091 ま……縁があったら、また会えるさ
「忘れ物は無いよな?」
雷元王が、天蒼の部屋で話している頃、迅雷は封神門の本拠地道場……封神界にある、屋内修練場の玄関で、自問していた。
この数日間、果敢は屋内修練場を、宿代わりにしていたのだ。
迅雷の目線の先には、着替えや様々な道具、携帯用の食料などを詰め込んだ、背包という背負うタイプの鞄があった。
鞄の隣りには、鳳凰不羈が置かれている。
深紅の鞘に収められた鳳凰不羈は、昨年の清明武林祭の際、迅雷が闘源郷に残したまま、行方をくらました為、黄国政府が保管していた、迅雷本来の仙闘機だ。
全ての問題が片付いたので、鳳凰不羈は迅雷の手許に、戻って来ていた。
黒い背包は、迅雷が旅をする時に、愛用している物だ。
刀剣を背負う為の紐が、引っ掛かり難いので、鳳凰刀を携帯する場合が多い迅雷には、便利なのである。
迅雷の服装は、上衣は黒い功夫服、下衣はジーンズであり、額の辺りには、ゴーグルをはめている。
鳳凰不羈と鞄を背負い、迅雷は玄関の外に出る。
竹林に囲まれた、かっては封神門の者達が修練に励んでいた、屋外修練場に、風が吹き抜ける。
竹林が風に騒めく音に、迅雷は懐かしさを覚える。
「迅雷!」
麓に通じる山道の方から、雷聖門の功夫服に身を包んだ、天翔と青霞が現れ、迅雷の元に駆け寄って来る。
二人が迅雷を迅雷と呼んでいるのは、東少侠という尊称や、東掌門という掌門としての呼び方で呼ばれる事を、気恥ずかしがった迅雷自身が、迅雷と呼ぶように、二人に頼んだからである。
呼び方だけでなく、喋り方も基本的には、無名や疾風の時と同様にして欲しいという、迅雷の要望を、二人は聞き入れた。
迅雷は、気楽に会話出来る関係の方が、好みなのだ。
「その格好、まさか……旅に出る気?」
迅雷の元に辿り着いた天翔は、驚きの表情を浮かべつつ、迅雷に問いかける。
天翔には、迅雷の格好が、旅装束に見えたのだ。
迅雷の格好は、緑點鎮の鏢局で、天翔と青霞が初めて目にした時と、ほぼ同じだった。
旅客用の幌馬車に乗り、緑點鎮から黄都に旅する仕事の為、迅雷は旅装束だったのである。
布に巻かれた凶焔鳳凰が鳳凰不羈となり、功夫服が季節に合わせ、半袖になった事だけは違っている。
それでも、天翔と青霞には、迅雷の格好は、初めて出会った時と同様の、旅装束にしか見えなかったのだ。
「ああ、ちょいと北の方でも、旅してみようと思ってね」
「そんな話、俺は聞いてない! 何でいきなり、北方なんかに?」
「北方の遺跡に、主のいない呪仙闘機が隠されているって噂を、青旗で聞いたんでね、探しに行く事にした」
迅雷は気楽な口調で、旅に出る理由を説明する。
ちなみに、青旗というのは、酒場の事だ。
健康体を取り戻した後、迅雷は夜になると、酒場に繰り出していたのである。
昔から知っている酒場の主人に、迅雷は呪仙闘機の噂を聞いたので、旅立ちを決めたのだった。
「封神門の呪仙闘機は、全て封印して隠し終えたから……特にやる事も無いしな」
目覚めた後、迅雷は凶焔鳳凰と窮奇を、他の呪仙闘機と共に、自分しか知らぬ場所に隠して、封印したのだ。
窮奇などの呪仙闘機が、二度と誰の手にも渡らぬように。
「だったら、俺も一緒に行く! 病み上がりの貴方……じゃなくてお前に、一人旅をさせる訳には行かない!」
「私も行きます!」
天翔に続き、青霞も声を上げる。
「状況が落ち着き次第、雷聖門に戻る予定だったので、荷物はまとめてありますから、お待たせする事はありません!」
旅に同行すると言い出した二人を見て、迅雷は溜息を吐くと、呆れ顔で言い放つ。
「センチメンタル・ジャーニーについて来るような、無粋な真似……するんじゃねえよ」
「西域の言葉を使うなっ! ちゃんと華界の言葉で言わないと、意味が分らないよ!」
西域の言葉を使った事を、窘める天翔を見て、迅雷は切なげな表情を浮かべる。
同様の理由で、良く自分を窘めた女性の事を、迅雷は思い出したのだ。
すぐに迅雷は、表情を気楽な感じに戻す。
切なげな表情など、二人に見られたくは無かったので。
「センチメンタル・ジャーニーって、どういう意味の言葉なんですか?」
西域嫌いでは無い青霞は、迅雷に訊ねる。
「ま、色々と心の中を整理しながら、旅する事を言うのさ」
感傷に浸る旅という、本当の意味を教えず、当たり障りの無い答を、迅雷は返す。
「とにかく、俺達も一緒に行く! 連れて行かないのなら……」
天翔は迅雷に対し、擒拿術を仕掛けるかのような構えを取る。
連れて行かないなら、擒拿術で締め上げるとでも、言わんばかりに。
「分ったよ、連れて行くから、さっさと荷物まとめて来い!」
同行を認める、迅雷の言葉を聞いた天翔と青霞は、喜びの表情を浮かべる。
「じゃあ、すぐに戻って来るから! ここで待ってろよ!」
そう言うと、天翔は青霞と共に、迅雷に背を向けながら軽功を発動し、身体を仄かに輝かせ始める。
上って来たばかりの山道を、二人は勢い良く駆け下りて行く。
走り去った二人を見送る迅雷は、何処となく気まずそうな半目の表情で、頭を掻く。
天翔と青霞を騙した事に対して、迅雷は少し気が咎めたのである。
「騙しちまって悪いけど、誰かと一緒に……旅する気分じゃねえんだ」
迅雷の身体が、仄かな光を放ち始める。
迅雷も軽功を発動したのだ。
そして、天翔達が駆け下りて行った、山道の先……黄都の方に、迅雷は目をやる。
「ま……縁があったら、また会えるさ」
そう呟くと、天翔達が駆け下りて行った山道とは、別の方向を向き、迅雷は跳躍する。
迅雷は軽功の達人である上、封神山を庭先のように知り尽くしているので、わざわざ山道など通る必要は無い。
屋外修練場を囲む竹林の上に、迅雷は一度の跳躍で飛び乗る。
黄緑色の水面の如く、風に波打つ竹林の上を、迅雷は疾風のように駆け始める。
(昔、良く貴女と駆けたものだな、この竹林の上を……)
今は亡き素華に、迅雷は心の中で語りかける。
目に映る全ての景色が、迅雷に素華の事を思い出させる。
この山には、素華との想い出が、多過ぎるのだ。
想い出が、迅雷の目を潤ませる。
視界が涙で歪んだせいで、迅雷は竹を踏み外し、竹林の上から落下してしまう。
迅雷は落下の途中で、竹の幹を足場にして跳躍。
即座に竹林の上に戻ると、迅雷は再び、竹林の上を疾走する。
(無様だねぇ……。男が感傷に浸ってる姿なんざ、小娘共には見せられねぇよ)
天翔や青霞と別れて、一人で旅立つ事にしたのは、正解だったなと思いながら、封神山の麓に向かって、迅雷は竹林の上を駆け続ける。
誰もついては行けぬ程の、疾風の如き速さで。
《劇終》
最期までお読みいただき有難うございました。




