006 こんなチビガキが、一番強い鏢客か……悪い冗談だ
「全く、無礼にも程がある!」
春の陽光に照らされた荒野を行く、揺れる旅客用の幌馬車の中。
黄色い稲妻の刺繍が施されている、黒い功夫服に身を包んだ、凛々しい少年のような顔立ちの、ショートヘアーの少女は、不機嫌そうな口調で続ける。
「何故に雷聖門の皆伝を受けた俺が、鏢客なんぞに、身を護られなければならないんだ!」
鏢客とは、人や物資の警護を請け負う、警備会社のような組織……鏢局に雇われている、ボディーガードのような存在である。
「仕方が無いでしょう、天剣。それが江湖の掟なんですから」
長椅子が二つ、向かい合わせに設えてある幌馬車の中で、長い髪を頭の左右で、団子のように結っている少女が、左隣に座っている、一人称が俺の少女……宗天剣を嗜める。
長い髪の少女も、天剣と同じ功夫服に、身を包んでいる。
二人とも、十代中頃の少女にしては背が高い。
背は同じ位なのだが、一歳だけ年長である長髪の少女の方が、歳の差以上に大人びて見える。
「江湖は無法者の世界なんだから、掟なんて似合わないんじゃないの?」
天剣の問いに、長髪の少女は冷静に答える。
「江湖が無法者の世界だと言っても、それは国法が及び難いというだけの話で、江湖自体に法が無いという訳ではありません。江湖には江湖自体の、法や掟ってものがあるんです」
広大過ぎる華界には、各国家が掌握出来ず、支配が及ばないエリアが、多数存在する。
そういったエリアは、川や湖の近くに多い事から、江湖と呼ばれていて、様々な種類の人々が流れ集い、独特の民間社会を形成している。
「荒野を渡る際に馬車を雇うなら、鏢局に依頼して鏢客を雇うのが、江湖の掟なんですよ」
「只の素人ならともかく、俺達みたいな武術家にまで、鏢客を雇わせる事無いだろ」
「もうすぐ御家族と会うのですから、自分の事を俺と言うのは止めなさい、天剣」
「天華……最近、少し細か過ぎ」
天華と呼ばれた髪の長い少女……宗天華は、天剣の愚痴を無視し、話を続ける。
「客の私達というより、馬車を出す業者の安全を確保する為の、掟なんでしょう。鏢客の武術家連中に身を護って貰わないと、業者は安心して、荒野を渡れないんです」
「業者連中の安全くらい、俺達が護ってやるのに。黄国七大門派の筆頭格……雷聖門の皆伝二人にまで、鏢客雇わせるなんて、とんだ御笑い種だ」
雷聖門は、黄国の武林を代表する門派である。
皆伝とは、武術門派において、一人前の武術家を名乗るに相応しい、高度な武術の実力を身につけた者に与えられる、資格なのだ。
皆伝の資格の免状を受けた二人は、雷聖門の本拠地がある雷山から、故郷である黄都に向かう途中であった。
雷山から黄都へ向かうには、安全な海路を行くのが普通なのだが、悪天候が続いて船が出なかった為、天剣と天華は、普段は通らない陸路を行っているのである。
陸路の途中には、黄都まで通じる広大な荒野……骸野が広がっている。
骸野の手前にある街……黄国領内にありながらも、事実上の無法地帯……江湖と化している緑點鎮に立ち寄った二人は、骸野を渡って黄都に向かう為、馬車を御者ごと雇おうとした。
緑點鎮では、骸野を渡る為に馬車と御者を雇う場合、鏢客を雇わねばならないという掟がある。
その事を知った二人……というより天剣は、武術家でありながら、武術家に身を護ってもらわなければならない事に、反発した。
しかし、鏢客を雇わなければ、荒野を渡る馬車と御者を調達出来ないので、天剣達は仕方なく、鏢局が斡旋した鏢客を雇ったのである。
