033 今のは、油断してただけだっつーの!
迅雷は籤を引き、本来は天剣の物である鳳凰刀を、係員に手渡す。
係員は鳳凰刀に気を通して、仙闘機では無い事を確認すると、鳳凰刀の柄の部分に、黄色い塗料をつけた判子で、雷を象った黄国の紋章を記す。
「この塗料は、三日で消えます。清明武林祭の期間中、闘源郷の中には、この紋章の無い武器の持ち込みは出来ません」
黄色い紋章から、嗅いだ事が無い匂いがするのに、迅雷は気付く。
「変わった匂いの塗料だな。何か特別な香料でも混ぜているのか?」
「ええ。この塗料に混ぜた香料は、雷家秘伝のもので、偽造するのは不可能です」
「検査を通過した武器かどうか、匂いで見分ける……いや、嗅ぎ分ける訳だな?」
「そういう事です」
「匂いなんて、すぐに消えちまうだろうに」
「警備の者の中には、内功で嗅覚を高めている者がいますから、普通の人には嗅ぎ取れなくなっても、そういった者達は嗅ぎ取って、識別出来るんですよ」
「成る程ね……」
迅雷は係員の答えに納得しつつ、受付を後にする。
昨年には無かった制度だったので、迅雷は興味を持ち、係員に訊ねたのだ。
抽選と武器の登録を終えた武術家達は、観客席の南側に設えられている待機席で、自分達の出番を待つ事になっている。
南側の席に通じた通路に向かって、迅雷は歩いて行く。
「上手く行ったろう?」
受付から二十メートル程離れた場所で、迅雷と天華を待っていた天剣が、少し自慢気な顔で、迅雷に声をかける。
「ああ。助かったよ、有難う。後で人目につかない所で、交換してくれ」
迅雷の言葉に、天剣は頷く。
「それと……お前が気にしていた奴の事を、受付の人に訊ねてみたんだが……」
他の人に聞こえないような小声で、天剣は話を続ける。
「さっきの緑色の功夫服の奴、闘源郷の再建工事に、参加していたんだとさ。受付の人も闘源郷の再建工事に関わっていたんで、顔見知りになったそうだよ」
「訊いてくれたのか、有難う」
迅雷は素直に天剣に礼を言う。
そして、緑色の功夫服の青年が気になってしまうのは、自分も再建工事の際に、顔を見た事があるせいなのかもしれないと、迅雷は思う。
「お前も再建工事に参加してたって言ってたし、その時に顔を見ていたせいで、顔を覚えていて、気になったんじゃないのか?」
天剣も、迅雷と同じ考えに至ったのだ。
「多分、そうだと思う」
「それで……予選は何組だった? 俺は五組だったけど」
天剣は予選の話に、話題を切り替える。
「俺は八組……最後だ」
迅雷は涼しい顔で、言葉を続ける。
「運が良かったな、俺と同じ組になってたら、予選落ちという情け無い結果になって、恥ずかしくて雷山に戻れなかっただろうぜ」
「手助けしてやったというのに、まだそんな生意気な口をきくか、このチビガキがっ!」
天剣は素早い動きで、右腕を使い迅雷の頭を抱え込むと、右手で迅雷の右手首を掴む。
ほぼ同時に、天剣の左手は迅雷の左手首を掴み、左の脇の下で迅雷の左腕を挟んで押え付け、左腕の動きを封じていた。
そのまま、天剣は右腕で、迅雷の頭をギリギリと締め付ける。
相手の両手を封じつつ、腕で頭を締め付ける、熊扼という擒拿術を、天剣は迅雷に仕掛けたのだ(擒拿術は、いわゆる組み技の総称)。
熊扼の扼とは、押さえこんで絞めると言う意味。
つまり、熊が相手を抑え込み、絞めるかのような擒拿術という意味合いの、技名といえる。
奇襲だった上、元々苦手だった擒拿術が、身体が小さくなったせいで、更に弱体化してしまった迅雷は、足をばたつかせるだけで、逃れる事が出来ない。
「お前って、ひょっとしたら……擒拿術が駄目なんじゃないか?」
遊び半分で迅雷に技をかけた天剣は、完全に技が極まってしまった事に、少し意外そうな顔をする。
「そんなもん、点穴で逃れるから関係ねーよ!」
擒拿術での闘いになりそうな場合、迅雷は普段は点穴を駆使して、逃れる事にしている。
不利な擒拿術での戦い自体を、迅雷は避けるのだ。
