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ウイルヘルム・マイスター   ゲーテ作  ビルドウンクス・ロマン 教養小説の金字塔 ドイツ文学の思想性

作者: 舜風人


1、序説(前説)




小説の起源は語り物であり、


どこそこで誰それがどうしてどうなった、という


世間話、、


風説の類


ですよ。


これはたとえば典型的なのが「デカメロン」でしょうね。


まさに風説・俗文、世間話、三面記事です。


このように俗っぽいものが本来の小説なのですね。


到底、天の高みに上り詰めて

神々とネクタル(神酒)を酌み交わす体の高雅さなどないのが本来なのです。



あくまでも地に足がついた、、というか


俗世間の巷間話から乖離しえない地平にとどまる。


それが本来の小説なるものの有りうべき姿、、なのであろう。


ところがドイツ文学となると、


そうではない異質さが常について回るのである。


たとえば、、ドイツ小説の祖と言われる


「ジムプリチウス」グリンメルスハウゼン作


を見てみよう。


ここに書かれているのは


ドイツ30年戦争の時代の庶民の悲惨さに彩られた風俗絵巻である。



しかしこれが単なる風俗描写だけにとどまらず


それはまず神の視点からの因果劇であるということだ。


あくまでもこの悲惨な有様は、

神の与えた主人公への試練というか


敷いて言えばカリカチュア?


運命劇?


因果譚?なのである。


だからさまざまな運命に翻弄される主人公「ジムプリチウス」は


神のあやつり人形にすぎず、


彼の体験は結局、最後のサトリのための序章に過ぎなかったという


霊験譚?に到達して終わるのだ。


それに対して

いわゆる、りアリスム小説というのは

バルザックやゾラを持ち出すまでもなく


市井の悲惨な庶民の描写に終始して

そこから一気にサトリとか出家とか

まで飛躍することは皆無ですね。


ところがドイツ文学は市井の描写はあくまでも

悟りの階梯の前段としての描写でしかなく


リアリズムだけにとどまることができません。



最期は神との和解であったり


サトリとしての出家であったりしなければ気が済まない、



それがドイツ文学です。


そういう意味では現実世界にべったりとのめり込み


市井の暮らしや庶民の女の一生を子細に描きつくす、という


いわゆるリアリズムはドイツ文学にはムリ?というか


出来ないのですね。





2、教養小説の金字塔  ウイルヘルムマイスターの思想性


ウイルヘルムマイスターの修行時代(第1部)1796年

ウイルヘルムマイスターの遍歴時代(第2部)1821年



ドイツロマン派の淵源は


ゲーテのウイルヘルムマイスターと

フランス革命、

そしてシューベルトの『自然科学の夜の側面』だといわれている。


この論拠はさるドイツロマン派の評論家の言だから、私は必ずしも納得しないが、

しかし一つだけ納得することは、

ウイルヘルムマイスターがドイツロマン派に与えた影響だ。

この小説がなかったら、おそらくドイツロマン派も成立しなかっただろう。


これはゲーテの独創ではなく、ドイツの偉大な先輩小説家グリンメルスハウゼンにも拠っていることは明白だろう。その「ジンプリチウスの冒険」(阿呆物語)岩波文庫は教養小説として偉大な先駆者だった。

