041 あいつは戦いの前だってのに、何をやってるんだ、何を?
蒼穹の下、固い土に覆われた闘技場の北側、闘坤圏の端に近い辺りに、迅雷はポジションをとった。
隅を選んだのは、目立ちたくなかったからだが、北側を選んだのは、天蒼がいる北側を意識している者の様子が、視認し易いと思ったからである。
現在、迅雷の知る限り、闘源郷にいる王族は天蒼のみ。
王族を狙う素華が、清明武林祭に参加しているなら、北側にある王族専用の観戦席にいる天蒼の事を、不自然に意識しているかもしれない。
そういった連中を探すには、自分自身も北側にいた方が良いと、迅雷は考えたのだ。
(天蒼公主の様子を、不自然に窺っているような奴は、いないみたいだけど……)
怪しい者が存在しない事に安堵しつつも、迅雷は納得が行かなそうな表情を浮かべる。
(それはそれで、不自然だよなぁ。普段は黄極城に篭ってる、美人で巨乳のお姉ちゃんを、間近とは言わないまでも、見物出来るんだからさ)
心の中で、王族をお姉ちゃん呼ばわりしながら、迅雷は後ろを振り向き、王族専用の観戦席にいる、天蒼の姿を見上げる。
(あれは南海燕……新しく黄武十二聖に加えられた奴か)
天蒼の隣りに控えている、黒い軍服に身を包んでいる褐色の大女の名を、迅雷は呟く。
直接の知り合いという程では無いのだが、迅雷は海燕の顔と名前は知っているのだ。
昨年の王族襲撃事件の際、王族を警備していた黄武十二聖の内、まともに戦えなかった三人が、己の不甲斐無さを恥じ、黄武十二聖の座を退いた。
その三人に代わって、新たなる黄武十二聖に任じられた三人の内の一人が、三十歳の軍人の海燕である。
黄武十二聖に推挙されるだけの事はあり、武術の腕は数多い軍人達の中でも、群を抜いている。
雷聖門の出身である海燕は、軍に入った二十歳前後の頃、清明武林祭で優勝した事がある程の、実力の持ち主である。
ちなみに、黄国軍の軍服は黄色をベースにしているものが多いのだが、黄武十二聖などの、軍において高位にいる者達は、好きな色やデザインの軍服を着ている場合が多い。
海燕の場合は、雷聖門の功夫服を思わせる、黒い功夫服風の軍服を、愛用している。
(腕は立つらしいが、政府の連中、あいつの趣味を知った上で、天蒼公主の警備させてんのかねぇ?)
武林の噂や、親しい女性武術家などから聞いて知った、海燕の性的な趣味に関する様々な話が、頭の中に蘇り、迅雷は不安になる。
武林の噂にまでなっている、海燕の性的な趣味とは、女性でありながら男性には興味が無く、女性にしか興味が無いというものである。
しかも、目を付けた女性には、かなり強引過ぎる迫り方をするらしいと、迅雷は噂で聞いていた。
(でも、本当だったら勿体無いよな。見た目も悪く無いし、軍服のせいで目立たないが、あれはかなりの巨乳の持ち主と見た……)
軍服に隠されている巨乳に思いを馳せながら、王族専用の観戦席を見上げている、迅雷の姿を遠目に見て、天剣は顔をしかめる。
「あいつは戦いの前だってのに、何をやってるんだ、何を?」
「さっきまでは、天蒼様の方を眺めていたようですが、今は警備についている黄武十二聖の方を、眺めているような……」
目を凝らして、遠くにいる迅雷の姿に目をやりながら、天華は推測を口にする。
迅雷の顔の向きだけで、そう推測したのだが、推測は外れてはいない。
「きっと、天蒼様の警備についてる黄武十二聖の方も、天蒼様と同様に、胸の大きい女性なんでしょう。この距離からでは、胸の大きさまでは分りませんが、胸の大きい女性が好きですからね、無名は」
「多分、そんなところだろうな……」
天剣は呆れ顔で、言葉を吐き捨てる。
「ーー無名といえば、さっきは天剣の事を、褒めていましたよ」
「え?」
「後半は中々だったとか、点穴の打ち合いになった時、安易な硬功に頼らなかったのは良かったとか……」
天華の言葉を聞いて、天剣は少し意外そうな……嬉しそうな顔をする。
「女の胸ばかりじゃなくて、見るべきものは見てるって訳か」
そう呟きながら、迅雷を眺める天剣の目は、先程までより、少し優しげである。
そんな天剣の目線の先にいる迅雷が、蒼穹を見上げる。
第八組の予選の始まりを告げる花火が、打ち上げられたのだ。
花火は青空に煙の塊を残し、爆音が続け様に空に響き渡る。
開戦を告げる花火の音を聞き、武術家達は戦闘を開始する。
殆どの武術家達は、間近にいる者を、当座の相手に選ぶ。
迅雷も間近にいる武術家と、戦う事になる。
迅雷の間近にいたのは、身の丈六尺を越える、二十代後半の屈強な大男である。
大男の身体が仄かに輝いている事と、手にしている武器……狼牙棒の大きさから、大男が硬功を発動している事を、迅雷は察する。
狼牙棒とは、狼の牙の如き棘の生えた金属棒に、木製の柄を付けた武器である。
怪力の持ち主や、硬功で力を強化出来る者が振るえば、金属製の鎧すら、一撃で叩き割る事が出来る、強力な打撃用の武器なのだ。
大男の狼牙棒の長さは、大男の身の丈と同じ程。狼牙棒の中では、長大な部類に入る。
「ガキの分際で、清明武林祭に出場した根性は認めてやる!」
狼牙棒を手にした大男は、迅雷に言い放つ。
「だが、この金鈴一の狼牙棒硬手と呼ばれる、金剛門の莫宗厳と同じ組となった不運を、呪うが良いっ!」
宗厳は狼牙棒を振り上げながら、迅雷に突撃して来る。
金鈴とは黄国北部にある、金鉱山で栄えている地域の名だ。
金剛門は金鈴地域を中心に広まっている、硬功を利用した怪力と、主に打撃力で勝負する狼牙棒や錘、斧などの扱いを主とした武術門派である。
良く言えば豪快であり、悪く言えば大味な門派といえる。
ちなみに、硬手とは強者を意味する言葉だ。
「派手な功夫服だな……そういえば、金鈴は金が出るんだったか」
金糸の刺繍が贅沢に施された、赤い功夫服を身に纏う宗厳を一瞥し、迅雷は身構えながら呟く。
そんな迅雷に向けて、狼牙棒が振り下ろされるが、迅雷は最小限の動きで狼牙棒をかわす。
狼牙棒は地面を直撃して、馬が一頭収まりそうな程の大穴を穿つと、辺りに土砂と砂礫を撒き散らし、土煙を舞い上げる。
強烈な威力を、宗厳の狼牙棒は見せつける。