しかし、油断していた状態での奇襲だった上、点穴を放つ為の両手を、既に天剣に押さえつけられているので、迅雷は今、点穴を繰り出せないのだ。
「逃げられないだろ、もう両手押さえてるんだから」
「今のは、油断してただけだっつーの!」
強い口調で言い訳しながら、足をばたつかせて暴れる迅雷を、天剣は勝ち誇ったように解放する。
「ま、同じ組になってたら、俺が勝ってたな。擒拿術での戦いに持ち込めば、楽勝な訳だし」
「そんな訳があるか! 擒拿術での闘いに持ち込ませないように戦うから、本気でやれば俺の負けは有り得ないっ!」
「そういえば……東少侠も、擒拿術による戦いは苦手だった気がするけど、血筋なのかな?」
受付を終え、二人の元に歩み寄ってきた天華が、迅雷と天剣に話しかける。
「確かに、東少侠は擒拿術が上手いとは言えなかったが、熊扼みたいな基本技を食らう程、下手でも無かったぞ」
天華や天剣が言う通り、迅雷は擒拿術を苦手としている。
点穴に封じられ易い擒拿術は、有効ではない戦闘法だと考えていたので、迅雷は擒拿術の修行には、積極的ではなかったのだ。
「だから、油断してただけだってば!」
気まずさを覚えつつも、迅雷は表には出さず、威勢良い口調で続ける。
「普段なら、あんな技なんか食らわないって!」
「言い訳は見苦しいぞ、チビガキ。軽功や鳳凰刀の扱いだけじゃなくて、少しは擒拿術とかも修行しろ。雷聖門に来れば、俺が指導してやるぞ」
そんな事を言い出した天剣に、天華は呆れ顔で呟く。
「天剣は女ですから、男の無名相手に、擒拿術の指導は出来ませんよ」
擒拿術などの身体が触れ合う事になる技術の修行は、男女が分かれて行うのが、武林の常識となっている。
故に、天華の言う通り、女である天剣は、迅雷相手に擒拿術の指導は出来ないのだ。
ちなみに、汗臭い男を相手に、身体が触れ合う修行など、出来ればやりたくなかったというのも、迅雷が擒拿術の修行を疎かにした理由の一つであった。
「何で俺が、雷聖門なんかに行ってまで、修行しなきゃならんのだ?」
「お前は軽功や鳳凰刀の扱いに関しては、俺より上だろうが、擒拿術は未熟同然、修行する余地は幾らでもある。しかし、お前の門派である封神門は、壊滅状態なのだから、指導してくれる先達もいまい」
天剣は真摯な口調で、話を続ける。
「俺達と出会ったのも、何かの縁だろう。今は復讐の為に生きているのかも知れないが、復讐が終わったのなら、俺達と一緒に雷聖門に来て修行しろ」
「有難い誘いだが、断る」
「何故?」
「胸の貧しい女と修行するのは、俺の精神衛生に悪い」
「お前……素華と戦う前に、俺に殺されたいのか?」
真面目に話していたのを茶化され、激怒した天剣は、迅雷に掴みかかろうとする。
騒ぎになっては困ると思った天華が、天剣を必死で抑える。
(気を遣ってくれたみたいだが、悪いな。復讐より先の事は、考えない事にしてるんだ)
迅雷は心の中で、天剣に謝る。
(ーー命がけで戦っても、勝てるかどうか分からない相手と、殺し合いをしようとしてるんだからさ)
素華の実力の高さは、誰よりも迅雷自身が知っている。
その素華を相手に、復讐戦を挑むつもりなのだから、自分自身が無事では済まないだろう事も、迅雷は覚悟している。
命がけの戦いの先の事など、今の迅雷には考える余裕は無いのだ。
武術家達の抽選と登録が行われている頃、闘源郷の外部では、観戦を希望する者達が、籤を引き続けている。
当り籤を引き当てた者達は、歓声を上げながら闘源郷の観客席に駆け込み、空いている好きな席に座る。
観客達が観客席を賑わせ始め、出場する武術家達が、観客席の一部……南側に設えてある、待機用の席を埋めて行く。
戦いの準備は、既に整いつつある。
程無く、黄国の若手武術家達の中で、誰が最強なのかを決める、清明武林祭の予選が始まるのだ。
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