「しかも、押し付けられた鏢客が、こんなチビガキ一人……。俺達は、こんなガキより弱いって思われたのかね? 舐められたもんだよ、本当に!」
天剣は苛ついたように言葉を吐き捨てると、対面の長椅子で仰向けに寝転んでいる少年を睨みつける。
十二歳程に見える少年は、ジーンズと呼ばれる、西域から伝わって来た、青い下衣を穿いている。
上衣は一応、華界の武術家らしく、黒い功夫服を着ているのだが。
肌の色は陽に焼けているのか、それとも元からなのか分からないが、褐色気味。
長い髪を後頭部で、馬の尾のように結っている少年は、ゴーグルと呼ばれる、西域渡来の眼鏡のようなもので、目の辺りを隠している為、どんな顔をしているのかは、良く分らない。
長椅子の上には、深紅の鞘に収められた、長剣程の大きさの少年の得物が、無造作に置いてある。
獲物の鞘の両端には、緩んだ弓の弦のように、紐が張られているが、これは背負う為の紐だ。
少年だけでなく、天剣や天華が携えている武器も、鞘の色こそ黒だが、扱いは少年の物と似たようなもので、基本は背負うのだが、今は長椅子の上に置いている。
「妙な格好しやがって、この西域かぶれが」
西域の服装を多く取り入れている事が、何となく気に食わない天剣は、小声で毒づく。
「でも、緑點鎮の鏢局では、一番の使い手だと言ってましたよ、鏢局の人が」
「こんなチビガキが、一番強い鏢客か……悪い冗談だ」
肩を竦めながらの、天剣の悪口に応えるように、寝転がっていた少年が口を開く。
「ーー初対面の他人の服装を貶すわ、チビガキ呼ばわりするわ……」
気だるげな動きで上半身を起こし、少年は天剣達の方に顔を向ける。
「礼儀を知らねぇ小娘共だな、育ちの悪さが知れる」
ゴーグルに隠されているので、少年の目付きを、天剣達は確認出来ない。
しかし、不機嫌さを滲ませている口調から、少年が自分達を睨みつけているだろう事は、天剣達にも容易に察せられる。
「こ、小娘だと?」
少なくとも、自分より三歳は歳下に見える少年に、小娘呼ばわりされ、天剣の怒りに火が点く。
「てめぇ……年上の人間に対する口の利き方ってもんを、親に習わなかったのかっ!」
「相手の事を『てめぇ』呼ばわりする天剣には、他人に口の利き方を、とやかく言える資格は、無いと思うけど」
「だから、天華は少し細か過ぎるの! 親父達の前では、ちゃんと喋るってば!」
「どうでもいいから、少しは静かにしろ! うるさいんだよ、小娘共!」
「ま、また小娘って言った! チビガキの分際で、年長者である俺達の事を、小娘呼ばわりしやがったな!」
気色ばむ天剣に、平然とした口調で、少年は言葉を返す。
「小娘呼ばわりされた事を怒る前に、まずは俺をチビガキ呼ばわりした事について詫びろ」
「チビなガキをチビガキ呼ばわりして何が悪い? 本当の事を言ってるだけだ!」
「座ってるからチビに見えるだけで、立てば普通の背の高さあるんだぜ」
しれっとした口調で、そう言い放った少年の腕を掴むと、天剣は強引に引っ張り上げて、少年を立ち上がらせる。
「嘘吐くな! 立っても背の高さ、俺の肩位までしか無いじゃないか!」
「いやー、実は今……ちょっとした都合で、背が縮んでるだけなんだ! 本当の俺は百七十四センチはあるから、別に背が低い訳じゃないんだぜ!」
「西域の単位なんざ使うな! 尺で言え!」
天剣に、西域の単位を使うなと抗議された少年は、少し驚いたような……懐かしげな表情を浮かべたのだが、天剣達は気づかない。
ゴーグルが、目元を隠しているせいである。