国の帝王になったかと言う程の態度で、ポンコツの権威を振りかざす。しかし、ポンコツである自分がポンコツを見た時、ポンコツに対しては優しく、かと言ってポンコツではない人に対しても邪険に扱うことなく、ひたすらポンコツ道をまっしぐらであることで、不確かな自信を持っている。
これだけ無闇やたらとポンコツ、ポンコツ、と言うと、人は何故ポンコツなのかと疑問を抱くかもしれないが、そのポンコツの程度は、決して、外界からは分からないと思う。自分の内面を知っている自分でしか、そのポンコツ度合は説明できないだろう。
㈢
そんなポンコツである自分は、現実的にも人に対して感謝の念を表さず、只管嫌われまくり、疎外され、排除され、居場所がないことを、まるで他人のせいかの様に発言する。
これ以上ない腐り方の自分を、どうか許してくださいとも言わず、傍若無人に思ったことを発言し、人をこれ以上ないほどに傷つける。
しかし、ポンコツである自分は、この様に言う、ポンコツの本質は、ポンコツになってみなければわからないだろうし、その本質とは、ポンコツこそ世界を救うのだ、という理路整然としない主張をすることにある、と。
この様にして、ポンコツは生きているのであり、今日もポンコツ街道まっしぐらなのである。