035 今の俺にとっては、復讐の方が大事なんだよ
観客達の声援や歓声が飛び交う、騒然としている闘源郷の闘技場で、五十人程の武術家達が本選出場を目指し、激しい戦いを続けている。
同じ組であれば、誰を相手に戦うかは自由なのだが、大抵の武術家達は、手近にいる武術家を、対戦相手としている。
基本的に、武器を手にしている方が有利というのが、武術の常識といえる。
だが、それは一般論であり、清明武林祭に出場して来る程の猛者達の場合、そのまま当てはまるとは限らない。
参加している武術家の半数程は素手なのだが、武器を手にしている相手と、互角の戦いを見せている。
戦闘不能になった者達が、負けとなるのは当たり前。
闘技場に描かれた、闘技場の面積の八割を占める、巨大な円……闘坤圏から出た者も、場外負けとなる。
ちなみに、闘坤圏とは、闘う為の円形の地を意味する言葉だ。
「第一組は、鋼鉄拐で決まりだな。奴に勝てそうな奴は、第一組にはいない」
待機席で観戦していた迅雷は、そう言い切る。
迅雷の目線の先にいる鉄拐は、長穂剣の使い手である、黄色い功夫服姿に身を包んだ、二十歳前後の女性武術家と戦っている。
長穂剣とは、長穂と呼ばれる長い紐が、柄についている剣である。
普通の剣のように使えるのは当然として、長穂を手にしたまま、剣を投擲して引き戻したり、長穂を手にして剣を振り回したりするなど、変化に富んだ攻撃が可能なのだ。
黄色い功夫服の女性武術家は、普通に柄を持ち、長穂剣で斬りつけたかと思うと、長穂に持ち替えて攻撃。
長穂を上手く操り、普通なら有り得ない方向や間合いから、斬りつけたり突いたりして、鉄拐を攻め立てる。
だが、長穂剣による攻撃を、鉄拐は全て拳で受け止め、弾き返す。
鉄拐の身体は、仄かな光を放っている。鉄拐は硬功の一種、鉄仙拳を使っているのだ。
「鉄仙拳は硬功の一種だが、普通の硬功なら、発動中は動きが鈍くなるのが相場の筈。しかし、鉄拐の動きに、鈍くなった様子は無い」
興味深げに、迅雷は鉄拐の戦いを観察する。
「鋼家門の奥義……鉄仙拳には、動きが鈍らぬ性質があるのか。それとも、鉄拐の鉄仙拳における功夫が、尋常では無いのか……」
迅雷は短く、言い足す。
「どちらにしろ、こりゃ強敵だな」
鉄拐の戦いを分析してみせる迅雷の表情が、天剣と天華には楽し気に見える。
「ーー喜んでるように見えるが、何が嬉しいんだ、チビガキ?」
「いや、同じ組にならなくて良かったなと思ってさ」
「弱気なもんだな。武術家を名乗るなら、強い相手との戦いこそ、喜ぶべきだろうに」
「武術家として、ここに来ている奴なら、そうだろうな」
天剣達だけに聞こえるように、迅雷は小声で言葉を続ける。
「今の俺にとっては、復讐の方が大事なんだよ」
強い相手と戦う事自体は、迅雷にとっても望ましい。
しかし、鉄拐程の強者相手では、迅雷は本気を出さずに勝つ自信が無い。
素華が迅雷の読み通りに、王族抹殺の為に清明武林祭に紛れ込んでいる場合、迅雷が本気を出せば、素華には確実に、自分が迅雷である事がばれてしまう。
幾ら見た目や名が変わっていても、本気の技を見れば、素華には迅雷だと分かるし、逆に迅雷も素華だと、分かってしまうのだ。
素華を見つけ出す前に、素華に自分の正体がばれるのは、迅雷にとって不利な状況となる。
(俺が迅雷だと分かったのなら、素華師姐は絶対、俺の暗殺に走るだろうからな)
素華を迅雷が見付け出す前に、無名の正体が迅雷であると、素華に気付かれたら、迅雷は素華に、一方的な襲撃を許す事になる。
只でさえ自分以上の実力があるだろう相手に、一方的な襲撃を許せば、迅雷には勝ち目が無い。
それ故、無名と名乗っている自分の正体が、迅雷である事を、素華が見抜けるような戦い方をするのを、迅雷は避けるつもりなのだ。
彗星少侠と呼ばれる所以の神域軽功は当然、得意とする鳳凰刀や、封神門固有の技の使用を控えた上で、迅雷は本選に残るつもりなのである。
「鉄仙拳とはいえ、硬功の系統の技である以上、点穴なら通用する筈だが……」
そう呟く迅雷の目線の先では、女武術家が鉄拐に対し、長穂剣での攻撃を続けている。
女武術家は手にした長穂を巧みに操り、やや離れた間合いから、鉄拐の頭部を狙うかのように、攻撃を仕掛ける。
女武術家がいる正面ではなく、鉄拐の真上から、長穂剣が切っ先を真下にして、高速で落下して来る。
真上から頭部を狙って来た、長穂剣の刃を弾く為、鉄拐は右拳を突き上げる。
しかし、これは黄色い功夫服の女武術家の、狙い通りの動きであった。
長穂剣での攻撃を行うと同時に、女武術家は硬功を発動し、鉄拐の間合いに勢い良く踏み込む。
鉄拐を素手で攻撃出来る間合いに捉えた、黄色い功夫服の女武術家は、長穂から手を放すと、空いた両手を剣指にする。
そして、右手で鉄拐の左太腿にある経穴を、左手で鉄拐の右脇腹にある経穴を狙い、突き刺すような鋭さの、剣指突きを放つ。