さてしかしゲーテはさすがに、一面荒削りなストーリーテラーであるジンプリチウスを遥かに超えて、

主人公ウイルヘルムに近代的な内面性と精神性を付与したのである。


そして心理的発展性と成長性を基軸に、精神の発展小説という新ジャンルを確立したのである。

これを後世、ドイツ教養小説(ビルドウンクス・ロマン}と呼ぶ。


ここにストーリー性と心理描写と、ロマンの香り高い情調と、主人公の魂の成長を兼ね備えた

偉大な長編発展小説が誕生したのである。


それまでもこうした一人の主人公が冒険流転の生涯を送り様々な経験をするという小説は確かにあった。


「マリアンヌの生涯」1741年  マリボー作  仏

「トム・ジョーンズ」1749年   フィールディング作 英

「ジル・ブラース物語」1735年  ルサージュ作  仏

「モル・フランダース」1722年  ダニエル・デフォー作  英

「ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯」 作者不詳  西班牙 など、幾つでもあった。


しかし決定的に違うのは、これらの主人公に何の変化もないことだった。

というか、主人公は世間の荒波にもまれてただ、悪賢くなっただけ、世間知を身につけただけ。

精神的に成長したとか、心理的に円熟したとか、人生観世界観が変わったとか全くないのだった。


それがゲーテの偉大さとの相違の決定打だろう。


さてこうして、ウイルヘルムマイスター第1部は当時のシュレーゲルやノヴァーリスに圧倒的な支持を持って

受け入れられたのだった。

彼らはその断章、「アテネウム」や「花粉」などで常にマイスターを論じかつ賛嘆した。


といっても彼らはそのロマン性だけを賛嘆したのであり、

一面的な熱狂でもあった。


したがって、マイスター第二部が発表されるや、彼らは見向きもしなかったのである。

なぜなら第二部ではウイルヘルムは塔の結社に入って現実世界での社会奉仕が強調されたからである。

これはロマン派の情調重視からは遠いものになってしまった。

ゲーテもまた、『ロマン派は病的だ』として批判したのだった。

ウイルヘルムマイスター第2部はウイルヘルムたちが新大陸へ移住を決意することで終わっている。

空想から現実へ。無為から労働へ。それがゲーテの結論だった。


ロマン派たちががすきなのはあくまで第1部である。

謎の老竪琴弾きと不思議な少女ミニヨンが織り成すあのファンタジーワールドこそ本領だったのだ。

憧れと郷愁、そして、あえかな憧憬、まだ見ぬくにイタリアへの想い、

運命の転変にもてあそばれる薄倖の少女ミニヨン。

そしてウイルヘルムへのほのかな愛に生きたミニヨンはその短い生涯を閉じる。


こうしたお膳立てはまさにロマン派の最も好むところだった。

それが第二部ではさあ、もう夢見ることはやめて手仕事で汗を流して働きましょう、というのではこれは、もうノヴァーリスなどは拒否反応だろう。

しかしこのウイルヘルムマイスターは以後絶大な影響をドイツ小説界に及ぼし続けたのである。

ジャンパウルの「巨人」1803年

ノヴァーリスの「ハインリッヒフォンオフターディンゲン」(青い花)1802年

ヘルダーリンの「ヒュペーリオン」1799年

ホフマンの「悪魔の霊液」1815年

アイヒェンドルフの「予感と現在」1815年

ケラーの「緑のハインリッヒ」

メーリケの「画家ノルテン」1832年

シュティフターの「晩夏」

ティークの「フランツシュテルンバルトの遍歴」1798年

ブレンターノの「ゴドヴィ」


などなど、みんな大なり小なり影響を受けている。


ここにゲーテの長編小説「ウイルヘルムマイスターの徒弟時代・遍歴時代」


という1500ページにわたる大長編があります。



主人公ウイルヘルムの青春彷徨を描き、


さまざまな人物との交友で精神的に成長してゆくという


言わゆる「ビルドウンクスロマン」(独逸教養小説)ですね。


あらすじは、、、、、、


演劇を志したウイルヘルムが様々な人物や事件や旅先での遭遇で人生経験を積んでゆき

結局演劇人としては挫折してしまう、、、ここまでが修業時代。


次に演劇挫折後の、、人生彷徨を描くのが遍歴時代です。

が、、ここでは様々な挿話や短編小説などが差しはさまれてさながら錯綜した様態。

結局最後はウイルヘルムは新大陸アメリカに移住するというところで終わっています。



この小説全編を通じて、そこには出会いや別れ愛憎・旅、風俗風物が描かれてはいますが


それをたとえばゾラやバルザックの風俗小説のあのいかにも俗悪な露悪的な


地べたを這いずり回るような描写と比べると、


実はそうではなくて


すべてがゲーテの作り出した運命劇のその階梯のための


操り人形でしかなく、それぞれの運命劇の担うべき


パートを演じさせられているにすぎないのである。


ミニヨン


老竪琴弾き



まさにこれらの人物とは現実ににこんな人がいるわけもなく


ゲーテの総体としての運命劇の中なお1パートの役割を担った


空想の、、存在である。


このようにドイツ部文学を代表するゲーテにしても


いわゆるリアリズム小説は書けない、、というか


書く気もない、、というのが


ドイツ文学なのである。


そうした意味ではドイツ文学に


リアリズム小説はできない、、という結論だろうか。


どうしてもドイツ人は


神の運命を始源させるというか


運命劇しか書けないのである。


それがドイツ文学なのだろう。

その典型が

ハインリッヒクライストであろう。



彼の小説、、戯曲、、すべて運命劇である。



そしてこのドイツ的な姿勢をさらに

集約し、、凝縮したのが


「ドイツロマン派」なのである。


ここまで来るともはや運命劇すら超越して



彼らの書くものは。

「思想小説」


或いは「哲学小説」


「因果譚」


だけとなるのである。


到底、現実描写だとか


リアリズムとかそんなものは問題外となるのだ。


ヘルダーリンの「ヒュペーリオン」など


まさに彼の思想の展開でありその色付けのためストーリーでしかないわけである。

まず表白すべき思想ありき、、であり


その思想を物語に乗せて、、説き語りする、、

そういうスタイルである。

だからこのヒュペーリオンは、思想小説というか、、哲学小説というか、


ニーチェの「ツアラストラ」の先駆的作品と言えるわけであろう。


ノヴァーリスの「青い花」になると


これは詩の称揚であり、


ポエムの世界の構築と


自然哲学の説き語りであり


ストーリーはそのための、方便?というか


現実味など皆無な荒唐無稽な


メルヘンとなっているわけだ。


もともと市井の庶民描写などしようとも思っていないし


目標は詩文学の水晶宮の構築であり、


自然の秘密の解明だから


リアリズムなど問題外というわけだ。


これがドイツ人の精神性であり


もっといえば民族性である。

これこそドイツにあのヘーゲルやカントという哲学者を排出せしまた最大の理由なのだ。

そしてドイツロマン派はそれを


ポエム形式で表白したということである。

ポエムと思想が結着した。


そしてまず表白すべき思想や哲学があり


ポエムやメルヘンは


あくまでもその表白手段にすぎない。


それこそ、ドイツロマン派の本質なのである。


それこそがドイツ文学の本質性そのものなのである。








3 オペラ「ミニヨン」



ウイルヘルムマイスターの派生的作品として

オペラアンブロワーズ・トマノ「ミニヨン」がある。


「ウイルヘルムマイスターの修行時代」が原作となっている。

パリオペラ座で1866年初演となっている。


これは割りと原作に忠実だがひとつだけ大きな違いがある。

ハッピーエンドだということだ。


原作では、ミニヨンは心臓病で発作のためなくなってしまうのだ。

幼いころかどわかされて旅芸人一座に連れ去られ、虐げられていたミニヨン。

彼女は朧な記憶のなかのふるさとイタリアへの思いを

「君よ知るや、南の国、レモンの花咲き、」と歌うのだ。

ウイルヘルムとであったミニヨンは少女らしい恋の芽生えを抱きながらも、ウイルヘルムをお父さんとも呼んだりする。恋と父への憧れの入り混じった、揺れ動く少女を演じている。

老竪琴弾きは実はミニヨンの実父であるロターリオ伯爵であるが、正気を失って、身を窶して、

今は娘を探して独逸を放浪し続けているのである。

やがて、真実は告げられて、歌劇ミニヨンでは、ロターリオは正気に戻り、ミニヨンは、生まれた城で

父と幸せに暮らすことになる。

ゲーテの作品でオペラになるというのも珍しいが、やはりフランス人のエスプリにかない、琴線に触れるのはこういう、ロマンティックなテーマなのであろう。しかも原作と違ってハッピーエンドにして。

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